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初めての長い旅はソ連

11歳の小学6年の夏、ソビエト連邦に旅行に行きました。お父さんと二人、横浜から船に乗っての旅でした。1979年の話です。

ナホトカという港に着き、列車でハバロフスクという町に行き、そこからアエロフロートでモスクワへ。数日滞在の後、ウィーンへ行って、またモスクワに戻り、来たように帰る。という約2週間の旅です。

町の中に店の看板がないとか(あってもブレジネフ書記長がレーニン)、兵士がめちゃ男前とか、女の子がみんなオーガンジーみたいなフワフワのリボンを結んでいてそれが欲しかったのとか、街角で売ってるアイスクリームがおいしかったとか、結婚式やってたお姉さんがめちゃ美人だったとか、そういうことは覚えているのだけど、何を食べたのかとか、あんまり覚えてない。

けど、先日、こういう本をtwitterで見つけて買ってしまいました。ちょっとなんか懐かしい気持ちが湧いてきたからです。

イスクラさんという方の東欧諸国の小さなレシピ本。もー!すごいかわいい!ほんと!悩殺です。

それで、私も昔の写真を引っ張り出してきてみたんですね。そしたらレストランとかの写真が少しありました。もちろん、当時はフィルムの時代ですから、あまり写真もたくさんなく、そんな中でもこれだけ食べ物の写真があったのが幸いだと思います。

これは横浜からナホトカへ向かうナホトカ号の船内のレストラン。キッコーマンがあるのが面白いですよね。こんなふうに真ん中にパンが積んであることがもうなんていうか、貴族的というか、贅沢な雰囲気でシビれます。

この手前にある丸めたバターにとくに感動して、日本のバターって四角くて固くてバターナイフ使っても「ガチッ」ってなって全然すくえないし、パンになんて塗れないじゃないですか。けど、この丸めたバターは丸めたところも筋になってて、ほどよく室温に馴染んでいて、うまくバターに塗れるんです。どこに行ってもこういうバターでしたね。で、この道具を長年探しましたが、全然分からなくて、最近になって「バターまるめ」という道具があるのを知りました。しかし、よくよく調べるとやっぱりなんかちょっと違うっぽい。このバターの作り方、40年経った今でも謎です。マトリョーシカとかよりもこの道具がお土産で欲しかった。

これはおそらくモスクワ~ウィーンへ行く列車の中でのご飯。お父さんがスーパーで買ってきたのか、あるいは駅の物売りの人から買ったのかは不明。けど、全体的に食べ物で苦労した覚えはありません。ひとつ言えるのはウィーンに行った時「ここの名物は何?」って聞くと「仔牛のカツレツ」って毎回言われたこと。おかげで仔牛のカツばっかり食べてた。薄~く叩いて広げた草履みたいなカツは有名ですよね。

あ、ここに駅弁って書いてありますね。こういう列車のコンパートメントって、テーブルを跳ね上げると洗面所が現れたり、小さな部屋に色々収納の工夫があってワクワクします。

しかし、チェコスロバキアからオーストリアに入る時、駅には3メートルおきに銃を持った兵士が立っていて、国境超えの時にその人達が狭い列車にゾロゾロと入ってきて、すごい怖かったですねー。あんな光景初めてでしたから。

まあ、普通にツーリストだし、子供だし、エラいさんに頭撫でられてなんということもなかったです。けど、検疫で引っかかるのが怖くて、持っていった本に挟んであった押し葉を全部トイレに捨てました。いやはや、子供にしては考えたのかどうか。別に調べられもしませんでたが。

最後にこちら。多分民族芸能を見たんだと思うけど、全然覚えてない。けど、この写真から見るときっとこういうコサックダンスでも見たのかな?コサックダンスすごいですね!町中にこういう軍服の若い兵士が普通にたくさんいるんですよね。ホントこんな感じ。町ではコサックダンスは踊ってないけど。(youtubeの再生回数がすごい!私も20回は見た、中毒性ありすぎの動画)

ちょっと前にタケPくんからシベリア鉄道に乗りたいかも発言もあって、私ももっかいちょっと行ってみたいなぁと思ったりしています。

ところで、どうしてあのような冷戦時代にこんな田舎からわざわざソ連へ行ったのかは未だ持って謎。お父さんには聞かずにおいてなんとなくミステリーにしておこうかなと言うことで。

サポートありがとうございます!旅の資金にします。地元のお菓子を買って電車の中で食べている写真をTwitterにあげていたら、それがいただいたサポートで買ったものです!重ねてありがとうございます。