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どうせ死ぬのに

 飄々(ひょうひょう)としているという言い方があるらしいが、彼女はまさにそうだ。
 どうして、私とキスしようなんてことを言うんだろう。

 弓琉(ゆみる)……本名はちゃんと別にあるのだが、彼女はよく分からない。
 女子校にいる女子高生で、私の先輩で、十七歳。
 背が大きいのだが、それ以上に胸がヤバイ。
 一緒にゲームセンターに遊びに行くと、いつも『conflict』っていう曲のフルコンボを狙っては撃沈している。
 おっとりを通り越してトロいのに、ああいう時だけは手の動きがやたらヌルヌルしている。

 彼女の選ぶ、制服用のベストの色が何だかオバサン臭い。
 メガネの下の目も何だか眠たそうで、不健康そうなタイプの色白で、ひっつめ髪で、「胸が大きい」という性的魅力を全力で打ち消す見た目である。
 なのに……髪をほどき、アイシャドウを付けてルージュを引くと、学校にいる女の中では誰よりも女になる。
 ただし、口を開かなければの話だ。
 私と違って、声優の道に行かずにグラビアをやっているのがもったいない。
 その声はまさしく……私の望む、キラキラした王子様だというのに。

 弓琉のことはいっぱい言えるけど、それはどれも、弓琉の説明にはならない。

 conflict……コンフリクト……
 弓琉の何が、コンフリクトしているとでもいうのか。
「で……何だって?」
「キスしましょう?」
「やめんか!」
 私は、ゲーセンでキスをせがむ彼女が分からない!
「そういう漫画なぁ、アニメ化されてたけどなぁ、それを私に求めないでちょうだい」
 何でだろう、キスと言われた自分は耳まで熱い。
 頭の中ではテツandトモが熱唱している。
「そっかぁー」
 じゃあパクチーしましょう、と彼女は言った。
 制服姿でベトナム料理店にでも行くつもりなのか。
 門限を破ってまで……!?
 私はパクチーもタピオカも駄目だというと、彼女はしょんぼりした。
 そしてお店に寄って、一口飲んでから差し出したのはほうじ茶ラテであった。
「間接キス、しましょう?」
 まったりとしたはなまる笑顔だ。
 こいつは何なんだ。
「あのねぇ……回し飲みってやるけどさぁ、それをそんな言い方されたら、その……」
「うふふ。いいでしょ? いい響きね」
 私はとても戸惑うのだ。
 すっぴんの彼女はいかにもカースト最下層というか、「おっぱいのデカイ奴はブス」という男の定説を見事に体現しているのだが。
 私は学年が違うせいか、この世の男が嫉妬する、弓琉としての姿を見る方が多い。
「な、何だ……? あんた、女も惚れさせようとしてんの……? 何を試してるの? 分かんないよ」
 弓琉は分厚いメガネを直し、うーん、と首を傾げた。
「そうね、私……きっと、あなたを試しているんだと思う」
 彼女は私の足元を見た。
 弓琉はスカート。
 けれど、ここ最近の私はスラックスかジャージ姿。
 スカートを穿くかどうかは気まぐれ。
 あとは、スカート姿なんて仕事の時だけでいいやと思っているのだ、私は。
「それともまさか、私を男だと思ってんの?」
「そうじゃないけど、でも」
 確かに、冬場でもないのにスラックスという生徒はとても少ない。
「っていうか、男になりたいっていう奴が女子校入ってどうするよ。私普通に女子だよ」
「でも、そういう人いる。男子校の、女になりたい男の例だけど」
「……だから……違うって……何でちょいちょい、そんな闇っぽいこと口にするかなぁ」
 あぁ分かった、と、ほうじ茶ラテを口にしたのちに彼女は言った。
 じゃあ今流行りのノンバイナリーね、と。
「何だそれ」
「バイナリーではないのよ」
「だからそのバイナリーって何。あのね、私だって女子だ」
 女子かぁ、と感嘆の声を上げる弓琉。
 今更かよ!
「じゃあ未央ちゃん、手を繋ぎましょう」
「なんでやねん」
「この前繋いだのに」
 ふと、彼女は切なそうな顔をした。
「……まったくもう」
 私は、彼女のおねだりに弱い。

