見出し画像

4度の鳥栖遠征で佐賀に行った気になっていたわたしが5度目で探した本気の佐賀


この記事は、旅とサッカーを彩るWEB雑誌【OWL magazine】のコンテンツです。通常は月額700円の有料マガジンですが、今回の記事は編集部の意向もあり、一部を除いて無料で公開します。この機会に是非ご一読ください。



まずはじめに


今回の豪雨災害で犠牲となった方へご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。


8月28日、観測史上最大を記録するほどの豪雨が九州北部を襲った。台風11号から変化した低気圧による温かい空気と、停滞する秋雨前線がぶつかったことにより生じた線状降水帯が原因だと言う。大規模な冠水や川の氾濫が各地で発生し、連日ニュース番組の冒頭で茶色く濁った泥水に飲まれた街の映像が映し出されていた。

脳裏に東日本大震災の光景がフラッシュバックする。ただ事ではないと思った。それはわたしがサガン鳥栖vsベガルタ仙台を観に行くたった3日前の出来事だった。

これほど大変な時に、最も被害の大きかった佐賀県に行っていいのだろうか。サッカー観戦だなんて、ましてや観光だなんて、呑気にそんなことをしていていいのだろうか。わたしは迷っていた。

冷静に被害状況や現地の情報を確認する。幸いにもスタジアムのある鳥栖市はさほど被害は出ていないようだった。しかし、わたしは次のOWL magazineでの記事を鳥栖編にしようと以前から決めており、それは鳥栖遠征を楽しまなければいけないことを意味していた。

不謹慎という言葉が脳内を駆け巡った。誰かに批判されるかもしれない。そんな中でわたしは心から旅を楽しめるのだろうか。

それならいっそボランティアに参加すればいいのでは?そんな安易な考えも浮かんではいた。しかし、たった1泊で、たった1人で、ただの旅行客に一体何ができるというのか。

それでもこのタイミングで現地に赴くからには何かがしたい。今までだって、日本のどこかで災害が起こる度にJリーグサポーターはみんなで支援を行ってきた。それはこの災害大国日本で、北から南まで全国に仲間が散らばっているJリーグだからこそ出来ることだ。

わたしは悩みに悩んで一つの決断をした。それはひたすら佐賀県を満喫してくることだった。特別なことではない。ただできるだけ現地のものを食べ、現地のものを買い、佐賀県の良さをたくさん見つけたい。そしてそれを記事にしてみんなに伝えよう。

こうしてわたしは豪雨災害直後の佐賀県に、わずかな不安と勝手な使命感を持ちながら予定通り向かうこととなった。


佐賀だけど佐賀じゃない鳥栖


昨年、誰もが予想だにしなかった神の子フェルナンド・トーレスのサガン鳥栖電撃移籍という衝撃のニュースが入った。Jリーグファンだけでなく、海外のサッカーファンにまでその衝撃は瞬く間に届いた。

そして、神の子移籍に胸を踊らせるわたしに更なる衝撃のニュースが届く。マッシモ・フィッカデンティ監督(当時)が、2018年7月22日のJ1第17節ベガルタ仙台戦で彼を初めてメンバー入りさせるとマスコミに明言したのである。

元々昨年は鳥栖遠征をする予定はなかった。九州遠征では初めてのV・ファーレン長崎戦があったため、毎年のように訪れていた鳥栖への熱がかなり薄れてしまっていたのだ。初めての遠征先と比べると、どうしても旅のモチベーションが上がらなかったのが正直なところだ。

しかし、状況が変わった。フェルナンド・トーレスのJリーグデビューが見られるかもしれない。しかも、愛すべき我がベガルタ仙台戦で、だ。

慌てて航空券の予約サイトで羽田空港〜福岡空港を検索する。航空券は早く予約をすればするほど安くなり、直近になると割高になる。試合の数日前ともなると、通常の何倍もの値段に跳ね上がっていた。

それなら新幹線ではどうか。

東京〜博多間ののぞみ指定席(片道)が通常22,950円のところ、3日前までに予約すればEX早得(要登録)でなんと17,000円なのである。往復約12,000円も割引になるのだ。

だが当然ながら、移動時間は飛行機の比ではないほど多くかかる。羽田空港〜福岡空港が2時間弱なのに対して、東京駅〜博多駅は5時間ちょっと。直前に福岡行きを決めた場合や飛行機が怖い人以外は、総合的に見ても空路での遠征をおすすめする。

