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本音のブラック

灰色の空。降水確率は、40パーセント。うーん傘を持っていくかどうか悩んだ。アパートのベランダから空を見上げていると、

「どうしたんだい?コーヒー冷めちゃうよ。」朝食後に彼はいつも、お揃いのマグカップにミルクを多めのコーヒーを入れる。

「雨が降るかどうか、空に聞いてたの。」

「で空はなんて答えたの?」何だか幼稚園児の会話のようで、クスッとわらう。

「その時の気分次第だってさ!」私はイタズラっ子のように笑って、テーブルについた。

かぐわしいコーヒーの香りが、朝には心地よい。ミルクたっぷりなのは胃を壊さないためだと彼が言うが、本当にそうなのかはわからない。

湯気の中で笑う彼の優しい顔が一番好きだ。

「じゃあなたの気分で持っていくどうか決めたら?」徒歩15分。街の小さなパン屋が私の職場だった。2交替制、今日は、遅番だった。

パンは焼きたてが命だと店長は言う。しかし、ほとんどは、焼いてから、数時間経つものを、口にする。

だからこそ、焼きたてが並ばなければお客さんの口に入る頃には美味しくなくなるというのが口癖だった。

「うーん、じゃ持っていくのやめた。」昨日パン屋で少し焦げた廃棄するのをもらってきていた。それでも十分である。デニッシュが少し焦げただけで廃棄されるのが可哀想で、こっそりもらって帰るのだ。朝食後にそれらはコーヒーのお供になる。

