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あなたの「綺麗」の可能性を止めているのは誰?

「綺麗になりたい」

女性なら、いや最近は男性でも。

性別の差なんて関係なく「美しくありたい」と思う人は多いはず。

でもその一方で・・・

美しくなろうとすることを、怪訝な目で見つめる人もいる。

例えばそれは、友人、という名の知り合いかもしれない。

ちょっと困るのは、それがあなたの親かもしれない。

けっこう困るのは、あなたのパートナーかもしれない。

そして、一番やっかいなケースは・・・

あなた自身の場合。

あなたが綺麗になろうとするのを邪魔したり、

否定するのが他人の場合はまだ良くて、そっと距離をおけばいい。

人は「自分と同じ、近い」と思っている人がその枠から出ようとすると

恐怖心や不安から、ときには心配から足を引っ張ったり、否定したくなるもの。

そうだよね、でも自分は「綺麗になりたいから」と、そっと距離を置けばいい。

でも・・・・

それが自分の場合は?

結構やっかい。

私自身も経験したのが

「綺麗になりたい」気持ちと

「私なんかが、なれるわけない」「なっちゃいけない」という気持ちの葛藤。

経験したことがない人にとっては「なんじゃそりゃ」かもしれない。

だけど、きっと感じたことがある人にとっては理解できる気持ちだと思う。

私は10代から20代にかけてのある時期、スカートが履けなかった。

履けないといっても、気持ちの問題で私の足は二本生えていたし事故でおった大きな傷があるわけでもない。

全くの健康的な足。

だけど、履けなかった。

「自分みたいな醜い女がスカートなんか履いてはいけない」という謎の鉄則を自分に課していたから。

そういうルールは他にもあって、綺麗になりたいけど「私は化粧しちゃいけない」「ピンクを着てはいけない」「白はダメ」「可愛い髪型にしてはいけない」「毛書品は高いのはつかっちゃいけない」

などなど本当に誰に教わったわけでもなく

自信のなさと、自己肯定感の低さから謎のルールで自分を縛り上げていた。

自分は綺麗でいてはいけないのだと。

自分は女らしくしてはいけないのだと。

その根底には

「私なんかが女らしくしたら、笑われる」

「私のような女としての価値がない人間には、スカートを履く資格がない」

全ての言葉の頭に「私なんかが」という言葉がつく。

このままじゃいけない、と私が変化しようと思ったのは20代に入って美容の仕事を始めてから。

エステサロンに勤めて、会社の化粧品を使い始めた頃。

その頃にはもう、10代の頃よりも自分に自信を持ち始めていたし、自分の容姿も中身も好きになろう、認めようとしていたけれど。

まだまだ自己肯定ができていない、と決定的になった出来事が起こる。

エステサロンで扱う化粧品はドラッグストアのそれよりも高いことが多い。

その時私が使ってた洗顔が、確か大体8000円くらい。

それを彼氏の家に泊まりにいくときに必ず持っていっていた。

とてもお肌に合っていたし、気に入っていたから。

そして私は、毎回その洗顔を彼にみられないように隠していた。

無意識に、見られないように、顔を洗ったら毎回タオルで洗顔のボトルを拭いてバッグの中にそっとしまっていた。

なぜ?

それは、値段をみられたくなかったから。

「こんな高いものを使ってる」と知られたくなかった。

こんな高いものを使っても、その程度の顔なのか、と思われたくなかったから。

ある日私は洗面所に洗顔を置き忘れて、洗顔の値段を彼氏にみられた。

そして彼に言われた一言は

「お前、こんな高い洗顔使ってるのかよ」という一言だった。

今思えば、彼女の洗顔の値段わざわざチェックしてしかも不機嫌なテンションで言ってくるなんて、お金か自分によっぽどコンプレックスのある小さい男だなあ、なんて思うんだけれど。

当時の私は、全くそんなことが見えていなかった。

そしれ彼が怒ったように放った一言よりも、もっと驚く一言を自分の口から吐き出した。

「ごめんなさい・・・」

この文章を読んでいて、意味不明な人はきっと健全な人だと思う。

だけど、当時の私の口からは謝罪の言葉しか出なかった。

一体誰に謝っているのか。

結婚もしていない、当然、財布も別。

独身の女が、自分で稼いだお金で、自分の洗顔を買って使って。

一体何が悪いんだと。

綺麗になるために一生懸命なだけで、一体何が「ごめんなさい」なんだと。

(そして、おい、元彼よ、君は一体どこにイラついたんだと激しく突っ込みたい笑)

今でこそ、そう思う。

でも当時の私にそれ以外の言葉は出なかった。

本気で思っていた。

そして「ごめんなさい」と謝ったそのときに

「私の人生このままでいいんだろうか」と思った。

このままで、いいわけ、ない。

これが自分の望んでいた「大人の女性の姿」なんだろうか、と。

時間がたち、冷静になる程「なんで謝ったんだろう」と疑問をもち

私は決めた。

自分で稼いだお金を自分が綺麗になるために使って何が悪いの?

自分にはそんな価値がないと、価値を認めず

そんな化粧品を使ったって綺麗になれっこないと未来を信じず

自分の可能性や未来を低く見積もり

見た目も、人生の可能性も「自分はこの程度」と思っていたのは

世間でもなく、当時の彼でもなく、他の誰でもない自分自身だった。

そのことに気がつけたから、今がある。

化粧品は例えにすぎない。

高いからいいとか、自分にお金をかけるのが正義だと主張する気もない。

ただ、自己肯定感が低いと自分の美容や自分の幸せのためにお金を使えない。

すごく抵抗がある。

お金だけではなく、プレゼントや褒め言葉もすんなり受け取れないし、過去の私のように謎のルールを設けて着てはいけない、やってはいけない服や色、メイクがある。

そういう謎ルールを破った先に、自由があり、楽しさや幸せ、そして自分の可能性がぐわっと広がっていたりする。

人はみんな生まれた瞬間から、たくさんの可能性や自由へのチャンスをその手に握っている。

そして、日本人は多くの場合それを自分の手で握り潰していく。

人のせいじゃない。

きっかけは他人だったとしても、選択するのはいつも自分自身だ。

頼まなくったって批判や悪口は他人が言ってくれる。

自分くらいは、自分の最高の応援団になってあげなきゃ、自分が可哀想だ。

「綺麗になること」はそのための行為自体が、自分の自己肯定感を高める行為であり、「綺麗になること」はあらゆる意味で自分の可能性を広げる行動だと思う。

それは、他の誰かが邪魔しても、自分だけは味方になってあげるべき行為。

人として生まれて、可哀想なのは病気でもなければ、貧乏でもない。

自分で選択できる自由を忘れ、人生を他人に委ね、自分らしく生きれないことだと思う。

あなたは、自分らしく生きるのに、「綺麗」をどう使う?

どうやって自分を磨いていく?

人は必ず綺麗になれる。

昨日より、今日。

今日より、明日。

最高の自分になっていくために、今日をどう過ごす?

知り合いのセラピストさんが教えてくれた素敵な言葉。

「生命の本質は成長、人生の目的は幸福の拡大」

成長し、幸せを拡大させるために。

お客様や周りの人の幸せにどう貢献できるか、それを考え行動するのかが私の成長につながっていく、と考えながら。


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