 金城由実(かねしろ ゆみ)。
 私は、彼女の本当の名前がどこから来たのかを、まだ聞けないでいる。

「あのイチャイチャは、どうせ仕事だったじゃん」
「でも私が望んだことだよ」
 駅のホームへ向かう弓琉はそう言って、少しだけ手に力を入れていた。
「確かめたいの。私と未央ちゃんはスキ同士でいられるのか」
 人混みの中ではなかなか聞き取れない、ベッドサイドのささやきみたいな声をしていた。
 王子様なのに、艶っぽい女の人にも聞こえて……私は、胸の奥がきゅうっとした。
「ねぇ、その『好き』っていうのはどの意味なの? それ闇だわぁ」
「それは未央ちゃんが決めること」
 繋いだ手は、改札前で一瞬だけ離れた。
「え? え? そしたら、私……は……」
 私は正直、好きかもしんない。
 自分の声と、改札に定期券をタッチする時の手が震えた。
「うん。私もだよ。未央ちゃんは可愛い」
 平然とした様子で、彼女はもう一度私の手を取る。
 これが……あんなにも様変わりしてしまう女の子が、自分と同じ学校だったなんて。
 アイドルユニット・Lively Sisters(ライブリー・シスターズ)の仲間として呼ばれていなかったら、私はとうとう気づけなかったかもしれない。
 彼女は王子様で、魔性の女で、儚い少女だってことを。

 初めての水着撮影で、私はすっかり弓琉に見とれてしまった。
 私が同性に恋愛感情を持つからじゃない。
 持たないからこそ、ノイズ抜きで彼女の美しさを切り取ることができるんだと思う。
 豊満な胸や張りのあるお尻ばかりに目が行くが、本当は指がスラリと長くて綺麗なこと。
 学校では分からなかった、長いまつ毛のこと。
 少し厚みのあって、でもいやらしくない唇のこと。
 周囲のスタッフを……私を、冗談でからかうような真似をしておきながら。
 私のことを、いつも澄んだ瞳で見つめていることを。

 だから私は、弓琉と手を繋ぐ時間が好きだと思った。
 それと同時に、きっと永遠にはなれないのだという寂しさを覚える。
 アイドルとは……女の子とは、そういう生き物だ。

 そうなのだ、今でも後悔していることがあるのだ。
 女の子向けの、『きらめきのカレイドル』というアニメで、他人から役を奪ったことだ。
 あれはまだ小学生。
 幼い私が、可愛らしいものが好きだという男の子アイドルの声を当てた。
 けれど……
 その前に、朝比奈夏希という人がもう、その声優をやっていた。
 彼は大人の男の人で、高い声は出せたけど、子供特有の細さはなかった。
 演技がどうのの前にキーで苦戦しているだろうというのは、アニメとして完成された作品を観てもよく分かる。
 弓琉から聞いた話ではあるが、朝比奈さんはよく音響監督に叱られていた。
 アフレコ現場から泣いて帰った日もあったそうだ。
 だから私は、年を取れば取るほど、朝比奈さんの……かつて、朝比奈さんだった彼女のことを考えては、胸を痛めていた。
 人生を変えたのがアニメ一本だとは到底思えないが、あの仕事は……私でも、とても鮮烈なものだったと思う。

