ライブリー・シスターズ
あたしは不安だった。
この物語を読むことに、みんなはどう反応するのだろう。
自分はこの、染谷くんと佐倉さんのうちのどちらになるだろう、と。
ううん、それよりも……
この仕事がもしうまく行ってしまったら、愛するサナちゃんと離れ離れになるのだろうか。
そんなことを思いながら、舞台袖で台本を握りしめていた。
うちの事務所は、「アイドルになれば何でもできる」というのをポリシーにしていて、この朗読劇もみんな、二十代の女性アイドルが出る。
「『染谷アルトは、古くからの幼馴染である。男のクセに色白で、背がいつまでも伸びないだの、声がなかなか低くならないだのというのをよくからかわれていた』……」
吉良すみ子さんのいる「澄(すみ)プロダクション」への移籍の話が出てる、なんて知ったらきっと、サナちゃんは悲しむだろう。
「……『本当は、心の中で孤独を感じていて欲しかった。群れの中で生きる女の子のように』」
だってこんな台本、自分で全部書けるわけないじゃないか。
普段本が嫌いで読まないあたしが、こんな言い回しの文章なんて書けるわけがない。
これ、半分以上はサナちゃんに手伝ってもらいながら書いてたのに。
「……『あの子の体が女だったなら、あたしは絶対友達になったのに。
そんなことばかり思っていた』……」
あぁ、違うか。
悲しいのはきっとあたしだけだ。
サナちゃんは負けず嫌いな子だった。
人一倍時間の管理に厳しくて、細かい気遣いもして。
それに、何よりも挨拶がちゃんとしている。
そんな彼女は、あたしが最近、ピンで女優さんっぽい仕事をもらうと怒る。
本人はそれ、隠しているみたいだけど。
でも……本当の気持ちなんて、きっと本人にしか分からない。
あたしがちょっと前までお枕営業なんてことをしてた時の心なんて、きっとサナちゃんは知らないのだ。
あんなものよりずっと、サナちゃんとハグする方が安心して。
サナちゃんとするセックスの方が気持ちよくて。
そのことに自分自身で驚いて、戸惑っているだなんてことは。
一応説明しなきゃ駄目な気がするんだけど……初恋の人は、あくまでも男の人であって。
同性に対しては、頑張っても「大切な親友」ぐらいにしか思っていなかった。
サナちゃんもそうだった。
本来はただの仕事仲間だし、時々はライバルとして争うような相手である。
だから本当は、友達だと思うことすらいけないかもしれないんだけど。
あの眼差しを向けられると、あたしは動けなくなる。
背中に手を回されると、腰の辺りがくすぐったいみたいな感じになる。
唇にキスしたい、と言われると、嫌だなんて言えない。
それどころかもっと欲しくなって、心が渇いたみたいになって、無理矢理にでも舌をサナちゃんの口の中に入れたくなる。
涙は出ない。
サナちゃんの前でそんな情けない姿は、そう簡単には見せられない。
でも、その代わり……胸が少しこすれるだけでもヒリヒリと反応しだして。
いかにも女の子です、みたいな体にされてしまう。
エッチなとこからエッチなモノが溢れて……それがお風呂上がりの、パジャマを着たばっかりの時だったりすると、どうしてって思う。
それをどういう言い方で言えばいいか、最近少し分かった気がする。
あたしは、缶詰の果物みたくされるのだ。
シロップ漬けにされて、息もできないで溺れて。
やがてサナちゃんに食べられてしまう。
その、息もできないあたしのことを缶詰のままで眺めているのがファンだとしたら、サナちゃんはとても意地の悪い人だ。
この心が空っぽになってしまうのなら、それでよかったと思っていたのに。
あの子はどうして、同じアイドルなんだろう。
「ん……んっ……」
駄目……
寂しい。
虚しい。
胸の奥が切ない。
体の真ん中は甘い匂いがして、灼けるみたいだっていうのに。
ひとりは……ひとりぼっちは嫌なんだ。
「天野?」
「っ!」
タヌキ寝入り……って言うんだっけ?
そうやってごまかそうとしたけど、どうもしつこい。
「眠れないの?」
どうしよう、気まずい。
出先のホテルで、藍里ちゃんの隣のベッドで、下だけすっぽんぽんでオナニーしてました、なんてことは藍里ちゃん本人に言えない。
「枕が変わると眠れないって奴?」
「は……ぅ……っ!?」
何であたしのベッドの端っこに座るの!?
