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頭が悪くなりたい

あさみちゃんって頭いいんだね!

昔からこう言う風に言われるのがすごく嫌だった。

賢い、成績がいいというだけで
女子グループからは距離をおかれ
クラスの男たちは私を恋愛対象にしなくなる。

幸いにも、容姿や体型に恵まれていないので
この点の反感は買わずに生きてこれてる。


賢いとモテないことに気づいたのは小学校高学年くらいで
その頃から手を抜いて勉強していた。

当時の私は、成績優秀者でいることよりも
学校の中で過ごしやすい人間関係を保つことの方が大事だった。

たまに100点をとるくらいがちょうどいい。
正解がわかっているのに
わざと間違えた答えを書いたこともある。

今思えばその頃から
クラスの秀才組のプライドや地位を守ることに注力していた。


高校1年の9月。

夏休み後半に体調を崩して入院し
休み明け一発目の統一テスト。

退院直後で身体も頭も冴えないまま
いつものさじ加減を忘れてしまい
私は全力でテストにのぞんでしまった。

結果、全ての科目で偏差値75を超えてしまい
学年成績は700人中、3番目。

両親はすごく喜んでいたけれど
私は全然嬉しくなくて
むしろ、やってしまったという気持ちの方が大きかった。


当然のように、クラスメイトからの扱いは変わる。
これだけが理由じゃないと信じたいが
当時付き合っていた彼氏にも振られた。

職員側からは2年目からの特別進学クラスへの打診がきた。
大学の付属校だったこともあり
内部推薦やAO入試の話もどんどん来るようになった。

しぶしぶ特別進学クラスに進んだが
この中で一生の親友と呼べる友達と出逢えたので
その点はよかったと思うようにしている。



いわゆる学歴社会に反抗していた私は
もちろんこれだけが理由じゃないけれど
進路に看護師を選んだ。

受験競争から逃れたかった。
私のアイデンティティが
学歴や大学に染まってしまうのが嫌だったのだ。

ひとまずどこか大学に入って
国家資格をとれれば看護師になれる。
そのために、クラスメイトをライバルにして
のし上がるようなことはしなくていい。

私はクラスの受験ヒエラルキーから外れ
自分のペースで勉強できるようになりホッとした。
あの時の気持ちは今でも忘れない。



ただ、両親の期待を裏切るには申し訳なかった。
両親は国立大学、慶応や早稲田など
社会的評価の高い学校に進んで欲しかったらしい。

ちなみに、慶應には看護学部がある。
当時のレベルでいうと看護大学の中でトップの学校だった。

私は、両親のためだけに慶應へ願書を出し
見事、一次試験を突破する。

両親の喜びようといったらそれはもう大変なもので
受験してよかったと思った。
両親の欲求を満たしてあげられた、と。

しかし、私は慶應に進学するつもりは全然なかったので
2次試験(小論文)をほぼ白紙で出した。
(このことは今も両親は知らない)

両親は2次試験で落ちたことに落胆していたけど
私は当時も今も、結果的に今の大学に進学して
本当によかったと思っている。


===

かなり遠回りしてしまったけれど
最近になってようやく
自分の実力を出すことに慣れつつある。

バカを演じている方が生きやすいと思っていたけど
そう思うことは、もうない。

頭の回転がはやいこと、賢いことを評価してくれる人たちが
周りに増えてきたからだ。

いつも僻まれて、妬まれてきた身としては
喜んでくれる人もいるんだという戸惑い気持ちの方が大きい。

自分の中の当たり前には
なかなか気づけないのと一緒なのかもしれない。


戸惑いよりも嬉しい気持ちで心をいっぱいにして
もっと賢くなっていきたい。




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