「あ、そうだ。夏が終わったから……お互いのスキなとこを言い合うゲームしよっか」
「えっ!?」
 電車に乗り、頭がボーッとしていた私に対して、この子は容赦がない。
 何故か彼女は私を後ろから抱きしめている。
 仲良しの女子高生同士とはいえこれは……大丈夫なのか?
 仲がいいを通り越して、愛し合っているとか変な噂にならないか?
「夏が終わったから? どんな理由のこじつけだ」
「そうねぇ、未央ちゃんはねぇ……」
「人の話聞きなさい」
 うふふ、と、お嬢様学校の生徒らしい笑い方をする弓琉。
 悔しいが可愛い。
「降谷未央(ふるや みお)っていう本名で、『闇だわぁ』っていうのが口癖で、だからヤミちゃんってあだ名になってるとこね」
「いきなりそこなの!?」
「でも私は未央ちゃん、って呼ぶのよ。褒めてよ」
「褒め……あぁ……あぅ……」
 思わず、通学リュックで顔を隠してしまうくらいには恥ずかしかった。
「そうやって、綺麗なおみ足をスラックスで隠しちゃうとこ。スキ」
「今日はたまたまだって……」
「そうやって恥ずかしがる声が、男の子みたいなようで女の子なとこ。スキ」
「女の子……?」
 女の子……
 きらカレの車内広告を見て、複雑な心境になった私へ追い打ちをかけるのか。
「弓琉……女の子は死んじゃうよ」
「死んじゃう?」
「そう。私たちは永遠にはなれないの」
 純粋なアイドルはもうすぐ、辞めなきゃいけない。
「弓琉、『エスプリ』の話聞いた? もしかしたら……っていうの」
 エスプリというのは、Lシスの天野セナという子が所属している元々のアイドルユニットである。
 ショートカットでサバサバしていて、でもちゃんと可愛いアイドルの二人組。
 天野セナは最近朗読イベントなどにも出ていて、ピンでも活動する機会が増えてきた。
 しかし、パートナーである大地サナは目立たない。
 プロポーションが抜群なだけの女とか、そういう悪口を聞いたことがある。
 まぁ、ギターを弾いて歌うのが特技だとか言っていたから、アイドルという道から降りれば何らかの未来はあるかもしれない。
 ……いや。
 飯の食えないバンドマンなら、うちにも知り合いはいる。
 いくらでも。
「あぁ、それね。もしかしたら……の話ね」
「サナはさ、年齢的にはギリギリなんだよ。芸能界引退するかどうかがさ」
「そうね。アイドルを辞めて普通の人に戻るかどうかっていうの、遅くても十九とかには決めるよね」
 私の知っている人はみんな、早くに芸能界を辞めてしまったのよ……彼女はぼそりと言った。
「私は、こだとさんが男だった時のユニットが好きだったの」
「『4SeasonS(フォーシーズンズ)』……」
 アレか。
 イロモノ女装アイドルのことか。
「みんな大人ではあったけど、結局は辞めちゃった。最後の最後まで残ってたの、こだとさんだけ」
 唇を噛む私を見かねてか、弓琉は一言、ごめんなさいね、と言った。
「あの人のことは……あんまり、未央ちゃんに話さない方がいいね? けど……朝比奈夏希はアイドルだ、っていうのは……どうしても、自分を保つための理由だったそうだよ」
 あぁ……そうなんだ。
 アイドルを……人が見る幻を、本物であってくれと願うファンと、幻はどうせ幻だと切り捨てるアイドルと。
 孤独で、しかしながらきらびやかなステージが思い浮かんだ。
「ねぇ弓琉」
 今見ている車窓の、淡々と流れていく都会の景色が色を失くした。
「前から思ってたけど……弓琉はどうしてそうなの? ちゃんとデビューしたのはこないだじゃない」
「そうね、タメ口で話すようになったのも先週からだもんね」
 そうだよ、慣れないよ、と私は言った。
「なのに何で、いっつもそんなに芸能界の話詳しいの? っていうか、あの人のことなんか声優業界の人間でも知らないよ。男が好きとかっていうのもさ、みんな嘘かもしれない話だったんだよ?」
 振り向くと、メガネの奥の瞳が揺らいでいた。
「……どうしてか、知りたい?」
 私はゴクリとつばを飲んだ。
「知らない方がいい。私も、あんまり知りたくはない。ただの弓琉でいたい」
 まっさらな弓琉に、と、彼女はつぶやいた。
「あなたは、私を見ていて」
「ゆみ……る……」
 胸が痛い。
 波のざわめきみたいな音が、頭に直接入ってくる。

 金城由実。
 その本名を持つ彼女のこと、私だって本当は知りたくないだろうか?
 あぁ、闇だわ。

 彼女はまだ、ベトナム料理でパクチーマシマシなのを夢見ているらしい。
 流行りが過ぎても、まだあんな強烈なのを好むのか。
 パクチーはまるで……昨晩の雷みたいにひどい食べ物だと思うのだが。
「未央ちゃん。今度は一緒にレコーディングね。楽しみだね」
「うん」
「藍里さんに負けないよう頑張ってね」
 そうね、あの人は弓琉とタイマン張れるんじゃないかってくらい上手い人だもんね、と返した。
 私の降りる駅が、段々と近づく。
「こっち向いて?」
 その時私は、唇に濡れるような感触を覚えたのだった。
「不意打ち作戦、大成功ー」
 弓琉はキラキラとした笑みを浮かべた。
 彼女が塗ってくれたリップクリームは、美味しそうで、性的な色合いすら感じられる桃の香りをしていた。
 でもそれは桃の味なんかしない。
 私は、裸の弓琉でも見せられたような気分になった。
「ねぇ」
「はい」
「キスはさ……別に、レズじゃなきゃできないわけじゃないよね」
「え? 未央ちゃん……」
 ふたりの唇が音を立てる。
 顔を近づけた時の、ほんの一瞬だけ。
「あ、あの……電車……」
「ゲーセンと大して変わんないじゃない」
 この程度でスキャンダルになったら業界のこと訴えるわ、と私が言うと、弓琉はクスクスと笑った。
 ほんのり赤い頬が綺麗で、私だけのものにしておきたかった。

 叶わないから、また人混みに紛れる。
 アイドルが好きなだけの女子高生。