「藍里ちゃん」
「ん?」
「……あっち行って」
渋々、藍里ちゃんはベッドから立ち上がった。
でも、何かが足に引っかかったのか、藍里ちゃんはそれを持ち上げた。
「……おぱんつ……?」
あたしはとても死にたくなった。
すぽっ! といういい音を立てて、オレンジジュースの蓋が開く。
「沖縄で瓶ジュース。糖質たっぷりで罪よねぇ」
おあがり、と言って差し出された瓶はとても冷たくて、あたしはますます涙が出た。
リビングの隅っこでマネージャーさんが寝ている。
とても、悪いことをした気分になった。
「ごめんなさい……」
「は?」
「藍里ちゃん、二十六歳処女なんでしょ? 知ってるもん……」
「……それは……そこで『枯れたアラサーの処女』とか言わないだけマシなのか? いや、でも……私が何も知らねぇ奴だみたいに思われるのもなぁ……」
まぁどっちにしろあれよ、女の子だってそういうことする生き物だって分かってるよ、と藍里ちゃんは言った。
彼女は、昼間よりも美人に見えた。
ポニーテールを解いた黒髪は、ヤマトナデシコって感じがして綺麗だった。
カーテンを開け、外の景色を眺めながらソファに座っている様子は、普通なら見とれてしまうものだ。
「……大地と一緒じゃないのは寂しい?」
「え……?」
「だってあなた、事務所で会うといっつもうるさいじゃない。サナちゃん、サナちゃんって」
瓶に直接口をつけて、オレンジジュースを飲む藍里ちゃんが羨ましい。
こんな感情、知らない方が……生きてて辛いなんて思わないのかもなんて。
あたしは……サナちゃんが好きすぎて苦しい。
それがあと何年……ううん、あと何ヶ月持つんだろうと、とても怖い思いをする。
でも、もっと怖い思いをしているのは……
「大丈夫。あなたもう大人なんだからさ、大地がいなくたって仕事やれたじゃない」
うん、と一応うなずくけど、自信なんてさっぱりなかった。
「……私が頼りなさすぎってのもあるけど」
「違うの」
藍里ちゃんは先輩だから、堂々として素敵だと思う。
でも……そういう話じゃない……
「もう、どうしたんだよ? 私、こんな元気じゃない天野って見慣れないから、どうすりゃいいか分かんなくなっちゃうだろ?」
タオルで涙と鼻水を拭くけど、胸の内はずっとざわついている。
「……藍里ちゃん」
月明かりの下で、透明な瓶がかすかに光っていた。
「アイドルやってる人間って、約束を果たす……みたいなことはできないのかな」
「はい?」
「たとえこの感情が失われても、ずっとそばにいると誓う……特別な約束」
この苦しみは、甘酸っぱい味と一緒に飲み干してしまおう。
朝早く起きて、ホテルの朝食バイキングに手を伸ばすけれど……藍里ちゃんには、やっぱりあたしが元気ないように見えるらしい。
「昨日……そういえば、ベタなこと言わなかったね」
「あぁ、何? 夜中にジュース飲んだ時のこと?」
隣の藍里ちゃんは朝っぱらから、スクランブルエッグだのサラダだのをごちゃごちゃと皿に載せていた。
すっぴんではあるけど、他はいつもの「ポニテの藍里ちゃん」だった。
「ベタなことって……何だ? まぁいっか」
藍里ちゃんや、他のアイドルたちとのユニット……『Lively Sisters(ライブリー・シスターズ)』と名付けられた意味って何だろう。
ふと、そんなことを考えていた。
「そういや……あの時さ、あーこれか、女友達がいるのってって思った」
「……ボクら、本当は友達みたいにつるんじゃ駄目なんだけど」
「いいじゃないのこれくらい」
「そんなんだから、朝比奈夏希にキャリアで追い越されたんじゃないんですか?」
藍里ちゃんはため息をついた。
「あぁ……天野ってば。すっかり大地に毒されてるって感じだ……」
「大地がなぁんですってぇ〜?」
と、そこへやたらとキンキンした声の人が通りかかった。
「あ、おばさん」
藍里ちゃんが素でそんなことを言うものだから、彼女はプリプリ怒るフリをした。
「おばさんじゃないわよぉ! だったら藍里ちゃんの方がおばさん。自分で分かんないの? その汚い皿の盛り方!」