画像1

往復11時間という大移動を経て得たものは、フェルナンド・トーレスのJリーグデビューと勝ち点3というこれ以上ない最高のものだった。

「世界中が注目する神の子トーレスの待望のJリーグデビュー戦で、空気を読まずに地味なスコア(1-0)で勝った地味な仙台」

という圧倒的ヒール感を味わうことはもう二度とないかもしれない。

画像2


鳥栖遠征をしたことがない読者は、ここまで読んでおそらく同じような疑問を抱いているかもしれない。それは「鳥栖に行くのになぜ福岡を目指すのか」ということだ。

言わずもがな鳥栖は佐賀県だ。佐賀には佐賀空港もあるし、スタジアム最寄りの鳥栖駅の隣の新鳥栖駅には新幹線も停まる。それにも関わらず福岡を経由するのは、鳥栖市の位置に理由がある。

画像3

佐賀県の東端に位置する鳥栖市は、周囲を福岡県に囲まれており、直線距離だと佐賀空港より福岡空港の方が近い。また、東京(羽田・成田)発着の航空会社が6社ある福岡空港に対し、佐賀空港は2社(1日に6便)しかない。そのため、必然的に航空券の値段も上がるのだ。

また、肝心の駅前不動産スタジアムがある鳥栖駅までも、特急を使うとたったの30分程である福岡空港に対し、佐賀空港はバスや電車を乗り継いで1時間もかかる。もはやアウェイサポーターに佐賀空港を使うメリットはほとんどない。

そんな理由から大抵のサポーターは福岡を経由して鳥栖を目指すことになるのだが、そうなると自然と遠征の活動拠点も福岡になりがちである。博多周辺のホテルに宿泊し、夜は中洲で飲み明かす。九州の盟主・福岡は鳥栖をも無慈悲に飲み込んでいるのだ

かく言うわたしも、過去4度の鳥栖遠征の全てで福岡を拠点にしてきた。美味しいモツ鍋を食べ、中洲でしこたま酒を飲み、長浜ラーメンで締める。ついでに博多どんたくを見に行ったこともあるし、太宰府天満宮も数回行った。

では、佐賀はどうか。何度記憶を辿ってみても、試合以外の佐賀の記憶が出てこない。それもそのはずだ。わたしはたったの一度も佐賀で観光をしたことがないのだから。

鳥栖というアクセスに恵まれた場所に位置する街は、その便利さゆえに佐賀の魅力を表現できずにいた。

画像4


佐賀をさがそう


わたしは5回目の鳥栖遠征にして初めて鳥栖市内に宿を取った。今回こそは佐賀での観光を充実させるためだ。大好きな一蘭(福岡に本店を構えるとんこつラーメン店)に目もくれず、博多から特急かもめに乗車すること約20分。

画像5

到着したのは、リニューアル工事をしてチームカラーが鮮やかに映えるようになった駅前不動産スタジアムの目の前にある鳥栖駅だ。

画像6

本来の目的地はここなのだが、今はJR長崎本線に乗り換えて別の場所を目指す。

画像7

鳥栖駅から4駅、辿り着いたのは吉野ヶ里公園駅。アウェイ鳥栖遠征で最も身近で、なおかつ佐賀で最も有名な観光スポットの一つである。

歴史の教科書に出てきた記憶はあるが、正直吉野ヶ里遺跡が一体なんなのかはよく分かっていない。こういうとき、自分の学の無さがとても情けなくなる。小・中学生がわたしのnoteを読んでいることはまずないと思うが、もし万が一にも読んでいるのなら、歴史の授業はしっかり聞いておくように伝え置きたい。アウェイ遠征を充実させるのにきっと役立つからだ。

画像8

吉野ヶ里公園駅から周囲を田んぼに囲まれた道を15分ほど歩くと、吉野ヶ里歴史公園があった。天気があまり良くないせいか、土曜日の昼過ぎにも関わらず混雑はしていなかった。


画像9

これ幸いとばかりに、入口で記念撮影をお願いする。このキャラクターは「ひみか」という公式マスコットだ。吉野ヶ里遺跡が3町村にまたがっていると言うことで、東脊振村三田川町神埼町の頭文字をとって命名された。

460円(大人)の入場料を支払い、受け取ったパンフレットを見ながら公園内を進んでいく。どうやらかなり大きな公園らしく、短時間で園内を全て見て回るのはなかなか大変そうだ。

