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赤いチューリップとハニカミ顔

好きな写真がある。

赤いチューリップを持った弟が
ハニカミ顔で写ってる写真だ。

彼は当時6歳。
小学校の入学式の帰り
首には蝶ネクタイをつけてる。

いろんな大人からおめでとうと言われ、普段ヒールな彼も口角がクイッと上がってしまったというシーン。かわいい。

場所は、とある和食のお店。

わたしの
私たち家族の
大好きなお店だ。

ご主人はすらっと身長が高く
神経質な目の持ち主
奥さんは魔女の宅急便に出てくる
おソノさんに雰囲気がそっくりで
なんともいえないバランス。

赤いチューリップは
そのお二人からのものだった。
入学おめでとうのお祝い。

そしてそれは、わたしたち家族とそのお店がいい関係を築いている証でもあった。
毎月のように通っていたから、自他共に認める常連さん。

これからも、わたしたち兄弟の卒業式や成人式、そういう人生の節目をここで過ごしたいと思わせてくれるような、そんなお店だった。


今から20年近く前の、あの夏。
弟が林間学校、父が出張でいない晩があった。

夏バテでぐったりしていた母は

◯◯さん、行っちゃおうか?

と、わたしをそのお店に誘う。
カウンターでもよければどうぞという返事をもらい、すぐに伺う。

いつも頼んでいた手作り胡麻豆腐
まったく臭みのない鴨ロース
ふわふわの煮付け
さくっさくのアジフライ

食べると安心する味だった。
でも、おふくろの味ではない
洗練されたお店の味。

お店に入ったのが少し遅かったせいか
最後のお客さんが私たちだけになる。

ゆっくりでいいわよ

と、奥さんが言う。

そのご好意に甘えてしまったのもあって
結局1時間近く居座ってから席を立った。

わたしたちが、最期のお客さんになるとも知らずに。



数日後、ご主人が脳梗塞のため還らぬ人となった知らせが届く。

過労もあったかもしれない。
だって、ご主人が座っている姿を一度も見たことがない。
いつも厨房にいた。
何かしら手が動いていた。

今までも体調の悪い日があったらしいが
受診していなかったそうだ。

お店を休むくらいなら、と話していたらしい。
なんともご主人らしいセリフ。


お通夜と告別式の案内が、遠くのほうで聞こえる。

当時、わたしは急性扁桃炎を患っており、次の日から入院することが決まっていた。この時も高熱で記憶が曖昧なほど。

けれども、はっきり覚えているのは弟の泣き顔だ。
小さな頃そのままにヒールな彼が、人前で泣き顔をみせるなんてはじめてだった。

彼はお通夜でも告別式でも泣いたそうで、お見舞いにきてくれたときも目が真っ赤だった。子どもながら悲嘆をまとっていた。

わたしも夜、病院のベッドでこっそり泣いた。

弟の就職祝いもあさみの成人式や結婚のお祝いも、あそこでやるとばかり思っていたのに、どうして…

と声をつまらせながら漏らしていた母の言葉が、脳内をめぐる。

店は閉店し、すぐに他のテナントが入った。
高校生だったわたしは、そこを通るたびに複雑な思いに駆られていた。



時は流れて数年前のこと
実家の近所に小洒落たフレンチのお店ができた。

ご夫婦ふたりで切り盛りしている、小さなお店。
わたしたち家族は、すぐにそこの常連になった。

ある時、母の誕生日をそのお店でお祝いしたら
ご夫婦から赤いカーネーションを一輪頂いた。

その光景を見た瞬間、あの和食のお店での出来事がフラッシュバックする。

赤いチューリップ
弟のハニカミ顔

もう十分大人になった弟と目が合う。
きっと、彼も同じことを考えていたんだろう。

物語にかぶれている訳ではないけれど
このお店もなくなってしまう日が来るんじゃないか

そんなふうに思ってしまった。



というのも、明らかにふたりとも働きすぎだった。

わたしには飲食店の内情のことはわからないけれど、新規顧客を掴むためなのか毎日ランチもディナーも営業して、休みは週に1日だけ。その日も、新しい食材やメニューの研究を行っていたそう。

もともと色白で細身の奥さんの顔色が会うたびに悪くなり、着ているエプロンやパンツが、どんどんぶかぶかになっていく。

ご主人も難しい顔をしている時間が長くなったようだった。
開店当初の、屈託のない笑顔はどこへやら。


もう、最期のお客さんになりたくない

こういう思いがベースにあったせいか
わたしたち家族はお節介を承知で

奥さん、痩せたんじゃありませんか?
お休みの日、きちんと休めてますか?
常連さん、もうたくさんついてるでしょ?
少しくらい休んだって平気ですよ!

と、お店を訪れるたびに声をかけた。

このふたりは、近所に和食のお店があったこと
そのお店が地元の人に愛されていたこと
でも、そのご主人が亡くなってしまったこと
みんな、とてもとても悲しい思いをしたこと

なにも知らない。

でも、わたしたちが伝える義理もない。

けれども、このままでは…!



このお節介戦法が功を奏したかどうかはわからないが、半年ほどして平日のランチは営業しないことになった。

自分たちの生活も守りながら
今いるお客さんたちを大事にするために

と、仰っていたご主人の声色が印象的だった。
とても柔らかいそれになっていたから。

代わりにという言い方をすると悪い印象になってしまうが
平日のディナーも休日のランチも予約必須なお店になってしまった。
ふらっと立ち寄って入れるような規模じゃない。

でも、それでいい。

そういう選択をしたお二人の意向に沿うべく、お店に伺うときは必ず予約をすればいいのだから。


これを書いてるせいで、どうにもお店に行きたくなってしまうが、この自粛ムードの中、当然伺うことはできない。

けれども、いち早くテイクアウトを始めていた甲斐もあって、お客さんが離れるようなことはなさそうだ。

先日、テイクアウトを受け取りにいったときも

このペースなら、なんとかやっていけそうです〜

と、ゆるんだ笑顔で奥さんが仰っていた。


わたしたちお客は、お店へ入ると
サービスやプロダクトを受けとる側になる。

けれども、同じくらいお店へ与えているものもあるはずだ。

それは
提供価値と引き換えたお金だったり
友達と言う名の新規顧客だったり
笑い顔や笑顔だったり
人生の節目に立ち会える喜びだったり
誰かを祝福する優しさだったり

こんな局面を迎えた時こそ、お客が日々貯めてきたエネルギーがその力を発揮するはず。

お店は、お店の人だけのものじゃない。
わたしたち、お客のものでもあるのだ。


あの日、和食の奥さんが弟に入学おめでとうと言って手渡してくれたチューリップ。

そして、フレンチの奥さんが渡してくれた母へのカーネーション。

今度は、わたしたちが
お店を元気にするために
いまを生き延びてもらうために

できる人ができる範囲で
一輪挿しなり花束なりを
送るターンだ。

さぁ、あなたも花を送ろう。
きっと、自分も元気になるから。


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