見出し画像

相手にとって、気持ちのいい存在でいたいから

平成が終わる。
時代が変わる。

今年度を振り返ると、この1年は、はじめましてがたくさんあった。ありきたりの表現だけど、今まで出会う予定のなかった世界の人たちと知り合うことができて、本当に本当によかったと思っている。

だからこそ、明日からの次年度は、新しい出会いを控えていこうと思っている。

とりあえず、会いましょう!なんて言ってくる人は、その時点でサヨナラ。とりあえずで会えるような人になりたくない。


こういうと、偉そうに聞こえるかもしれないし、潜伏するような、引きこもりになるような印象を与えるかもしれないけれど、そうじゃない。

すでに、私の人生に必要な人とは出会っているので、その人たちを信じてそこから広がる出会いやご縁を紡ぎたいというのが本意だ。

必然的に、新しい出会いの優先順位が下がってしまうという感じ。


人と会う時間を減らすぶん、書くこと、そして自分自身とうんと向き合いたい。書きたいこと、書かなきゃいけないことが少なくとも50個くらい溜まっているからね。

頭の中が便秘状態なので、柔らかくほぐしてから少しずつアウトプットしていくつもり。


来月の予定はというと、今の時点で2件しか入っていない。
これ以上、増やすつもりもあんまりないかな。


というのも


去年の4月から、私よりも忙しい人との出会いがたくさんあった。その人たちの時間の価値と、私の時間の価値。明らかに、私の時間の価値のほうが低い。

時間はいのちそのもの。優生思想まではいかないけれど、時間の価値が高いということは、それに伴って命の価値も高いことだと私は思っている。

だから、相手を尊重する意味でも、スケジュールにぐーんと余白を持たせておきたい。私がスケジュールを調整すれば、アポや会議がすぐできる。企画や案件の見通しだって、すぐにたつ。


私の大事な価値観は人と時間。

人と会って何かするというのは、とても貴重な体験で、それだけですでに尊い。だから、これをないがしろにするような人とは絶対に会いたくない。

相手が仕事関係の人でも、友人でも、家族でも、関係ない。


それに、人と2人きりで会うのも避けようと思っている。会うなら複数人でをベースにしたい。

相手に対して、時間に見合うだけの価値が提供できているのだろうか、不快ではなく快の刺激を与えられているだろうか

こういうことを考え始めるとキリがなくて、自分の存在意義が、自己肯定感が、どんどん萎縮していくのを肌で感じるのがつらいから。

複数人であれば、なんとかこれらを中和することができる。



春は、人との出会いが総じて増える。

だからこそ、自分の濃度を保つためにも無作為な出会いを極力避けて、あなたも、今ある関係性を大事にしてみては?という話でした。








貴重な時間を使い、最後まで記事を読んでくださりどうもありがとうございます。頂いたサポートは書籍の購入や食材など勉強代として使わせていただきます。もっとnoteを楽しんでいきます!!