画像10

弥生時代の当時の暮らしを復元した建物や施設にしっかりと説明が書かれており、予備知識のないわたしにもとても分かりやすかった。

画像11

集落の一つ一つの竪穴住居にも、その家にどのような立場の人が住み、どのように使われていたかの説明がされている。住居の中を覗くと、やたらリアルな人形たちが当時の暮らしを再現してくれているのだが、ちょっと心臓に悪いので注意が必要だ。

画像12

画像13


前回の記事の中で、わたしは昭和を探す旅をした。

昭和生まれのわたしが、古き良き昭和時代の物にノスタルジーを感じるという内容の記事だ。昭和を過ごした時間はたった3年ちょっとでも、実際にその時代を生きたのだから、ノスタルジーやデジャヴを感じるのは当然かもしれない。

しかし、この吉野ヶ里遺跡でも不思議なことに、えも言われぬ懐かしさのようなものを感じた。匂いか、空気か、はたまた光景か。その懐かしさの理由はわからないが、何か大きな温かいもので包まれているような感覚に陥った。

そう、まるで実家感。思わず「この辺も変わってないな〜」と口をついて出てきそうになるほどだ。初めて見る景色なのにとにかく心が落ち着いて、気付けば何十分もそこでボーッとしていた。

周りに民家以外何もなく、最寄りのコンビニだって車で5分。見渡す限り畑と田んぼで虫だらけだが、近所の人たちがみんなで子供たちを温かく見守っている。そんな幼い頃の故郷・茨城の情景が浮かんできた。正直スマホさえ使えればこの竪穴住居に今からでも余裕で住めそうだった。

遺跡内には発掘された墓の跡もあった。

画像14

甕棺(かめかん)と呼ばれるこの墓は九州北部特有のもので、大型の素焼きの土器に遺体を入れ土の中に埋葬していたそうだ。北墳丘墓にはこの甕棺よりさらに大きなものが何基もあり、遺構の一部が室内で保存されていた。

画像15

その大きさから他より位の高い人物の墓だとされているそうだが、いつの時代も死者を弔う気持ちは変わらないのだと感慨深いものがあった。

吉野ヶ里歴史公園のホームページにそれぞれの建物の説明や当時の生活についてが詳しく記載されているのだが、それを読んでも完全には理解できないほど歴史というのは難しい。しかしながらその歴史を経て今の暮らしや自分が存在しているのは紛れもない事実であり、今一度日本史をしっかり学びたいという気持ちが生まれた。

「勉強しろ!」と言われなくなると勉強したくなるあの現象は不思議だ。学生時代はあれほど嫌いだった勉強も、今は自分の無学を悔いるばかりになった。それでもこうして今Jリーグのおかげで地理や歴史に興味が持てるようになったのだから、やる気さえあればきっといつからでも学ぶことは可能なのだ。



トーレスのいない鳥栖に負けたって本当れすか?


試合も差し迫ってきたので鳥栖駅まで引き返すと、ユニフォームを着た両サポーターが続々とスタジアムに集まってきていた。

画像16

駅前不動産スタジアムはJリーグのスタジアムの中で最もアクセスが良いと言える。何せ鳥栖駅から徒歩5分ほどなので迷いようもなく、地域に合ったコンパクトでとても良いスタジアムだ。

画像17

ちなみに、我がベガルタ仙台のホームであるユアテックスタジアムも、駅前不動産スタジアムに次ぐアクセスの良さである。駅スタ同様、電車内からどんどん近づいて見えてくるスタジアムというのは高揚感を高めてくれる。

画像18

大きなウィントスくんが目印のスタグル広場を散策する。水色のユニフォームがひしめき合う中を一人ベガルタゴールド(端的に言えば黄色)で闊歩するのは少し勇気が要るが、わたしはどうしても佐賀っぽいものが食べたかった。

辺りをキョロキョロ見渡しながら、当然ビールにも合うものをと探し回って選んだのはこれだ。

画像19

大盛りのキャベツと麺が薄焼きの生地で包まれ、大きな目玉焼きがどんと載せられた、いわゆる広島風お好み焼きだ。お好み焼きに佐賀のイメージは全くないだろう。しかし、実はこれにはA5ランクの佐賀牛の牛すじ煮込みが入っているのだ。

ソースの甘さとはまた違う、甘辛く煮込まれた牛すじの食感が良いアクセントになっている。味は濃い目だがしつこく感じないのは、たっぷりと蒸し焼きにされたキャベツのおかげかもしれない。これでたったの500円というから、コスパが良いにも程がある。

