ただいま、note。おめでとう、2000本~習慣~

きのう、私が好きなYouTuber水溜りボンドの2000本目の動画が投稿された。

トミーとカンタの二人組として活動しており、2015年1月1日から毎日ー1日も欠かすことなくー動画を投稿し続けている。

2000本目は、3時間以上ひたすら、今までの動画の冒頭部、挨拶をしている部分、をつなぎあわせたものだ。「はいどうも水溜りボンドです。よろしくお願いします、ね、毎日動画頑張っていきましょうということでね」とはじまるのだが、ただ挨拶をみるだけでも、彼らの努力真面目さ続けることの大変さ、歩み、成長、進化(カンタは深化といっていた)などがわかる。

私は、おととしくらいに初めて彼らの動画をみたので、最初からみていたわけではない。しかし、3時間以上ひたすら挨拶が流れる動画を眺めていて、思わされるものがあった。

学生時代、テストで大失敗したとき、部活で試合のメンバーに選ばれなかったとき、「明日から毎日○○するぞ」と決心するものの、一個も続いたことがない。

何度も失敗して、習慣化することの大変さ、難しさ、自分の怠惰さを想う。

先の見えない毎日。家にいることが多い日々。自然と本を読む機会も増えてきた。小学生のとき、国語の先生が薦めてくれたアランの『定義集』をふと手にした。小学生のときはもちろん、中高と何度か開いたものの、特に薦められた理由がわからなかった。ただ単語にアランの定義が載っているだけの本。

今もはっきりその理由が言語化できているわけではないが、こういうとき、言葉に立ち返るというのは、少しいいものな気がする。

試しに、習慣という項目を引用してみる。

習慣(HABITUDE)
考えずに行動するすべ、しかも考えてやるよりもっとうまく行動するすべ。習慣の効用が知りたいのなら、まず、訓練を積んだことのない人をひどく苦しめる恐怖、拘縮(こうしゅく)、そして自分に対する激高の状態に注意する必要がある。習慣は筋肉の活動を分割し、働く必要のないものは休ませる。だから、困惑も遠慮もなしに、否、困惑や遠慮に対するどんな恐れもなしに、迅速で柔軟な行動が可能となるのだ。習慣は風習と同じものではない。なぜなら、風習はいくつかの行動を容易にするけれども、すべての行動をというわけではないから。

訓練を積んだことのない、僕のような人は、ひどく苦しむ、恐怖、拘縮、そして自分に対する激高の状態に注意しなければならない。ほんとにそうだな。

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