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求めること求められること

先日、こんなことをツイートした。

求められていないってのは、わかる。
内診されるなら女性がいいっていう人は、いまだに圧倒的に多いもの。

リプをくれた人の中にも、医療従事者だけど男性は…という人がいて、頭で割り切れる問題ではないことを示していると思う。

(ちなみに、わたしはどっちでもいい派)

分娩においてメスを使って会陰切開をするなら男性の産婦人科医でもしょうがないけど、産後のケアで乳頭マッサージをしたり赤ちゃんを抱っこするとなると、褥婦本人だけじゃなくパートナーや家族からみても女性のほうが望ましいんだろうね。

でも、この男性の産婦人科医ならしょうがない…っていうマインドは、なんなんだろう。どこからやってくるんだろう。

責任の重さ?
医師だからいいの?
いつ生まれるかわからない分娩に体力的についてきやすいから?
助産師はもともと産婆からきてるものだから
女性がケアするのが当たり前なの?


なのに、たとえば男性のそういうケアをするとき、男性じゃなくて女性がいいっていう人、結構いるんだよね。

同性同士だと気を使うのかしら。
お母さんならいいけど…の延長?
それとも、互いのそれを比べられる気がするの?
女性に触って欲しい人も少なからずいそう…


同性だからいい
異性だから嫌だ
同性だから嫌だ
異性だからいい

個人差があると言ってしまえばそれまでだけど、この手の問題はこれまでの風習や文化、空気の影響を少なからず受けてるんだろうなと考えてしまう。


似たような話でバレエのことにも触れておく。

意外にも、私はバレエが趣味なんだけど
(最近はとんとご無沙汰)

バレエも、やりたいのに求められていないがゆえに叶えられていないことがたくさんある領域だと思う。

炎上しないことを切に願うが、大きなバレエの舞台において主役を中南米出身の人や黒人と呼ばれる人たちが務めることは、ほとんどない。

英国のロイヤル・バレエ団は、プリンシパルの国籍もバラエティに富んでおり主役を有色人種が務めることもあるが、マリインスキー、ボリショイ、パリ・オペラ座に在籍するダンサー、プリンシパルとなるとほぼ白人だ。

バレエの話それ自体、王室とか貴族とかお姫様、そういう人たちが主役の話だから歴史的に仕方がないと言えばそれまでなんだけど……

日本人で主役を務めている人もいるけど、みんな色白で華奢でどちらかと言えば日本人離れした体型や容姿の持ち主ばかり。

実際の物語の話をすると、ジゼルという演目がある。

ざっくりあらすじを説明すると、主役は心臓の弱い女の子。踊りが好きだけど、踊り過ぎると発作がおきて胸が苦しくなってしまう。1幕で恋人の裏切りをみて心臓発作を起こし、母親の腕の中で帰らぬ人に。2幕で精霊となり、お墓の前で元恋人と踊り、元恋人の振る舞いを許すというもの。

ここからイメージされるジゼルのイメージは

・色白
・華奢
・可憐
・儚い
・メンヘラ感

こんな感じ。

だから、屋外の部活でガンガンに日焼けして、大きな筋肉がしっかりついてる人が、街中にあるバレエ教室の発表会で主役に抜擢されることはあっても、大きな舞台でジゼルを踊ることは、まずない。

そういうジゼルを見たい人がいないからだ。

逆の事例でいうと、アラジンが映画実写化されたとき、ジャスミン役はインドにルーツのある女性が選ばれたよね。

白人が演じてもいいはずのに。



求められることがなければ
市場として成立しなければ
選択肢すら与えられない人もいる一方で

倫理的に問題があったとしても
パパ活とか臓器売買とか
市場として成立している領域もあって

なんだかな~…と思う日々。

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