I'll お試し

 キラキラと窓ガラスから零れる光。軽快な音楽が流れる中、平田勝吾は重たい足取りで歩いていく。
どうしてこうなってしまったのか。
 町中から溢れる光が眩しくて平田は足元へ視線を落とす。ザワザワと色んな音が混ざり合い、容赦なく平田に襲いかかる。実体のないそれに押しつぶされそうになりなりながら、ただただ流されるように歩いていた。
 すっかりと冷えてしまった手を擦り合わせると、ぼんやりと光を放っている自販機が目に止まる。さっと自販機のラインナップを確認すると、お尻のポケットの仕舞われた薄い財布を取り出した。小銭入れの部分を開き、中身を軽く探るが百円は見当たらない。そのことにガッカリし軽くため息を吐く。気分が落ちている時はとことんツイていないらしい。仕方なくATMから下したばかりの千円札を自販機へ差し込むと、簡単に吸い込まれていく。それをぼんやりと眺めているとパッと自販機のボタンが明るく光った。平田が無造作にボタンを押すと大きな音を立てて飲み物が落ちてくる。
 もう、なんでも良かった。

 ふと、コートのポケットが微かに振動するのを感じる。反射的に平田はポケットの中から携帯を引っ張り出す。画面に映し出されたメッセージを見とめた瞬間、平田は眉をしかめた。そこにあった名前は一番見たくない名前だったからだ。

『今日からクリスマス公演が始まります。絶対見に来てくださいね!』
「絶対行くかよ……」

 一体どういう心境でこのメッセージを送ってきたというのか。平田にとっては無神経とも言えるこそのメッセージは、佐藤という男からのものだった。ついでに時間をチラリと確認すると十七時になったところで、今から向かえば会場まで間に合わないこともない時間だ。が、今の平田は舞台を、佐藤恭介という男の演技を見に行けるような気持ちではなかったのだ。
 メッセージには返信をせず、携帯をポケットへ入れる。緩慢な動作でプルタブを引き起こすと、カシャ、と軽い音がした。

 平田が俳優として初めて舞台に立ったのは、新人としては大きなものだった。いわゆる人気漫画が原作の舞台で、舞台としても何回かシリーズ化されており根強い人気の作品だったのだ。夢であった役者の仕事が出来たことが何より平田は嬉しかったのだ。
『君は、どうして役者になったんだ?』
 演出家からふいにそう聞かれた。あまりに唐突な問いに平田はすぐに反応が出来なかった。真っ直ぐ平田に向けられた視線に、怖くなった。試されている、と直感的に感じたからだ。この人が正解だと思う答えを返さなければ、それだけが頭を支配し言葉が喉の奥につかえて出てこない。
 どうしても忘れられない舞台があったから、ただそれだけの理由をこの人は認めてくれるのだろうか。
「あ……」
 やっと零れた声は小さく、空気に紛れた。瞬間空気が和らいだ。
「まぁ、なんでもいいんだけどね」
 これまで真っ直ぐこちらを見ていた視線が外れたからだ。平田は安心すると同時に、失敗したと思った。自分はこの人の言うことに答えることが出来なかった。あの演出家にとってはほんの雑談程度だったのかもしれないが、平田にとってはいつまでもこの言葉が、この時の目が記憶の中で自分を責め立てるのだ。
 結局、それ以降の役者としての仕事は中々決まらずにアルバイトをしながら食いつないでいるのが現状だった。自分でも分かっているのだ。あの時の舞台は、顔で選んでもらえていたこと。何も染まっていない初心者の役者が使いたかったこと。それ以上の価値をあの場で手に入れることは出来なかったのだ。
 先ほど、連絡をくれた佐藤恭介とも最初の原作舞台で一緒になった男だった。彼はその時から「上手い」と思っていた。演技も人に好かれる術も。今日の舞台もオーディションも平田は受けていた。けれど、受かったのは佐藤だった。当然の結果だと思った。けれど、今は彼のことをきちんと見るだけの勇気がないのだ。

 すっかり冷たくなってしまった缶をギュッと握りしめる。はらりと髪に何かが触れる感覚に平田は顔を上げる。

 ――雪だ。
 はらり、はらりと白い塊が舞い落ちる。都心で雪が降るというのは珍しい。再度、携帯を確認すれば、開場時間は過ぎている。開演までに間に合うかどうか。のろのろとした足取りで、来た道を引き返す。見たくもないと言いつつ、彼の演技を見てみたいと思うのも確かなのだ。ごちゃごちゃとしている人混みをすり抜け、階段を下りて駅の中へ入る。ぼぅと歩いていると、すれ違った人と肩がぶつかる。その衝撃にハッとすると、慌てて頭を下げる。相手は少しだけ顔を顰めて通り過ぎていった。はぁ、と小さく息が零れる。
 電車を乗り継ぎ、劇場の最寄り駅に着く。少し大きく息を吐くと白くなって空へゆくゆらと消えていく。開演時間になったのか劇場の周辺には人影はまばらで、時々零れてくる音が微かに聞こえるだけだった。掲示板には公演のポスターが貼られており、目立つ位置に自信満々の笑顔を浮かべて写っているいるのは佐藤だった。
 あぁ、主役だったのか、と平田はぼんやりと思う。
 しばらく、ポスターを眺めているとパラパラと拍手の音が聞こえてくる。平田は静かに目を閉じた。次第に大きくなる拍手の音は雨音のように平田に降り注ぐ。客席は暗いが沢山の観客の顔がくっきりと見渡せる。自分を照らすスポットライト。頬を流れる汗を感じながら、深々と頭を下げた。拍手が段々と小さくなり、ゆっくりと顔を上げる。
 そこにあるのは、華やかな笑顔を浮かべる佐藤のポスター。クリスマス公演と大きな文字が躍っている。もしかしたら、そこには自分も写っていたのかもしれないポスター。けれど、いくら見てもそこには自分の顔も、名前も載っていない。当たり前だ、平田は選ばれなかったのだから。
 しんと冷えた空気の中で、拍手の音が聞こえた気がした。もう一度だけ目を閉じると、息をいっぱいに吸い込む。ツンと鼻の奥が痛むが平田はそれに気がつかないふりをした。
 何のためにこんな所まで来たというのか。自分が惨めな思いをしただけではないか。
 これまで抑えてきた感情が湧き上がってくる。限界を超えてあふれ出した感情を止める術を平田は知らない。どうして、という思いが浮かんでは消えて、段々と強くなる。叫びたくともまだ理性が働いているからかそれは叶わない。
 表現されることのなかった思いが自分を責めてたてる。瞳にうっすらと水の膜が張り、あぁ、零れると思った瞬間それは自然と流れ落ちた。一度流れ出したそれはドンドンと溢れだし、平田は天を仰ぐ。溢れて溢れて止まらない、声にならない思いに責め立てられ、平田は嗚咽を漏らした。

現在、カクヨムにて連載している小説です。少しずつ更新していこうと思っているので是非応援よろしくお願いします。

ここには1話のみ掲載させていただきます。

続きが読みたい方は是非カクヨムで。https://kakuyomu.jp/works/1177354054884663221

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