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日曜日にはまだ知らない言葉を

スペイン語で話をしたい。
完全に願望ですね。

なんとなく少し調子がよかったので、スペイン語とフランス語の初心者向け動画をYouTubeで見てみた。

昔からすると自分から他言語に関わりにいこうと思う日が来ると思わなかった。
できない。でも嫌いじゃない、むしろ好き、という状態です。

自分の中で『できなくても好き』というのを許せるようになったことが大きかったのかな。
というかそうですよね、最初からできるわけじゃないもの。
できなくても好きって言っても許されるんだよね。
『好きのハードルを下げる』と自分では言っています。

だから映画やら漫画やらメジャーな作品履修してなくても言い張るし、ちょっとやってみて楽しかったことはみんな好きって言っちゃう。
好きじゃなくなったらそれはそれだし。


スペインが好き

行くまで死ねない

話が逸れてしまったのですが、スペインには昔から興味がありました。
正確には『サグラダファミリア』に興味がありました。
昔ネスレのCMで彫刻家の外尾悦郎さんが出ていたのがなんとなく記憶に残っていたこと(もしかするとただCMソングが耳に残って歌っていただけかもしれない。我が家にはそういうクセがある)。
小学生か中学生ごろに、ずっと造っているのに完成しない建物、しかも私が生きている間にも完成しないかもしれないという事実を知ったこと。
そんなすごいもの見てみたいと思ったからです。
そして数年後、新聞でサグラダファミリアが私が生きている間に完成する予定と知って何とも言えない気持ちになりました。
多分子どもの私が心惹かれたのは「造っている人たちも完成を見ないまま死ぬかもしれないのに、それでも造り続ける」ということだったのだと思います。
でも当然完成させるために造っているし、完成した時の役割があるのだから、これは喜ばしいことなんだと自分に言い聞かせて、そのうえでやっぱり私は
『サグラダファミリアを見るまでは死ねない』
と言うようになりました。

スペイン自体も中学の英語の課題で、行きたい国を紹介するということがあり調べまくっていたら好きになりました。
個人の課題だったから好きなだけ取り組めて楽しかったです。グループ課題とかだと一生懸命やるのダサいみたいな雰囲気があってめんどくさいと思っていました。
英語は得意ではなかったけど、好きなものを調べる時間は楽しかった。
ひまわり畑、白い壁に鮮やかな植栽、おいしそうなご飯、そして『サグラダファミリア』。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ

その時にもう一つ知ったのが『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』。英語で発表したけど誰もわかってなかった。これは文章を作った私が悪い。
果てしなくていいなと思った。行った人のブログを読んだりしたなあ。
NHKでも時々ドキュメンタリーをやっています。
新婚旅行で歩きとおせれば、その夫婦は大丈夫とどこかで聞きました。
そうだろうな。
大変そうではあるけど、いろんな景色や人と話すことができるの、とても良いなと思って行きたいと考えつつ30になりました。
体力!筋肉が欲しい!!あと整体技術。


あとお金。


英語とのなれそめ

留年の救世主現る

英語が得意ではない、と書いたのですが
高専進学後は英語でも留年の危機に瀕したので個人の英語塾に通うことになりました。60点ぐらい上がりました。それまでの点数がおぞましいでしょう。
あの時は大変だなと思ったけど、今にしてみるとこれがひとつのきっかけだったんですよね。
教えてくれていた先生が面白い人で。
たしか社会人になってから大学に入りなおしたんじゃなかったっけな。
英語学習が好きで、私からの疑問からどんどん文法や語源など深堀りしていき自分もさらなる疑問にぶち当たってしまうような人でした。
私としては、ここの答えを知りたかっただけなんだけど…という感じだったのですが、ある意味研究者気質でした。
英語の勉強をそんな風にしたことなかったから驚きでしたね。
その先生に「一度海外に行ってみるといいよ。世界が変わるから」と言われたこと。
ちょうどその頃あったインターン先の担当者さんが、女性で単身アフリカに1か月ほどプライベートで行っていた人で、
「社会人より学生時代に行きたかった」と言っていたことが重なって、
学生時代にどんな形でもいいから海外へ行こうとなんとなく考えるようになりました。

塾をやめてからも、海外に行きたいのなら英語からあまり離れないようにしようと思い、語学選択授業もなるべく英語を取りました。
これ自体はいいことだったのですが、大学編入時に苦労することに…


