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夢中になって買い続けた、靴がある

出会いは二十歳の頃

僕が大手靴販売店で働いていた頃、渋谷の、現在はH&Mになっている場所に、本を買いに行った帰りの話。ブックファースト渋谷店かって?いやいやそのもっとずっと前、僕が二十歳位の頃だから1990年頃の話です。そのビルに入っていた書店でノーマン・ロックウェルの画集を購入し、大きな包みを抱えてエスカレーターを降りていくと、2階あたりだったかな?存在感のある靴が目に留まった。茶の、セミブローグの編み上げのブーツ、だったような…?洗練された感じでは決してなくて。これ、なんだろう?と思って手に取ってみて、それで初めて「Tecnic」という名前を知った。俄然気になったところではあったのだが、あいにくそのお店はレディースのセレクトショップで、そのTecnicの靴も婦人靴だった。


英国靴専門店で、ひたすら靴を買った

その後、僕は英国靴専門店へ転職することになるのだが、その前に、お客さんとして、今はなき代官山店で何足か購入している。最初に買ったのは茶のプレーントゥ。
昔はきつめのものを買って履いて馴染ませていくというのが定説で、この靴もかなりきつめで、現在はもう履いていない。いや、履けない。他にも何足か買ったけれど、結局きついから履かなくなって、例によって全部分解してしまっているので、手元に残っているのはこの一足だけ。しかも、茶だったのを黒に染め直している。黒も買ったと思うんだけど。

その英国靴専門店は、オリジナルの靴をノーザンプトンの工場に発注していた。それもどうやら、複数の工場に発注していると、入社後に知った。どこの工場で作られているのかは決して明かされないということも。また、そのお店では紳士靴だけではなく、婦人靴も売っていた。メンズの靴がそのまま小さくなったような、それでいてしっかりとした作りの、可愛らしい婦人靴を見た時に僕は、かつて渋谷で見たTecnicの婦人靴が頭をよぎったことを記憶している。
そこでは靴修理も受け付けていた。ここで僕は修理の世界に惹かれ、後に靴修理店へ転職し現在に至るわけだが、当時から、履かなくなった靴の分解をよくやっていた。中を見たかったから。その中に、どこの工場で作られたものかはわからないけれど、一際いいものがあった。パッと見は普通だけど、中はとてもしっかりしていて、部材も良いものを使っていた。こんな贅沢に作って、オーバークオリティで儲かるのかな?イギリス人って商売下手じゃないの?とすら思ったほどだった。そして、中の作りはもちろん、外見も僕の好みど真ん中だった。決して洗練されている感じではなく、むしろちょっと野暮ったいくらいのこの感じが、僕は何より好きなのだ。
靴の入荷がある度に心が躍った。使えるお金は全て回したと言っても過言じゃない。今も心の底から、好きな靴の一つだ。僕がたくさん買ったうちの大半はきっと、あの工場のものだろう。


妻が靴を買った

ある日、妻が靴を買ってきた。
丸っこいトゥラインの、茶のセミブローグ。あれっ。どこかで見たような。この既視感はなんだろう?と思ってシューソックスを見ると、まさかのTecnicのブランド「JOHN SPENCER」だ。冒頭に書いた、渋谷のセレクトショップで見た靴の記憶がふわぁっと蘇る。そして自分がかつて働いていた英国靴専門店で買った靴の数々も。そこで売られていた婦人靴の記憶も。

妻から依頼があったので、つま先にメタルをつけた。最初にTecnicを知って三十年以上が経ってから、こうして修理をしているのは、何とも言えない不思議な気持ちだ。
ちなみに、僕はTecnicの「JOHN SPENCER」は、一足も買ったことない。

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