画像20

たまたまかもしれないが、わたしの過去の鳥栖遠征はほとんどが雨だった。したがって、恒例のビールの写真の背景にも、いつもどんよりとした灰色の雲が垂れ下がっている。この日も今にも降り出しそうな雨雲がすぐそこまで来ていた。

リーグ戦は年間で34試合ある。どんなに圧勝しても1試合で得られる勝ち点は3だけで、逆に惨敗しても勝ち点が引かれていくことはない。それは開幕戦だろうと最終戦だろうと変わらない。

それでもリーグの終盤に差し掛かってくると、それぞれのクラブの立ち位置から、勝ち点の重みや意味合いが変化してくる。残り10試合を切った第25節のこの試合で、サガン鳥栖とベガルタ仙台は厳しい残留争いの渦中にいた。

画像21

6ポイントゲームという言葉がある。前述の通り、どんな試合内容であっても得られる勝ち点の最高は3でしかない。しかし、優勝争いや残留争いのライバルとの直接対決となると、相手を突き放す価値があるという意味でこう表現される。

我々はその6ポイントゲームを落とした。しかも、逆転負けという考えうる中で最も残酷な形で。鳥栖サポーターの悲鳴にも似た歓喜の声が轟くスタジアムで、わたしはしばらく一人で動けずにいた。外は雨が降っていた。


思いがけずに傷心旅行


眠れなかった。悔しくて、目を閉じると昨日の試合が鮮明に浮かんでくるのだ。はっきり言ってDAZNの見逃し配信より優秀だ。思い出したくもないハイライトシーンだけを見事に切り取って流してくれるのだから。

それでも朝6時にホテルを出た。こんなに早くホテルをチェックアウトしたのは初めてかもしれない。しかしわたしにはこの時間にホテルを出なければいけない理由があった。

静けさを取り戻したスタジアムを背にして、JR長崎本線に乗り込む。

画像22

数日前、豪雨で冠水してニュースになっていた佐賀駅に着いた。ホームから辺りを見渡してみても、今は穏やかな何の変哲もないの駅前のようにしか見えず、あのニュースの光景が嘘のように思えた。

そこから短い車両のJR唐津線に乗り換え、1時間ちょっとで唐津駅に到着。地図を見てみると佐賀県の東端にある鳥栖市からかなり西に移動したことがわかる。

画像23

駅を出ると外は土砂降りだったが、意を決して10分ほど歩いて唐津バスセンターに向かった。目的地はまだずっと先なのだ。

画像24

ここから貸切状態のバスに乗り、山道を登ったり下ったりしながら30分ほど揺られていると、ついにこの日の目的地呼子に到着した。鳥栖駅を出てから3時間近くも経っていた。

画像25

玄界灘に面する東松島半島の北端に位置する呼子町は、新鮮なイカを代表する漁業が盛んな町だ。中でも呼子朝市は、勝浦・輪島とともに日本三大朝市の一つに数えられている。

画像26

雨天の影響か、それとも少し時間が遅かったからか、人通りはさほど多くなく、活気はあまり感じられなかった。しかし風情のあるレトロな通りの軒先に並んだ様々な海産物は、見ているだけでワクワクした。

画像27

しばらく歩いて行くと、通行人が揃って足を止めるお店があった。そこでは朝採れたばかりというウニやアワビが売られていて、目の前で店のお父さんが捌いてくれるのだ。

画像28

若いカップルがビールを片手に幸せそうにアワビを頬張っている。これは素通りするわけにいかない。思わずわたしもアワビとウニを注文した。

『オスとメスがあるが、どっちにすると?』

方言の言い回しは間違っているかもしれないが、このようなことをお父さんに聞かれた。アワビにもオスとメスがあるのかと、よくよく考えれば当たり前のようなことにハッとする。メスの方が柔らかく食べやすいそうなので、メスをお願いした。

ビールは当初飲むつもりがなかったのだが、店のお母さんに勧められて向かいの店で買ってきた。朝からビールを飲むというちょっとした罪悪感は、誰かから勧められたという免罪符をずっと待っていたのだ

ビールを受け取って戻ると、お母さんがまな板とバケツで簡易的なテーブルを作ってくれた。お父さんとお母さんの間に挟まれて座り、まるで店の一員になったように引っ切りなしに通る通行客を眺める。午前9時からこんな贅沢な呼子モーニングを堪能できるだなんて、今にもバチが当たりそうだ。

