異様な気遣いをしてしまう癖
先日、炎天下でのマスクにやられたのかダウンしてしまい、ゲロりんしてしまった。
ずーっと続く倦怠感と吐き気。
熱は37度。
コロナか?
それとも引越し作業はりきったから?(進捗度40%)
保健所に電話すると、熱中症の可能性もあるので様子を見てくださいとのこと。
熱など基準を満たしていないとPCR検査の対象にならない可能性があるらしい。
受けられるとしてもお金がないので、まずカード決済ができる病院を探すところからつまずきそうだ。
もう医療費で逼迫するのはやだよう。
ゲロりんしたとき、彼の家のお手洗いを借りた。
幼少期からよく吐いて育ってきたので、わりとコントロールが得意なのだが、吐いている様子を聞かれたりするのが嫌なので変な気の遣い方をしてしまう。
先日も、一旦トイレに入ったあと再びドアを開け、
「ちょっと篭るけど、気にしないでください、申し訳ない」
と言った旨を改めて伝えてからことに及んだ。
彼はなんで今そんなこと伝えるんだよ、と不審な顔をしていた。
不快感を与えたり、心配をさせてしまったりするのはポリシーに反する。
根っからの気にしい体質だ。
変に気にしいエピソードをいくつか思い出した。
オモコロで、飲み会が嫌いという内容の記事を読んでいたのだがその中で、
「皿を手際良く取り分ける人などがいると、同時に自分が気の利かない奴だと思われる」
というエピソードがあった。
これはすごくわかるというか、自分はどっちにも回ることがあるので、ある程度の気遣いは意識しつつも、
「はい!はい!お皿はこれね!お酌は私がしますよ!!!(笑顔!!テキパキ!当たり前!!自然とやっちゃえます!!)」
みたいな人がいるとまさに「使えない奴」の気持ちになるなあというのはよくわかるのだ。
(ただ、超絶姉御肌とか、鍋奉行みたいな人とかだったらお任せしちゃう)
なので、「使えない奴」みたいな気持ちになってしまう人が出ないように、かつ最低限は気を遣おうといった謎の気にかけが発生してしまい、無言&真顔で取り分けるみたいな着地をしてしまうことがたまにある。
飲み会に限った話ではないのだが、目下の目標は自然と(さらにその自然とが逆に嫌味にならないように)気を遣うことだ。
またもう一つ、
「仲の良い人とそうでもない人が一緒にいる場で、結果どちらとも喋らなくなる」
という現象もたまに起こる。
例えばとても仲の良い人と、軽く話す程度の人と自分、3人になる瞬間があるとする。
仲の良い人とは普段軽口を叩きあったりできるのだが、軽く話す程度の人とはそんな話し方はできない。
いつもの感じで仲の良い人と軽口を叩き合うと、軽く話す程度の人が温度差においてぼりに感じてしまうのでは、ということが気になり、結果どちらにも無愛想orあまり話さないという選択をしてしまうのだ。
どっちにも明るく接すればいいじゃんか、という話なのだが。
なーーんも気にしなくても良好なコミュニケーションが取れる人はたくさんいるのに、そういう、謎の気遣いをすることでどんどん生きにくい人生を歩んでいるなという感覚は、幼い頃から変わらずあるなあ。
吐き気は治ったので、荷支度でもします。
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