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誰も救わない心肺蘇生法

今回は内容が重いので
ひとまずボリサットさんのサムネイルで
癒されてください…!

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心肺蘇生法と聞くと胸のあたりを両手で押す
あの光景が浮かぶ人も多いだろう。

実際、止まったしまった心臓の代わりを担う方法は
あれしかない。
心拍が復活するまで、私たちは胸骨を押し続ける。


でも、これはあくまで助かる前提の話。

日本は高齢社会、高齢化率は25%をとうに超え
亡くなる人のほとんどは高齢者だ。

今はDNARといって、希望しない延命治療
具体的には心肺蘇生や人工呼吸器の装着などを意味するが
これをしないという選択もできる。

※今回はDNARや延命治療に言及しないので、説明や見解は割愛します。

なぜしないのかといえば、高齢者に対して延命治療をしても
効果が乏しくむしろ不利益になることが多いからだ。

でも、残される家族が何もしないという選択をするのには
それ相応の勇気と覚悟を要する。

だから、家族は

できることはすべてやってください

と、言うことがほとんどだ。


ここで、できることをやる側の意見を
オブラートに包まず言わせていただくと、こう。

できることやっても、助かりません。
患者さんを苦しめるのは、もう辞めませんか?


というのも先日、病棟である患者さんが心肺停止になり
心肺蘇生法をする場に立ち会った。
ご家族の希望だった。

しかし、私たちの心中は

はぁ、本当にしなくちゃいけないのかな
いやだな〜

だった。
いよいよ心拍がとまり圧迫を開始する。

バキッ!
ポキッ!

と、胸骨の折れる音がする。
肋骨がすべて見えるほどやせ細った身体であっても
心臓をしっかり圧迫するには
かなりの力で押さないといけない。

しかし、骨は老化や病気によってもろくなり
高齢者の骨なんて、私たちの力で簡単に折れてしまう。
目で見えるほど胸は陥没し、きれいだった肋骨のラインが消えていく。

家族来ませんか?
まだ…まだ続けなきゃいけませんか?

後輩が泣きそうな目でこっちを見てくる。
代わりに私が変わって圧迫する。

出来るだけ、新たな骨折を生まないようにしても
それでも折れていく骨。
手のひらに残る、骨の折れるあの感触。

ご家族が到着し、医師から現状が伝えられる。
もう明らかに生きていないとわかる患者さんの表情
浴衣のはだけた胸、いびつになった肋骨の状態をみて
ご家族が、やっと

もういいです…
先生、ありがとうございました。

というのだ。

ここでひとつ言っておきたいのは
心肺蘇生法を否定したいわけじゃないということ。

高校生のバイク事故など、明らかに助かる見込みのある患者さんには容赦なく胸骨圧迫をする。たとえそれで肋骨が折れようとも、折れた肋骨が心臓や肺に刺さろうとも、元々の体力があり、これから先何十年と生きるであろう未来が待っているから。


でも、高齢者の場合は状況が違う。

元々の病気や障害によるので一概には言えない。けれども、老化が重なり心肺蘇生法をしても救命率が低いこと、折れた肋骨が心臓や肺に刺さった場合、そっちが致命傷となり絶命してしまうこともある。

そして、救命できたとしても数時間〜数日の場合が多い。
患者さんはもう、体力も気力も何もかも
使い果たしてしまっているのだ。


一通りのことが終わり、後輩と話していると

私、あの肋骨の折れる瞬間が大嫌いなんです。
患者さんを助けるためにナースになったのに
逆に殺してるんじゃないかって気持ちになって。
あんなの、蘇生じゃないですよね…

そうだね、としか言えなかった。

きっと、ご家族からみたら
何もしないでそばで見ている方が
見殺しにしていると思われるんだろうな、と思うと

正解なんてどこにもない儚さと
それでも、追い求めなきゃいけない使命感で
身体がカッと熱くなった。


誰のための延命治療なのか
なんのための心配蘇生なのか

答えのヒントはたくさん落ちているのに
答えにするのがこんなに難しいこと
ほかにないと思った。


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