画像29

柔らかいメスのアワビだが、しっかりとした弾力と歯ごたえも感じられるのは、採れたてで新鮮だからだろうか。程よい海水の塩気と甘みのある九州しょうゆがアワビの味わいを絶妙に引き立てていた。そこにとろけるようなウニを合わせると、口の中でちょっとしたパニックが起こる幸せの大渋滞だ

画像30

その間も、お父さんがわたしを気遣って何度も話しかけてくれた。どこから来たのか、誰と来たのか、何しに来たのか。方言が強くて聞き取れない部分も多々あったが、お父さんの優しい笑顔と気遣いがとにかく嬉しくてたまらなかった。

わたしもお父さんに尋ねる。呼子のこと、お父さんのこと、そして今回の災害のこと。こんなに温かくて穏やかな世間話がかつてあっただろうか。このお父さんの笑顔が1分1秒でも長く見られるようにと、普段ほとんど使うことのない「お元気で!」という言葉を残して、わたしはその店を後にした。

画像31

プリプリと弾けるようなヤリイカの唐揚げも、これまたビールには最高の組み合わせだ。このままスタグルとして出店してほしいほどの抜群の安定感だった。

呼子朝市で最も賑わいを見せていたのが、このいかプレスせんべいだ。

画像32

呼子名物のイカをまるごと大型のプレス機でプレスしたせんべいで、とにかくインパクトが抜群である。1枚焼くのに5〜10分程かかるため、悪天候ではあったが店先に人が並んでいた。何度かのジューッという音を経て完成したいかプレスせんべいはこの大きさだ。

画像33

まるで化石のようにせんべいに埋め込まれたイカの姿がシュールで、思わず写真を撮りたくなるようなフォトジェニックさだった。これだけ大きいのでお土産として持ち帰りたかったが、すぐに湿気てしまうらしくその場で食べることを推奨しているそうだ。


朝市のすぐそばにマリンパル呼子というクルージング施設があったので行ってみることにした。

ここからは半潜水型海中展望船のジーラと、七ツ釜遊覧船のイカ丸が出港している。わたしはイカ丸を選び、佐賀の観光名所の一つである七ツ釜を見に行くことにした。

画像34

写真では分かりにくいが船尾の部分がイカの足のデザインになっている。船はまだピカピカで新しく、船内はスッキリとしたシンプルな作りで、トイレも完備されていた。しかし、まさかの座席に大きな落とし穴があった。

画像35

たまたまか、それとも意図してなのかはわからないが、どう見てもサガン鳥栖カラーのシートだった。容赦なく昨夜の傷をえぐってくるイカ丸。鳥栖市から遠く離れた港町の呼子町でも、町をあげてサガン鳥栖を応援しているのか。恐るべしサガン鳥栖、恐るべしイカ丸。

予想はしていたが、船内は家族連れしかいなかった。とても肩身が狭い。これもアウェイの洗礼というやつかもしれない。

雨は降っているものの、波が穏やかだったのは幸いだった。船の操縦士が周辺の島や呼子大橋の説明をしつつ、20分ほどで七ツ釜にたどり着いた。

七ツ釜はその名の通り7つの釜状の洞窟が並ぶ崖である。玄武岩が玄界灘の荒波によって侵食されてできており、国の天然記念物にも指定されている。

画像36

船が七ツ釜に近付いていくと、わたしはこの洞窟を形成している玄武岩に目を奪われた。

画像37

画像38

その全てが長い柱状の岩で、それが幾重にも重なって崖になっていたのである。誤解を恐れずに言うと、とても不気味に感じた。恐ろしさすら覚えた。こんな形状のものが自然に出来るというのか。

慌てて調べると、この現象は柱状節理というものらしかった。マグマが冷却固結するときにできるひび割れのようなもので、玄武岩では五角柱や六角柱として現れることが多いそうだ。まるでサッカーボールだ。

思いがけず出会ったこの柱状節理の玄武岩を、七ツ釜から戻る船の中でもしばらく検索し呆気にとられていた。この世界にはまだまだわたしの知らないものがたくさんある。地球とはなんて美しいのだ。ありがとう、イカ丸

画像39

こうしてイカ丸と柱状節理の余韻に浸っていたわたしは、肝心のイカのお造りを一切食べることなく呼子を後にした。本当に完全に記憶から抜け落ちていたのである。ここにきて信じられないような大失敗をしてしまったが、次ここを訪れるときの楽しみに取っておこう。

呼子から唐津に戻り、最後に目指すのは唐津城だ。

例に漏れず、ここがいつできた城で誰が作ったものなのかも全く知らない。だが、観光地なので行かない理由もない。松本城だって名古屋城だって、何の城だかよく分からずに行ったのだから

