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会話と対話と卓球と

会話が卓球のラリー練習だとしたら
対話は試合だと思います。
どんどん、立ち位置(座標)が変わっていくような


昨日、嶋津さんの主宰するオンラインCafeBarDonnaにお呼ばれして「コミュニケーション」と「イマジネーション」について公開おしゃべりをした。

上記の文章は、その中で話したことの一部。
自分の中で言語化に至らなかったところもあるため、メモがわりに残しておく。

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会話というものは卓球のラリー練習のようなものだと思っている。

当たり障りのないように
相手が打ちやすいところにボールを打ち
フォーム(体裁)を気にしながら
続けることを目標とするような
そんな関わり。

コンビニの店員さん
デパートのBAさん
美容師のお兄さん
向いのおうちのおばあちゃん

表面上は穏やかだけれど
相手の本当の価値観はわからない
実力だって読めない、そんなイメージだ。

一方で、対話は試合。
両者全力で相手と向き合う。

サーブを工夫し
レシーブで相手を惑わせ
フェイクや回転でタイミングを計りながら
決めどころを狙うような
そんな関わり

もう、とにかく動き回る。
スニーカーがきゅきゅっと床にこすれる音が響く。
ラケットでピンポン玉を打ち返す音だって毎回違う。

身体的にも精神的にも疲れるけれど
相手のクセ、強み、弱点、戦略…

ぜんぶわかる。

そういう点で、対話は座標の中を動いていくイメージがある。
自分でも予想しなかった場所へ連れてってくれるのが、いい対話。

たまに相手の、もしくはお互いの座標がまったく動いていないインタビュー記事があるけど、あれは予定調和すぎてわたしは好みじゃない。

どうせ対話をするなら、違う場所へ連れてって欲しい。

対話をしていく中で
相手にどんな風に作用し、作用されるのか
この社会の中での楽しい遊びだと思っている。


この辺りまで嶋津さんと話をしたんだけれど
いや、待てよ…対話ってもっと激しいものじゃないかと思い始めた。

ハリーポッターのクディッチのような。

ご存知ない方は上記リンクを覗いてみて欲しい。

得点源となるボールが複数あり、ほうきに乗って空を飛びながらチームで闘うゲームだ。

相手チームの自分と同じような役割を担うメンバーと対決すると思いきや、四方八方からボールやメンバー(!)が飛んでくる。

相手との対話って、きっと本当はこれくらい複雑なものなんだと思う。ボールを投げ合って理解を深めるような、そんなキャッチボール的なものじゃない。

複数飛んでるボールなようなアイテムを投げたり捕まえたりしながら、相手と戦う。投げ方や方向、力の入れ具合、回転…そこに自分の意思やチームの作戦があらわれる。

以前、対話の中に意思を置けというnoteを書いたけれど、これにはそういう意味がある。自分の中でボールの投げ方やスキルを抱えていても、意味がない。壁打ちではなく生身の人間とやりとりすることではじめて、投げ方やスキルの真の姿がわかる。意思も一緒だ。

そして、その背景には練習量をはじめ、それぞれのもつ関係性や価値観や環境があり、頻度は多くないにせよときどき顔を覗かせる。それが自分にとって嫌いだったり不快だったりしても、拒否できない。

だって、そういう座標軸(ゲーム)の中にいるのだから。

したがって、対話をする相手は好きな人、尊敬する人じゃないと難しい。
クラスのみんなとあまねく対話を…なんてむりむり。
タフネスなわたしでも、1日で灰になってしまうだろう。


わたしの場合、対話が仕事だ。
だから、そこそこ得意というプライドがあるし
そこまで自分の元気を消耗せずとも、対話を続けられる。

患者さんとは信頼関係を築くことが、そのまま治療やケアに直結するし、家事代行のお客さんも、このnoteを読んでくれる読者との対話もそう。

わたしと関わった人は
座標軸が1ミリでもいいから動いて欲しい。
クディッチで言えば、ちょっと吹っ飛んで欲しい。

累計1万人以上と関わっているという経験と自覚があるし、すべてではないにせよPDCAを回してきた自信もあるから、コミュニケーションというものが得意になっていったんじゃないかな。

でも、もっともっと上手になりたい。
もっと相手を吹っ飛ばしたいし
自分が吹っ飛ばされることを楽しみたい。

そのためには

・この先起こりうることを具体的にイメージできる想像力
・行動にうつすため思考にピリオドをうつ判断力
・より正確で多くの情報を得るための観察力
・吹っ飛ばし吹っ飛ばされてもほうきから落ちないための体力
・いろんなボールを打つための語彙力

こういうものを毎日鍛えないとね。
筋トレと一緒で、サボるとすぐに落ちる。

加えて、この試合が、対話が
人に見られるとしたら…

どうやったら見ている人は楽しいのか
おもしろいと思ってくれるのか
インタビュー記事なら誰が買ってくれるのか
卓球の試合ならわざわざ足を運んで観戦してくれるのか

対話している相手と自分、その他に俯瞰して見ているもうひとつの目の存在を意識できたときにはじめて、創造力が発揮されるんだと思う。

というのも、過去のブログを読み返していたら
まぁ、本当にひどいもので土の中に潜りたくなった。

誰と関係を築こうとするでもなく
もちろん、対話をしようとする意思などなく

自分の言いたいことを言いたいままに書いてただけ。
ちょっとかっこいいメモのよう。
創造力のかけらもない。


それが

届けたい相手がいて
その人に伝えたいことがあって
できたら、より伝わってほしく
わたしと同じように理解して欲しくて
欲を言えば、周りの人にも楽しんでほしくて

そういったことの積み重ねが、創造力を鍛えていくことになるんだと思う。なにも、有名な広告を残すことやアート作品を作ることだけが創造じゃない。

わたしたちの生活の中にも、たくさん埋もれている。


わたし
あなた
そして、その周りの目を意識できたら

創造のはじまりはじまり〜

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