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『やがて雪になる』

バレンタインに合わせた朗読公演のための脚本です。https://twitcasting.tv/soc_osaka/shopcart/214210 にて、2023年2月25日(土)23:59まで購入可能。本作の他にも『初詣でない』『正月落語/抱負』『春夏秋冬/花暦』『義理チョコはいらない』を聞くことができます。上演希望の方はメッセージにてご相談ください。

場 高校の校舎

出演
弥生 文芸部の2年生
望月 文芸部の1年生
春日 陸上部の2年生
車谷 生徒会長3年生

『やがて、雪になる』


・弥生
2月のなかごろ。しばらく続いた晴れの後に少しだけ、白い雲が厚く重なって雨を降らせた。
文芸部の窓にぱらぱらと雨粒が当たる。わたしはカーテンの隙間から外を眺めた。
望月「弥生先輩、うち、傘持ってきてないすわ」
窓の外に広がる雪原のような雲を眺めていると、後輩の望月が、ぎゅっと肩を寄せて割り込んできた。
そう、文芸部の窓は、とても狭い。
文化系部に割り当てられた部屋の大きさは、普通の教室の半分以下で、壁には一面の本棚にびっしりと本が並んでいる。
歴代の先輩たちが集めた、図書館にはとても置いてもらえないような俗悪で有害な本たちが、我も我もと背表紙を光らせて圧を出し、狭い部屋の中をいっそう狭く感じさせている。
これは、わたしの主観。
棚は壁だけでは足りず、窓の側にも並べられ、外の景色はもはや、縦長に切り取られた短冊のような隙間から覗くしかない。
わたし「予報、雨だったよ」
望月「え、先輩、傘持ってきてるなら、相合傘で帰りましょうよ。バス停一緒ですよね」
わたしより10センチ暗い背の低い卯月は、ぐいぐいと迫ってくる。わたしと一歳しか違わないのに、まるで遊び回ってきた子供のように、体温が高い。
これも、わたしの主観。
わたし「いいけど、わたし委員の仕事まだあるから」
望月「いいすよ『アルジャーノンに花束を』読んで待ってるんで!」
雨のなか、後輩と相合傘であるくのは、どんな気分だろうか。行先の違うバスが先に行ってしまうとき、彼女はどんな顔をするだろうか、わたしはどんな顔をするだろうか。

・春日
廊下には、暖房が効いていない。教室との温度差で、すぐに耳が冷たくて首筋が痛くなる。早く体育館へ行かないと、先輩にどやされる。踊り場に出て、階段を昇る途中で、生徒会室に向かう弥生とすれ違った。
わたし「おう」
弥生「やあ」
わたし「生徒会?」
弥生「うん、そう」
弥生はわたしと同じクラスで、文芸部で図書委員で、生徒会も兼任している。頭が良くて勉強ができて、そしてかわいい。
わたしは陸上部でスポーツ万能で、学校指定の短パンに、Tシャツ姿。ジャージを羽織ってはいるけれど、とても寒い。
弥生「寒くないの?」
わたし「え? あぁ、まぁ」
わたしはスニーカーを履いた脚を挙げて、手すりにかかとをひっかけ、つま先に手を伸ばす。
弥生「鍛えてるんで」
寒さを堪えて、かっこうつける。ふと見ると、踊り場にさしこむ白くて淡い冬の陽が、弥生の頬を大理石の彫刻のように白く透けさせた。
そのまま本島の彫刻のように動かなくなるんじゃないか。そんな気がしてわたしはーー
わたし「帰り、バス?電車?」
弥生「え?」
わたし「電車なら駅前のモス行こうよ、モス」
弥生「モス?」
わたし「モスバーガーだよ、おごるからさ」
弥生「なんで?」
わたし「宿題、古文なんだ。得意でしょ?」
弥生「いいけど」
弥生は照れくさそうに笑って、階段を駆け下りて、視界の外へ消えた。
弥生は、古文が得意だ。たぶん、何もわからない私に丁寧に説明してくれるけど、わたしは何もわからないから、にこにこ笑って聞くしかない。でも、弥生も古文が好きだから、きっとにこにこ笑って教えてくれる。たぶんきっとそうだ。
わたしは微笑みを抑えきれないまま、体育館へ走った。

・車谷
生徒会室の扉を開けると、ほどよく生ぬるい空気がわたしを迎え入れた。暖房は切られているが、つい先刻まで人のいた気配。
テーブルには、処理すべき書類の束。
その束の上に、見慣れない箱と、紙切れが置いてある。紙切れには達筆なボールペン字が書いてあった。
委員の弥生くんが残した書き置きだ。

弥生「あいにくと所用があって、先に帰らなければなりません。直接渡せなくて残念ですが、会長にこのチョコレートを食べてほしく、書き置きを残します。頭を使う仕事には、糖分が必要です。どうか、お体にお気をつけて」

わたしは椅子に座ると、黒い細長い箱からおごそかに一粒の四角いチョコレートを取り出して、口の中に置いた。
室温で少し柔らかくなっていたそれは、舌の上でじわじわと溶けて、苦味と甘味と、中に封じ込められた果物の砂糖漬けの香りを放ちはじめた。

ありがとう、弥生くん。真面目で堅物な弥生はくんのことだから、きっとバレンタインデーなんて世俗の風習は知らないはずだ。だから、このチョコレートには委員として、仲間であるわたしをねぎらう以上の意味はない。
ないんだけれども、その甘さとほろ苦さは、わたしの体をぎゅっとしめつける。