唐津バスセンターから徒歩10分ほどの距離に唐津城はある。雨はほとんど上がっていたので、散歩がてら向かうのも苦ではない。そうして歩いて、頭上に唐津城が見えてきた頃だった。

画像40

「ニャー」

猫がいた。毛並みは綺麗だが野良と思われるのその三毛猫は、器用に水たまりで水分補給をしていた。

思わず足を止める大の猫好きのわたし。わたしに気付く猫。数秒静かに見つめ合った後、わたしはその場にうずくまり、猫が再び小さく鳴きながらわたしに近寄ってきた。

画像41

小柄で可愛らしいメス猫だ。人馴れをしているので、もしかしたらこの辺の人に面倒を見てもらっているのかもしれない。触っても怒るどころか、スリスリと擦り寄ってくる。

画像42

しばらく撫でていると、いよいよお腹を見せて寝転びだした。警戒心ゼロである。野良猫が短時間でこの状態になることは非常に珍しい。

「もうよく分からない唐津城なんて行かなくていいんじゃないか」

このまま猫を愛でていたい、この瞬間がずっと続けばいい。サラリーマンが妻に内緒で出張先でキャバクラに行くような感覚だろうか。わたしは家で待つ2匹の愛猫を脳裏に浮かべながら、目の前の野良猫を無心で撫で続けた。

すると、野良猫越しに遠くに小さな影が動く。目を凝らしてみるとそれは、2匹の子猫だった。

画像43

わたしが撫で続けていた猫の子どもと思われる2匹の子猫は、一定の距離を保ちながらわたしをじっと見つめていた。

「もうダメだ、もうここから動けない……」

唐津城にたどり着く前に、わたしはこの3匹の猫が在籍する「Club 唐津城」に夢中になっていた。

そうこうしているうちに、無情にも時間は過ぎていく。帰りの飛行機の時間を考えると、ここで油を売ってもいられないのだ。わたしは泣く泣く立ち上がり、この日2度目の「お元気で!」を心の中で猫に伝えた。

画像44

画像45

唐津城を半ばやっつけ感で足早に散策し、後ろ髪を引かれる思いでわたしは福岡空港を目指した。


TRAVEL is TROUBLE(トラベルイズトラブル)という有名な言葉がある。旅にハプニングは付きもので、得てして理想通りにはならない。予定調和なんてものはないのだ。

本来ならわたしはこの鳥栖遠征の記事を、引退したフェルナンド・トーレスにかこつけて書く予定でいた。しかし、直前に起こった豪雨災害により、記事のテーマも旅の予定も大きく変えた。

災害なんてものはないに越したことはないし、苦しむ人なんていない方がいい。だが、それでも天災に逆らうことはできない。だとしたら、起こってしまったときに一体何ができるのか。

わたしは今わたしに出来ることをと考え、とにかく佐賀を全力で楽しんできた。美しい景色を見て、美味しいものを食べ、素敵な佐賀の人たちとたくさん話をした。

そして気付くと、あの敗戦により佐賀でついた心の傷を佐賀に癒してもらっていた。佐賀のために出来ることをしに行ったはずなのに、佐賀の街や人に優しくされて帰ってきたのだ。

これだから遠征はやめられない。何度負けたって、どれだけ心を痛めたって、敗戦のショックはいくらでも現地でリカバリーできるのだから。いろいろ迷った旅ではあったが、本当に心から行って良かったと思えた旅だった。

また来年J1の舞台で対戦できるよう、ここから奮起して前を向いていく。そして来年こそは、呼子で新鮮なイカのお造りを食べるのだ


画像46

余談だが、やはり一蘭の釜だれとんこつは美味しかった。


ベガルタ仙台サポーター・峰 麻美

【Twitter】https://twitter.com/asmxxxtsy

【Instagram】https://www.Instagram.com/asaaaaami.0702


これより下は有料会員の方のみお読みいただけるおまけです。月額700円で月15〜20記事が読み放題ですので、【OWL magazine】に興味を持っていただけた方がいましたら、是非ご購読をお願いします。

ここから先は

555字 / 5画像
スポーツと旅を通じて人の繋がりが生まれ、人の繋がりによって、新たな旅が生まれていきます。旅を消費するのではなく旅によって価値を生み出していくことを目指したマガジンです。 毎月15〜20本の記事を更新しています。寄稿も随時受け付けています。

サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?