編入するなら英語以外も取っておきましょう

完全に無計画なのがバレてしまうのですが、高専から大学に編入すると単位変換があります。数学、物理、英語などの一般教養科目は高専でもやっていたので大学での単位に変換されます。私は工業から農学部への編入だったので専門科目はまったく無いので、3・4年生の間に1・2年生の専門必修科目を取らないといけないわけです。これだけでだいぶコマが埋まってしまうのですが、大学では第2言語も必修だったのでそれもどうにか取らないといけなくなりました。
ちゃんと編入後のことを考えている人たちは高専在学中に他の言語も取っていました。編入を考えている人はご参考まで…

まあしょうがない。第2言語も頑張ろうじゃないのと思ったのですが、専門の必修を優先して授業を組み、空きコマでとれる語学の授業を探すのですが…
無い!!!
週に4コマもあるものなんて、絶対どっか専門の授業と被る!!!
結局取れるのは週に1コマだけの
・古代ギリシャ語
・ラテン語
という2つだけに…

全然ちんぷんかんぷんで、ラテン語に至っては落としたのですが…
図らずも言語を広く知ることにはなりました。
4年生の時に時間ができたのでスペイン語も取ったのですが落としました。反省してほしい。


初の海外へ

大学はそんなわけで英語の授業を取る時間はなかったのでサークルで補いました。ついでに言えば、サークルもとい学校のお金で海外に行くのを狙っていました。
結果的にそれは叶い、卒業前にタイへ行くことができました。
(でも本当はこういうの卒業する人間より、まだ在学する人間に行かせてあげた方がよかったですよね。その方が大学に還元されるわけだし。)
世界は変わらなかったけど、日本に来た海外の人には優しくしようと思いました。
タイの学生さん及び先生方には本当によくしていただいて、初めての海外がタイで本当に良かったです。あの記憶がなければまた海外へ行きたいとは思わなかったです。おかげで今でもタイはとても好きです。


他言語へ

とは言え、就職先で他言語を使う機会もなく、英語とも疎遠になるな…と思ったのですが洋画を観るようになったことが、また英語に近づく機会になりました。
学生時代よりある意味興味を持って英語を聞くようになったので、リスニングに関しては確実に学生時代よりよくなりました。多分これは学生時代の積み重ねもあると思うけど。

単位が取れなかったスペイン語も好きだから、時々音として聞いたりしています。

大学時代にもう一つ、語学でとっていた授業が3言語をさわりだけやるというものでした。この時にフランス語・イタリア語、もう一つが思い出せない、スペイン語だったかな?をまとめて大まかに知ることになりました。
ラテン語の後だったので、共通するところがあっておもしろいなあと思っていたのですが当たり前ですね。ラテン語から派生してるんですもんね。文系ちゃんとやった人からブン殴られそう。


研究者気質な英語の先生に教わったこと
強制的に多言語の授業を受けたこと
このコンボで以下の本がとても面白いです。

あの時、先生が考えていることはこういうことだったんだろうな。
接頭辞がどうとか、接尾辞がどうとかはこういうのを意識してたし、知りたかったんだろうな。

そういうのを面白いと思えるようになったこと、もっと他の言語も知りたいこと、翻訳について考えるようになったこと、きっかけになった先生には感謝を伝えたいです。
バンド・デシネや韓国の漫画も読みたい。
人生が急に180度変わったりはしなかったけど、じわじわと変わっていてますと伝えたい。

先生へ

学生時代、ちょっと欲張りすぎて部活も勉強も中途半端になっていました。
自転車通学も慣れない、専門授業は分からない、初めてクラス最下位になりました。
体力が少ないからお風呂で気絶し(あれ、寝落ちじゃなくて気絶らしいですね。ほぼ毎日そうでしたし、最終的に顔を水につけていれば苦しくなって目を覚ますだろうということもしていました。絶対にマネしないでください)、レポートが終わらなくてほぼ徹夜、そんな状態で英語塾にいけばそりゃ寝るみたいな状態で本当に本当に申し訳ありませんでした。
ですが今私は先生のおかげで英語以外も好きですし、英語も好きです。
英語を個人で教えていて、生徒が気絶していて不安な先生方、こういう形で実を結ぶこともありますので、どうかこれからもよろしくお願いいたします。



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