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どうして「いい人って思われたい」んだろう

一時期、自己啓発的なものにハマってたことがあって、名刺もらった人全員にあとからハガキ書いたりとか、目標達成のための計画曼荼羅とかやってたんです。地元の経営者の人が集まる会で、数年くらいまじめにやりました。その時によく言われたのが「頼まれ事は試され事」という言葉。

人から頼まれたことを断らずに、片っ端から承諾してやりましょう。例えば何かの会の役員だとか、実行委員だとか、幹事だとか。大体地方の若手経営者ってそういうの頼まれがちです。でも、これによって色んな地元の商売人とのネットワークができる。自分の顔を売ることもできるし、対人スキルも上がる。また、逆説的に言うと、神様がそういう頼まれごとをあなたの前に持ってくるのは、あなたにちゃんとできるだけの能力があるという証拠。だから頼まれたことは「ハイ!喜んで!」と引き受けるべきである。

それを間に受けちゃってですね。結構私もいろいろやりました。その会の書記、幹事、会長もやったし、観光協会のブログも担当したし。その延長線で農協の総代もやってるし、民生委員もやってる。町内の美化委員のメンバーだし、来年から地元商店街の有料タウンガイドもする話になってる。

でもチョット待って。私もう51才なんです。そんなにいろいろやってたら、自分のことやる前に寿命が来て死ぬやん。健康に精力的に動けるのって、もしかしてあと10年とか15年なのに、人のことやってる場合?いや、やってる場合やないでしょ。この間思ったですよ、私。気づくの遅くない?遅いわ~。いつも遅いわ私、気づくの。ホントに。

けれど、これ断るのすごい難しいんです。特に、一旦引き受けるとそれを断るのが大変。なぜって、後やるひとがあまりいないから。そもそも誰もやりたがらないことを引き受けてるんだもの。え?本当にそう?じゃあ、私が死んだらもう誰もやらないの?違いますよね?きっと誰かがまたやる。そうなんですよ。大会社の社長だって死んだらまた誰かがやるんですもの。私が何かやめたとしたって、ちゃんと後釜がいるんです。病気になったら別の誰かがやるんです。けど、死んだり病気になるの待ってられないでしょ。元気なままで自分の時間を自分のために使いたいんやん。だったらどうするか。ですよ。

確かに、人の役に立つことも大事です。地方都市で、田舎で生きていくのは都会とはまた訳が違って、共同体みたいなのもあるし、なにかしらの参加は必要になってくる。神社の掃除とか、墓の掃除、廃品回収。けど、最低限にしないと本当に自分の人生がなくなる。消費される。人生とは、すなわち「時間」です。そういうことで、今、一生懸命色んなことをやめる手段を考えています。

確か、何年か前も私これ考えて仕事やめてるんですよ。だけどアレですね。入れ物が空くと、そこにまた何か入れちゃうの。隙間が空くと、そこに何か詰めちゃうの。悪いくせです。貧乏性なんです。は~。アホやわ~。

確かに、「頼まれ事は試され事」って言うのも分かります。ちょうど40代って、仕事のスキルも上がってくる。後輩も育っているし、年上の人からも一目置かれてパイプも作れるような年代。だから精力的に動くのはアリ。ただ、いつかどこかで線引を意識しないとダメ。でもそういうことって、自己啓発本には書いてない。やたらと頑張ってる仲間とつながることは説かれるけど、そこから1人に向かって収束していく方法はないんです。だから自分で考えるしかない。イメージとしては20代~40代までは膨らんで、私の場合その後は収束が理想なんです。絞るんです。人間関係も、自分の生活圏も。そうやって自分に集中していく。遅いかもだけど、やらないよりはやったほうがいい。はっきり言って喫緊の課題です。

これ、問題点はわかってるんですね。私自身が「嫌われたくない」とか「いい人って思われたい」とか「頼りになるって思われたい」部分があって、断れない。いいカッコしいなんです。ああ!本当にアホ!情けない。今まで作ってきた自分のキャラクターに自分で苦しめられてる。これ、もっともっと原因を辿って行けば解決するのでしょうか。多分、自分が長女って言うのも関係してるんだぞ、きっと。今後の続報にご期待ください。


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