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残される者のための終活

毎年、母方の祖母へ会うために金沢へ行く。

サムネイルは毎年宿泊するホテルのステンドグラス。
趣があって、とても好き。


母と新幹線、ホテルを予約し、親戚などの関係各方面に連絡している真っ最中。会いたい人、なかには会いたくない人もいるので、綿密な計画が必要なのだ(!)



祖母は、若い頃からそれはそれは自由に生きてきた人で、入院中も酒をせびるような人だった。今は、認知症がすすみ自分で起き上がるのがやっと。車椅子がないと移動できない。

看護師として祖母に会っていたら、間違いなくめんどくさい患者の部類に入っていたことだろう。本当に、病棟の看護師さんの言うことをちゃんと聞いてほしい。

そんな祖母はもう10年近く入院している。先日も、新たに乳がんが見つかった。母の兄はあわてふためいていたが、私も母もふーんという感じ。


そもそも、金沢へ毎年行くようになったのは、もしかしたらもう祖母に会えないかもしれないと思ったから。

糖尿病も、高血圧も、脳梗塞もやってるし、死んでから会うくらいなら今のうちに会っておきたい

という母の希望から生まれたものだ。


私の母と祖母は、一緒に暮らした期間がほとんどなく、いわゆる母娘関係とは無縁の親子だ。母は私からみた曽祖母に育てられたため、祖母との記憶がほとんどないらしい。

母は祖母をお母さんではなくお店をやっていた時のあだ名で呼ぶし、祖母は母に向かって従兄弟の名前を呼んだりする。認知症がすすんできたせいか、名前すら思い出せないときだってある。

私に至っては、その辺の誰かという認識だ。もはや家族ではない。
母の娘であることはなんとなくわかっているようだけど、記憶はまだら。
孫らしいことを何もしてこなかったせいかもしれない。


そんな母と、何年か前にこんな会話をしたことがある。


あさみ:◯◯に会いに行くのも、もう何年目…?

母:当初はこんなはずじゃなかったんだけどね。

あさみ:もっと早く逝ってしまう予定だったの…?

母:当たり前じゃない! 病気のデパートみたいな人だもん。死んじゃうかもと思って会いに行くようにしたら、意外とアレなのね。もう8年目よ!やっぱり、ストレスフリーな生活をしているのがいいのかもね。

あさみ:かもね。


特に、容体が急変した訳でもないのに、毎年会いにいっている理由。

それは、いつか祖母が旅立った時に、残される側が出来るだけ後悔しないため。完全に、残される私たち側のエゴだ。

毎年会いにいっていたという事実を作っておけば、私たちの未来を支えてくれるかもしれない。

特に、母は、親孝行らしいことを何にもしてこなかった負い目があるよう。毎年会いに行くことで、それもカバーしている気分に浸りたいだけのかも。

祖母もどこまで理解出来ているか不明だが、母や私に会うと喜んでくれる。彼女の中でも、私たちに会うことが快の刺激となっていることを願うばかりだ。

お互いが、お互いへの別れを内包したこの旅行。祖母にとっても私たち親子にとっても一種の終活だと思っている。

あの時、電話に出ていれば
あの時、会いに行っていれば
もっと感謝を伝えていれば
あんな別れ方をしなければ

こういう後悔を限りなく0に近い状態にするために、努力することは出来る。そのための旅行、そのための終活なのだ。


「いつお別れがきてもいいように」は大袈裟かもしれないけれど、大切な人には大切であることをめいっぱい示していきたい。


生きている間に。

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