「うるさい。飯くらい好きにさせてくださいよ」
あぁ……
あたしは思わず引いてしまった。
やたらテンションの高くて声の大きいこの人は、吉良なな子さん。
大手芸能事務所、澄(すみ)プロダクションの社長さん……の、お姉さん。
だから芸名も吉良なのである。
「いや〜! それにしてもセナちゃんすごい度胸だわ。朗読をあれだけ堂々とやれるんなら、アイドルの先の仕事も見えてきたってもんよ」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
あたしは無理して笑顔を作る。
「セナちゃん。今日は水着撮影だけど、休み休みやるから大丈夫よ」
「はい……」
あらまぁ、となな子さん。
「最近、セナちゃん元気ないからなぁ。やっぱ、エスプリのサナちゃんと一緒じゃないのって慣れないのかなぁ」
「ううん、そんなことないです。もうLシスも一年はやってるんだから」
そうだよ。
だから……サナちゃんのことは、今は忘れないと。
この日はLシスのメンバーによる、写真集の撮影。
時々海で遊んでみたりして、確かに和気あいあいといった感じだった。
こういう、グラビアの仕事はいつも楽しい。
楽しい、けど……
やっぱり、昨晩のオナニーを藍里ちゃんに知られてしまったショックは大きい。
そのクセして、藍里ちゃんは平然としているように見えるから余計に怖い。
「……ねぇ、藍里ちゃん」
「何だ?」
「ボクに……気を遣ってるの?」
一瞬、藍里ちゃんはドキリとしたかのような顔を見せた。
「……あーちょっと! すみません。天野がおトイレ行きたいそうなんで、私も連れションしてきまーす!」
周りのスタッフは一斉に、ケタケタと笑いだした。
「笑うな! 連れションとか柄じゃねぇだろって言いたいんだろ!」
ほっぺたを膨らました藍里ちゃんは、あたしの腕を引っ張ってスタスタと歩いていった。
連れションは口実なのかとも思っていたけど、半分は本当だったらしい。
あたしは洗面台のある辺りで藍里ちゃんを待っていた。
「……やっぱり、昨日の……気持ち悪いとか、恥ずかしいとか思った?」
水を流し、個室から出てきた藍里ちゃんが顔を真っ赤にしていた。
「いや、天野の下着はだな……う、うん……」
「誰をオカズにしてたとか、そういうのも分かってたんでしょ?」
「いや、もう……それは別にキモいとか思わないから、別に……」
「誰にも言わないで!」
「言うわけないだろそんなこと!」
あたしはきっと、藍里ちゃんをとても困らせている。
「でも、天野は……大地のこと、本当に好きだったの?」
あたしはうなずいた。
「あぁ……そんな。仕事上のキャラとか、友達とかじゃなくて、本当に……」
それはアイドルとしてのボクが壊れそうで嫌なんだと返すと、彼女は気まずそうに手を洗った。
「でもまぁ、うちのアイドルって何でもやれるんじゃなかったの? 向こうには人妻アイドルなんつーのもいるし」
「あぁ……でも声優さんだし、アラフォーだからその、枠としては独特なんじゃない?」
藍里ちゃんは苦笑いを浮かべた。
「ま、それも分かるが……何でうちらがアイドル活動してるか分かる?」
「Lシスが、どうしてかって?」
「うん。アイドルだって生身の人間だし、ひとりの女だってことを知ってもらいたいからだって」
「でも」
あたしは息が苦しくなった。
「ファンの人って男の人ばっかりじゃない。それで時々、ボクを彼女とかお嫁さんの代わりだと思ってる人いるの。なのにボクが大地サナと付き合ってる、なんて言えるわけないでしょ?」
言ったら言ったで、どうせキャラだろとか、LGBTを売りにしてんのかって思われてしまう。
その苦しさはきっと、藍里ちゃんには伝わらない。
「アイドルってしんどいね」
眩しい太陽の下に立ち、彼女はつぶやいた。
「しんどいけど、私はまだ卒業できないな」
アイドルの、その先……
アイドルを……卒業する……?
一般人に……そこら辺で埋もれる、同性愛者にでもなるの……?
でも、そうしたらあたしはどうなってしまうのだろう。