「雨に濡れるのも、たまにはいいよね。」彼は降ると確信を持つ。

しかし、今日は、降るとも、降らないとも言わない。


彼は私の家に、突然現れた逃走中の香りがする人だった。何かに追いかけられ、仕事帰りの私を押しのけて、うちの中に入った。

大声で叫べば誰かに見つかったに違いない。

しかし、私は叫べなかった。顔から血が出ていた。体が震えていた。だから、小さい子を抱きしめるように彼の肩に手をやり、うちの中に入った。

明るいところで見ると、まだ、未成年のように見えた。

とりあえず、怪我の手当をする。病院に行かなきゃと言うが、彼は私の手を握って首を横に振る。

仕事帰り、もらってきた売れ残りのパンをコーヒーと共に出す。

彼はそれに何日も食べていない子供のようにがっついた。

あれは、桜の季節だった。


傷が良くなるまでという約束で家に居させることになった。



あれから、3ヶ月。

彼は私の家にいる。

社会人としての役目は果たしていない。ただ、掃除、洗濯はきちんとする。料理は、あまり得意ではない。しかし食後のコーヒーは、彼の大切な役目だった。


テレビは、嫌いだと、静かなジャズを流す。きっといいとこの御曹司ではないかと思ったが、私は何も聞かなかった。

朝だけは世の中のニュースをみるため、テレビをつけた。「世の中なんてデタラメだ。」それが彼の口癖だった。


「じゃ、私そろそろ行くね。帰りはおそくならから夕飯適当に食べて!」

そう言うと静かに頷く彼は私の肩をそっと抱きしめた。

「今日の日を忘れない。行ってらっしゃい!」

意味深な事を言われてしまった、玄関のドアは閉まる。


何なんだろう。今の言葉、仕事中も脳裏をうずうずさせた。そして、もしかすると、今日本来いるべき世界に戻るのかもしれない。という結論に至った。

昼過ぎから、少し小雨が降っていた。駅近くのコンビニでビールを買った。そして


家へ向かって歩き出すと、小雨がどんどん大粒の雨になった。

身体中雨が流れ天然シャワーをあびているようだった。

家の玄関をノックする。やはり彼は私の前からきえたのだ。ドアの前で力尽きたように座り込む。

「あー、やっぱ傘持っていくんだったね。」見上げると、また顔がボコボコの彼が立っていた。しかし、3ヶ月前とは違い、明るい顔がそこにある。

「何これ?また顔がボコボコじゃない!」

「風邪ひくよ!とりあえず中に入ろう!」


体をシャワーで流す。かぐわしいコーヒーの香りが涙を誘う。

服を着替え、テーブルの前に座る。彼の顔はボコボコで、それでも何故か晴れやかに見える。応急処置はされてはいたが、痛々しい。

私はコンビニで買った缶ビールを一気に飲む。

勢いづいたところで、

「もうそろそろホントのこと話して貰えない?3ヶ月ずっと一緒にいながら、君は名前を言わない。私もずっと聞きそびれてたからだけど、」

「そうだね。1週間のはずが、居心地がよくて、そして何も聞いてこないあなたに、僕は、少し甘えてた。申し訳ない。

あなたは、僕の素性を調べたら、すぐ出ていこうと思ってた。だけど、あなたは何も聞いてこないし、詮索しなかった。あの日から3ヶ月。今日ようやく、プロボクサーになれたんだ。

あなたは勤務がバラバラだったから僕がジムに通っていても、ほとんど気がついてなかった。どこに行くの?とは、聞くが散歩と言うとそれで終わり。今は感謝の気持ちでいっぱいだよ。親たちは僕がボクサーを目指すことを反対してた。うちは小さいネジを作る工場を営んでて1人息子の僕は、いつも小さい頃から、跡取りだ!って言われて育った。小さい頃は、そうかなぁなんて思ってたけど、ある日友達に誘われボクシングの試合を見に行ったんだ。最初から、勝ち負けは、はっきりしていた。勝ち目のない相手に立ち向かう姿に、僕は、感動した。それからジムに通って1年。試合をする機会が与えられた。それがあの桜の季節だった。」彼は遠い目をした。


「そして、立ち向かって、ボコボコされちゃった。でも、何で?あんなに追い詰められた顔してたの?負けてもいいじゃん。勝つ人が居れば負ける人もいる。それが真剣勝負でしょ!」


「あなたは正論だと思う。しかし、負けたら工場を継ぐと、親父に約束させられて、それでも諦めきれずにあと1度だけチャンスをと、土下座したが、ダメだった。だから、親父を突き飛ばし走りに走ったらあなたがいた」

「て、言われても何だか映画の1シーンのように思える。だから、かなぁ何も聞かなかった。のは。あの追い詰められた顔が全てを伝えていたように思える。私もさ、失恋したばかりで、気が動転しちゃってたんだわ。慣れない仕事にも少し疲れていた。そこに舞い降りた救世主があなただった。で今日の朝あんなこと言うから、もう帰るんだと思ってた。雨が涙雨になったの。」

もう一本ビールを開ける。

「ねえ今日は、運命戦だったんでしょ?」

「そうだね。最終ラウンドまで殴ったり、殴り返されたり、五分五分だった。もうダメだと思うとあなたの顔を思い出す。すると立ち上がれるんだ。まさしくあなたは救世主だった。最後の1発が相手に打撃を与えて倒れたんだ。」


外は激しく雨が降っていた。何もかも洗い流すように。

「おめでとう!あのさ、もうそろそろ名前きいてもいいかな。君とあなたじゃない。そんな関係になりたい。友達でもいい。」

私は顔を赤らめた。ビールを飲んだせいかもしれないけど少し勇気を出して、聞く。

「私は麻美、24。」彼は私の目をじっと見つめる。

「そうだよね。何も聞かないから、僕のこと興味無いのかと思ってた。」

「バカ!興味無いなら、とっくに追い出してる。」私はまたまた顔が熱く赤くなった。

「君がいたから、頑張って来れたんだよ。1週間ひと月になり、それがずっと続くことを願ってた。だから、君じゃない個人として、これからは付き合えたらいいなぁって、」

いつの間にか彼は私の肩をだいていた。

「麻美、ありがとう。僕は、いつもそばにいて笑う麻美にいつの間にかこがれていた。何度も想いを伝えようとしたけど今まで勇気が出なかった。僕は義彦、25.ようやく夢に向かって動き出した。僕これからもここにいていいのか。」2人見つめ合い、笑いあった。

「義彦のコーヒーが飲みたい。」

彼は立ち上がってコーヒーメーカーをセットする。今はブラックの気分だった。何も飾らない気持ちをさらけ出したいような。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。