・望月
文芸部に入ったのは、いつでも好きな時に来て、本を読んでいていいからだ。しかも、図書館には置けないような、大人向けの本もたくさんある。といっても、わたしが読めるのはそんなに難しい本ではない。今日も、図書館にもある、ダニエル・キィスという人の書いた『アルジャーノンに花束を』という小説を読んでいる。日本でもドラマ化されたりしていて、泣ける話だというのは知っていたけれど、いまのところ、泣けると言うよりは、ハラハラするような展開が続いている。
主人公のチャーリィは、頭の良くなる処置をされて、ねずみのアルジャーノンと共に、どんどん天才になっていく。周囲の人たちも戸惑い、その戸惑いがまた、チャーリィを頑なにしていく。たぶん、これは、そういうすれ違いの話だ。

感想文を、書かなければならない。文芸部では、読んだ本の感想を書くのが決まりになっている。部に入ってすぐにそれを知り、やめようと思ったが、二年の弥生先輩が
弥生「感想を話し合うと、新しい発見があったり、楽しさを分かち合えるから楽しいよ。望月さんの感想も読んでみたいな」
なんて言うものだから、まんまと1年間、10冊くらいの感想文を書いてしまった。
ただ今日は、あまり文章が頭に入ってこない。「相合傘で帰りませんか」なんて言ってしまったものだから、頭の中の半分くらいは弥生先輩で埋まっている。
憧れか、尊敬か、自分がどんな気持ちを抱いているのかは、わからない。言葉にもできない。
たぶん、あと100冊くらい読んで感想を書いたら、言葉にできるようになるのかもしれない。チャーリィのように、使えない言葉も使えるようになって……そのあとは、読んでから考えることにしよう。

・全員
きっと、この雨はやがて雪になる。明日の昼には溶けて、なくなってしまう雪。それでも一晩じゅう降った雪はきっと、明日の朝を白く染めてくれる。

エピローグ『チョコレートみたいに』

・弥生
弥生「人生は物語ではないけれど、そのいくつかの出来事を振り返るとき、わたしたちの頭の中では」
望月「映画館のスクリーンや」
車谷「劇場のステージや」
春日「雑誌に載ってるマンガのコマや」
弥生「小説の一ページのように、その時を繰り返して、繰り返して。やがて終わりの時が来る」
望月「エンドロールや」
車谷「カーテンコールや」
春日「別のマンガや」
弥生「本の奥付が、やってくる。わたしたちはみな、その時が終わることを知っていて、知っているからこそ、楽しく愉快に過ごしたいと思う」

・春日
春日「いつものモスで、二人がけのテーブルに向かい合わせに座り、たわいもない話をする。わたしはバーガーとチキンのフルセット。弥生はオニポテとドリンクをつつましやかに食べる。いつもの日常、いつもの放課後。でも、今日は違う」
弥生「推薦合格、おめでとう」
春日「うん、受かった」
弥生「もっと喜びなよ、どうしたの?」
春日「弥生も、国立合格おめでとう」
弥生「うん」
春日「もっと喜べば?」
弥生「うん、やったー……」
春日「弥生も、わたしも、わかっている。大学に行くようになれば、もうこうして放課後を一緒に過ごすこともない。大人になれば、待ち合わせをして、どこかに行くことも、近くに引っ越してお茶でもなんて、いくらでもできるようになる。でも、同じ学校で過ごして、別々のことをして、帰り道だけ一緒になる。こんな感覚は、きっと二度とない」
弥生「食べないの?」
春日「食べる、食べるよ。なんだか今日のポテトはしょっぱいなぁ」

・車谷
車谷「生徒会室の扉を開けると、ほどよくなまぬるい空気が冷たい廊下の方へと流れてくる。今日は、生徒会長最後の日だった。後輩たちが花束を用意してくれていて、泣いてしまう子もいて、なんだか卒業式のリハーサルをしているような、そんな気になった」
弥生「あ、会長」
車谷「弥生くん。まだ帰っていなかったんだね」
弥生「会長も、忘れ物ですか?」
車谷「あぁ、少し、ね」
弥生「知ってます? 訪れたところに物を置き忘れてしまうときは、その場所に未練があるときだって」
車谷「未練なら、あるかもしれない。でもそれはきっと、解決しなくていい未練なんだ」
弥生「あ、会長。わたしも忘れてました、これ」
車谷「と、言って彼女が差し出したのは、紺色の紙の箱」
弥生「バレンタインデー、ちょっと早いですけど」
車谷「そう言うと、弥生くんは振り返りもせず生徒会室から出ていった。こういうの、ほんと良くないと思う。わたしはもう生徒会室には来ないし、学校の中ですれ違っても話しかける用事もない。ホワイトデーに何かのお礼を用意して渡すにしても、教室に行けば目立つし、あぁもうとにかく……箱を開けると、手頃な万年筆が顔を出した。メッセージカードには卒業おめでとうございますの文字。この万年筆でお礼の手紙を書こう。そう心に決めると、わたしは生徒会室をあとにした」

・望月
弥生「望月。背、伸びたね」
望月「棚の上の方にある本を、手を伸ばして取ったわたしに、椅子に座って本を読んでいた弥生先輩が声をかけた。この1年で10センチ。わたしの背はぐんぐんと伸びて、先輩と同じくらいになった」
弥生「わたしが縮んだのかなぁ」
望月「弥生先輩が立ち上がり、わたしの隣に並ぶ。目の前には文芸部の扉、扉の横まで並んだ本棚、机、椅子。同じ目線で、同じ景色を見ている」
弥生「卒業したら、また遊びに来ようかな」
望月「遊びに来てくださいね」
弥生「うん」
望月「どこに置いたらいいのかわからないわたしの手を、弥生先輩が優しく握ってくれた。二人で、部室の扉を見ながら、黙って手を繋いで」

弥生「人生には、思い出したくなる、いくつかの瞬間がある。その瞬間が、あなたの胸で、あたたかく甘く溶けて、あなたを笑顔にしてくれる。チョコレートみたいに」

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