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bonobosの解散がいよいよ寂しくなってきたので、つらつらと考えた

個人的メモで書いたので、読んでもおもしろくないと思います。簡単にまとめると、
・解散さみしい
・明日はお葬式みたいに悲しいのか?
・いや、宴じゃ!
という内容です。

雑。

なくなって初めて気づく大切さ、みたいなものに、bonobos 解散2日前のライブからひれ伏している。

1週間前のライブのときは、そんなことなかったのだ。卒業式でいうと、予行演習では大丈夫だったけど、前日リハでしみじみしてくるような、そんなやつだ。

とは言いつつ、
個人的には卒業式で泣いたことはない。

会おうと思えば会えるし、
死ぬわけじゃないし。

それは、bonobosの解散でも同じ。
全員が引退するわけじゃない。

でも、この同じメンバーが一緒に音を奏でる
時間や空間はもう(多分)味わえないのだ。

それは、卒業式でも同じ。
同じメンバーで、毎日
お弁当を食べることはもうないのだ。

じゃあ、卒業式で泣かなかったのは、
なんでだろうと考える。

思うに、

自分で主体的に選んだものじゃないから、
愛することに責任が生まれてなかったから、
じゃないかなと思う。

学校は、ただ与えられた環境で、
あってもなくてもいいものだった。

bonobosは、主体的に好きになり、
あることが当たり前の日々には気づかなかったけど
ないと困るものになっていたらしい。

解散することを1年前に発表してくれて、
それからはできるだけライブに足を運んだ。

それまで当たり前に享受しちゃってたから、
気が向いたときだけライブに行っていた。

あと、最近の曲のほうが好きだから、
行く頻度が上がったというのもある。

でも、昨日、解散2日前のライブで気づいた。

過去にも名曲ありすぎじゃないか。

漫然と享受してたから気づかなかったのか、
進化したいまの演奏が、前の曲の良さを
引き立てているからなのか、定かではない。 

けど、もっと早くから、
主体的に前のめりに愛していればよかった。

そんな、誰かのお葬式で
考えそうなことを考えながら、
今月で閉鎖されるファンクラブのメンバーブログを
せっせとスクショに撮っている。


明日は、しんみりしたお葬式ではなく、
パーティーみたいな卒業式になるはず。

だって誰も死んでいないし、
むしろこれから、それぞれの音や生活を
発展させていくのだから。

bonobosという、
主体的にみんなでつくった学校生活の終わり。

泣いてもいいし、笑ってもいい。

同じものを好きな人たちが、
同じ時間と空間にあつまって、
同じリズムにのって、みんなを盛大に送り出す。

宴だな。

#bonobos

名曲「Gold」の歌詞
宴じゃ!

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