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日々の中で(2)

これは私の過去経歴を追っていく記事です。日々の中で(1)を読んでから、またこちらにお越しください!

ピアノ始めてみた!

 中学校に進学し、小学校からやっていた野球と並行して『ピアノ』を新しく始めました。今思えばこれも後に関わる出来事でした。

 8歳年下の弟が保育園の発表会でキーボードを使うことになり、その練習用として突如、電子ピアノが家に現れたのです。その時一緒に付いてきた「クラシック名選」みたいな楽譜集の一番簡単な「メヌエット」という曲を理由もなく、独学で弾き切ったんです。
2ヶ月くらいかけて。
面白かった、ただそれだけの理由で。
それを傍らで見ていた両親が感心してくれたらしく、引き続き頑張ることを条件にピアノ教室へ通うことを提案してくれました。

 大尊敬している先輩や超絶ピアノが上手い従兄弟も通っていた教室が近くにあったので即決でそのピアノ教室へ。入塾後、最初に弾いた曲もクラシックでしたがどうにも私の『耳に』というより『指に』合わなく、先生と話し合った結果、好きな曲を弾くことにしました。

高すぎるハードル

 その頃は久石譲さんに大ハマりしていたので「あの夏へ」という曲を最初の発表会で弾くことになり、日々練習を頑張っていました。中々の難度で先生も最初は心配していましたが無事に弾く事ができ、次の曲の練習も始めようとしていました。

 そんなある日、当時中学3年生。突然合唱のピアノ伴奏を任されました(ピアノ歴2年)。同じクラスの同じピアノ教室に通っていた友達が私を推薦してきやがりました。当然嬉しいことです。ですが曲が曲だったんです。最高に難しい合唱曲『虹』です。ピアノ歴2年が弾けるとは思わない至難の曲です。

 火を、泡を、多分、臓物も吹いてしまったのかと思う程練習しました。夏休みの毎日、ピアノ教室に通いました。そして合唱発表当日、見事に弾ききり、私がピアノを弾けることなど知らない人からも沢山の賞賛を頂きました。それがめちゃくちゃに嬉しくて楽しくて、自分の演奏が努力が認められた時のあの快楽は生まれて初めてでした。この快楽が依存性を持っていて、
執拗に私を音楽の世界へと誘います…。こわいこわい。

人生の転換、軽音楽部

 中学で仲良くしていた友達のK君が高校でも一緒でした。部活について話していた時、偶然彼と私はロックバンドが好きだったので彼が「軽音楽部入ろうよ!」と誘ってくれました。音楽しようよ、と。

 私は小学校から中学校までみっちりと野球をしていて、県内でも大注目、とまではないですが、まぁまぁ期待値は高かった選手でしたので高校でも野球をやるだろうと周りからは思われていました。ですが、中学最後の大会で大ミスをかまして負けてしまい、言い訳ですがトラウマになってしまいました。始めた当初から「甲子園に行きたい!プロ野球選手になりたい!」とは思っていなくて、ただただ野球が大好きだったのでこの大ミスが『一種の辞め時』と思ってしまいました。

 そんな考えとのタイミングもあって、K君からの誘いは更に私を音楽へと引き摺り込みました。結果、高校は3年間『軽音楽部』なる部活で音楽に入り浸っていたのですが…。なんと

高校入学当初、「軽音楽部が無い!?」


〜日々の中で(3)に続く〜

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