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「うらやましい=嫉妬」じゃないですって?

「えーーーー!いいな〜うらやましいなーー」

職場のマサミちゃんはこの台詞をしょっちゅう言っている。

「あそこの宝くじ売り場で、1億円出たんだって、当たったのOLらしいよ」
「えーいいなーうらやましいなー」

「高山さんとこの息子さん、もう時計が読めて、ひらがなも書けるんだって」
「ええ〜、いいな〜。そんな賢い子供うらやましいなー」

打てば響く鐘のように「うらやましいなー」がすぐ口をついて出てくる。これを素直と言えばいいのだろうか、それとも考えなしと言うべきか。

「うらやましい」と言うだけで、じゃあ、自分も一億円当たろうと宝くじをしこたま買うのかと言えば、そうでもない。子供が賢いと聞いて、じゃあ自分の子供を人がうらやむような賢さにするために奔走するかと言うと、全然である。ひとつも行動につながらない。

つまり「うらやましいなー」というのは「へー、そうなんだ」程度のものかと言うと、そうとは思えないくらい全身を震わせて「うわあああー、う、う〜〜らやましいなーーー」と言っている。

ここでひとつ。

「うらやましい」と「くっそ、こいつ...」が連動しているのが私の場合である。私は長女だったから、年下の妹のほうが親に甘えるのが上手で可愛がられていた。多分、それがうらやましかった。でも、うらやましいとは言えない。言えば負け、そう思っていた。感情の奥底に「うらやましい」が姿を現した瞬間、それは即座に嫉妬へと変換される。「くっそ、こいつばっかりかわいがられやがって...」結果、私はうらやましい対象の妹をいじめることで、うらやましさに勝ったつもりになっていた。ああ、なんて長女というのはひねくれた生き物なんであろうか。

マサミちゃんは3人兄妹の一番末っ子。私のように、うらやましいが嫉妬になるわけではなさそうだ。では、うらやましいとはいったいどういう感情なのだろう。「うらやましい=嫉妬」という公式だった私は、それがいまひとつ分からない。しかも、近年はそういうエネルギーを消耗する感情が起きなくなっている。人をうらやむというのは「自分もその人のようになりたい」あるいは「できることならその人そのものになりたい」という感情であり、前者であるなら、行動によっていくらか近づくことはできるけど、その人そのものになるのは難しい、っていうか、無理。

私はマサミちゃんに聞いてみた。

「マサミちゃん、うらやましい、うらやましいって、よく言うけど、逆に自分が人からうらやましがられてる、って思うことはある?」

マサミちゃんは血相を変えて手をぶんぶん振った。

「ええ!そんな!全然!まったく全然そんなこと思わないですよっ!!!」

まあ、大体想像通りの答えである。じゃあ、うらやましいって言う感情をどうやって自分に返しているのだろう。感情が沸いては引っ込み、また沸いて引っ込んで行く。ただそれだけなのだろうか。

ひとつだけ、分かっていることがある。それは、週末、土曜日のリラックスすべき時間にも関らず、私はマサミちゃんの「う〜らやましい〜!!」について、こんなに考えを巡らせ、少なからず脳みそのエネルギーを消耗しているというのに、当のマサミちゃんは、この悩ましい主題である「うらやましい問題」についてはなんら考えることなく、今日もまた、ホワイトデー用に高価な菓子をもらった人を「うわ〜、いいな〜うらやましいな〜」と言って体を震わせている、ということである。自分は誰にもチョコあげてないのに。

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