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50代の処方箋

みなさん、こんにちは。私はちょっと元気がでてきましたよ。こないだニュース見たら「新幹線大爆破」という1970年代映画がリメイクされる記事が出てて(そういやこの映画レビュー書いたなぁ)と思い出し、引っ張り出してきました。

その記事にこんなくだりあるんですね。


………..

ところで、この映画の中で、犯人を捕まえるための会議が何回もあるんだけど、こんなセリフがあるの。ちょっと聞いてくれるかしら。

警視庁A「ホシがドルを要求して来たということは、国外逃亡の計画だと思われる。旅行代理店、各航空会社の切符予約客を洗って欲しい。特に、今日から一週間以内の出発予定者を重点的に調べる」

警視庁B「後藤くんの班に頼む」

後藤「はあ、しかしぃ、今日から一週間って言うと...五万人くらいはいると思われますがねぇ」

警視庁B「女と、50歳以上の老人を除けば三分の二になるだろう」

自分のnote

1970年代で50歳は老人なのよ。今と違って当時は20歳過ぎたら女は結婚の話が出てきて、22とか23でお見合いとかして、結婚して25歳で子ども生んでたんだわ。うちの両親も見合い結婚ですよ。私が生まれた時はおばあちゃんも50代だったから、子どもから見たら当然おばあちゃんで、そう考えるとまあ50歳以上=老人ってことで驚くことでもなんでもないわけ。

ところで「42歳が女の頂点説」という記事を書いたことがある。これは51歳のときに書いた。51歳と言えばまだまだ50代初心者。

そこから5年経って、今やプロの50代だ。56歳だから、まあ50代のことは言える思うんや。それで言いたいのは、50代は自分を認める年ってことやね。もっとハッキリ言うと「真の自分の姿を認める」ってことね。これはどういうことかと言うと、20代、30代、40代の自分で出来上がってるのが50代なんで、ひとつの完成形がこの今の自分であることを認めないとアカンということです。あれ?おかしいな、自分こんなはずじゃなかったのに、となっても、取り返しのつかないことがほとんどであるということです。

例えば、やっぱり大学へ行ってちゃんと勉強したい!って思った時、30代ならまだ間に合うと思うし、なんなら40代で国立大学へ行った友人もいるんですが、50代ともなると記憶力と気力が著しく衰えるため、大学は無理です。結婚して子供が欲しい人でも30代はまだいいけれど40代になってくると厳しいですよね、でもさすがに50歳になったら閉経間近で子どもどころじゃない。自分の時間ができたらアレもしよう、コレもしたい、と思ってたけど、50代になったら親の介護がそこはかとなくのしかかってきて自分の時間どころじゃねえちくしょー、ってこともあります。

人生100年時代で、よく50歳は折り返し地点とかいうけど、おかしくないですか?折り返しなわけないよ。若くならないんだし。

で、私が体感してるのはですね、42歳が最高潮で、そこからゆるゆると52歳まで、まあ言ったら遠浅の海みたいにだんだんとゆるゆる~って、下がっていくんですよ。徐々にね。薄皮を一枚一枚剥いで行くみたいにね、弱ってくのよ。肉体がね。だから本人もあんま気づかない。そんで、気づかないから、42歳から10年くらいは昔と同じ生活スタイルやっちゃうわけですよ。夜遅くにお酒飲んだり、スナック菓子ぼりぼり食べたり。まあ私なんですけどね。

20代、30代、40代の自分で出来上がってるのが50代だとすると、当然仕事でもなかなか忙しくなっている。従業員も増えてきた。自分の仕事はやりたい仕事ではなく、誰にも任せられないので自分がやるしかない、って仕事ばかりになっていく。それで、楽天の通販ページを作ったり、人のマネジメントをしたりした結果、心が死んだね。創造性がどんどん減退していって、映画も見なくなって感動したり心が動くようなことがなくなっていったわけ。「それは知っている」「そりゃそうなるだろう」「だからなんなんだ」みたいになる。心は老化するんですね。みずみずしさがなくなってどんどん枯れていきます。喜怒哀楽がどんどん摩耗してっちゃうんよ。

55歳になった時、今連載で書いている「加齢性黄斑円孔」という病気が発覚したわけなんだけど、同時に色んなことが起こっていて、足を切って3針縫ったり、このマガジンでも書いているように、ADHDと診断されたり、歯の根っこが折れて腐ってしまっていたりで、肉体的にも精神的にもかなり落ちた。

そこで私は思った「なんか書けば…なんか書けばきっとよくなる」今まで辛いこととかあっても、書くことで吐き出したり、文字にすることで整理ができたり、また、自分の真の考えや気持ちが浮かび上がってきたもんである。書くことが私を助けてきた。

しかし、このnoteを前に書き始めても、全然まとまって書けない上に、書くのに何時間もかかる。朝から夕方までかかって書いても、読み返すと何が言いたいのか全然分からない。

いったいどうしちゃったの!!私!!

書けない、それに頭の中にぼんやりとした靄がかかっているようになってしまっている。それってもしかして…鬱だったんでは?と、今なら分かるんだけどその時は痴呆が始まったかと思って、それで心療内科へ行き、鬱とは診断されずADHDと診断されて今に至るわけなんだけど、今でもあれは鬱だったのではと思うし、なんなら完全に鬱から抜けているわけじゃないから要注意、要注意と思っている。

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ADHD(注意欠如・多動症)である私の散らかった思考がそのままマガジンになっています。日々書かれることに一貫性はありません。

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