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吉川英治『鳴門秘帖』読了

 (2020年の記事の再掲です)

 いらしてくださってありがとうございます(´ー`)

 吉川英治氏のお作品は、母が持っていた「新書太閤記」のほかは学生時代に図書室で借りて、社会人になってからは講談社の吉川英治歴史時代文庫で買いそろえて読んでまいりました。
 けれど、江戸時代以降に材をとったものは未読でして。興味を惹かれる守備範囲が、日本の古代から大坂夏の陣あたりまでなので、読みもせず遠ざけてきたのです。

 先日、吉川英治記念館を訪ねた折に、氏の生涯をまとめた映像のなかで、初期のころの大ヒット作として『鳴門秘帖』が紹介されており、未読のままは勿体ないなとその帰路、書店へ。が、生憎の欠品だったため図書館で借りてきて、ようやく今朝、読み終えたのでありました。

 『鳴門秘帖』は江戸時代中期、幕府打倒を目論む阿波藩主のもとに、甲賀の隠密が証拠を押さえるため忍び入り、捕えられたことに端を発しています。彼を探し出そうと奔走する人々と、それを迎え討つ者たちとの闘いに、複雑に絡み合う恋模様も織り交ぜての、三巻にわたるエンタメ長編でございます。

 軸となるのは、美貌の剣士・法月弦之丞。彼は捕えられた甲賀隠密の娘、お千絵と恋仲ながら、忍びの掟により結ばれることはかなわず、江戸を離れて浪々の身。ところが、ふとした出逢いによって、幕府隠密として阿波に潜入せよとの密命を帯びることになるのです。

 出逢いのきっかけを作ったのは、女掏摸(スリ)のお綱。
 彼女が男から掏りとった金包み、その中に紛れていた一通の文こそが、阿波の陰謀を暴くための鍵であり。その文をめぐって、物語は冒頭からぐいぐいと動き出していくのです。
 「見返りお綱」の二つ名で呼ばれる凶状持ちとして、お上に追われる彼女が、やがて弦之丞と出逢い、一目惚れ。浮世の荒波を掏摸の腕ひとつで渡ってきたお綱ですが、恋にはとんと初心(うぶ)なのです。
 純情一途に弦之丞を追い、恋しい人のためならと、阿波潜入の企てにも協力していくうちに、彼女自身も知らなかった出生の秘密が明かされていき……。

 そんなお綱に邪恋を抱いてつけまわす無頼者、お十夜孫兵衛。
 彼はいかなる時も頭巾を被り、執拗にお綱をつけまわすうちに、旅川周馬なる男と出逢います。周馬こそは、弦之丞を慕うお千絵と甲賀の財宝を我がものにせんと画策する、卑怯な輩。そこに幕府隠密の動きを察知した阿波からの刺客が、弦之丞らを抹殺せんと暗躍するうちに、孫兵衛、周馬らと手を組み。

 彼らは舞台を大阪、江戸、諏訪からふたたび大阪、そして阿波へと移しながら、ときに剣を交え、出し抜き、出し抜かれつつ、幽囚の甲賀隠密が待つ剣山を目指すのです。

 いやもう、とにかく次から次へと、めまぐるしく物語が動いていくので、三巻分の長編ですが、読み手をまったく飽きさせません。それもそのはず、『鳴門秘帖』は新聞の連載小説でして、数頁ごとに盛り上がる山があるのですよ。歯切れのよい、講談調の語り口がまた、読み進める勢いを与えてくれましてねぇ。

 剣戟の描写は言わずもがな、町の賑わいや室内の描写なども端的にピシリピシリと要点をおさえて書かれていて、場面がくっきりと絵になって浮かびあがってまいります。

 二巻「投げ十手」の章の冒頭をちょっとご紹介しますと、

 お江戸日本橋。いつも織るような人どおりだ。
 ついそこの魚河岸から、威勢のいいのが鮪や桜鯛をかついで、向う見ずに駈けだしてくるかと思うと、お練りの槍が行く、お駕が従く──武士や町人、雑多な中に鳥追の女太夫が、編笠越しに富士をあおいでゆくのも目につく。
「あら……」
 と驚いて、太鼓反りの橋の上で、塗歯の下駄の踵を上げた女があった。

吉川英治『鳴門秘帖』講談社・吉川英治歴史時代文庫より引用

 こんな具合に情景といい風俗といい、見事に活写されておりまして。

 また、お綱という女がスリを稼業に生き、男ずれしていると自認しながら弦之丞に出逢い、胸を焦がす恋心というものを生まれて初めて実感する場面では、

 お綱は、恋だなんて嫌味なことを、いいもしなければ思いもしない。
 自分で自分の心にいった。
「わたしは、月夜の晩に風邪をひいたよ!」

同上より引用

 などと言わせるのです。
 そして、その恋がのっぴきならない深みに嵌まったことを、「月夜の風邪は重くなった」と一行で示す──。
 もう、さすがとしか言えません……。最高。

 また、物語は終始、ハラハラドキドキさせてくれるのですが、そうなる理由が、ありとあらゆる場面で、都合よく、敵方が主人公たちと行き会わせたり、盗み聞きしたりをするからでして。
 さすがにこれは一巻の解説で、

「史実的な面からみて、その内容の荒唐無稽もさることながら、法月弦之丞やお綱らの密談が、何回となく孫兵衛らの敵に、縁の下や戸の外から盗み聞きされるくだりは無茶苦茶な感があるが、そうでないと話の筋がうまく進まないし、またその無茶苦茶なところに大衆文学の面白さがある」

とも書かれておりましてね^^ 

 ほんとに無茶苦茶なのですけれど、物語も二巻あたりになると、こちらとしても「あ、これ、絶対どこかで盗み聞きしてるよな。ほら、やっぱりいたいた」ってな具合で、お約束のように楽しめてまいりましてね。きっと、日々の連載を楽しみにしておられた当時の読者のみなさまも、おなじように「やっぱりいたな、孫兵衛!」などと思っていらしたのではないでしょうか。

 当時の、と申さば。

 『鳴門秘帖』は、1926年(大正12年)から翌年にかけての連載だったのですよ。なんと、いまから百年近く前の作品でして。これが歴史を扱う利点でもありますが、最初から古い時代を描いていれば、いつまで経ってもその作品は古びないのですよね。いやまったく読みやすく、面白く。そして、現代の小説と違って、登場人物の感情が直截に描かれているので、とてもストレートにわかりやすくもあり。

 ときに小説の指南本には「書き過ぎないように」と、すべて書いてしまわずともよい、読み手を信頼せよ、と書かれております。
 たしかに「察せよ」は、その余白も読み手にゆだねるということで、より面白さの幅があろうかと思いますけれど……活字離れ、読書離れが言われる昨今、むしろお若い方にこうした古い時代の物語を差し出すには、これぐらい読みやすいほうが敷居が低くてよいのでは、とも思うのです。

 『鳴門秘帖』のラストでは、最後の最後に意外な真実が語られもしまして、この構想は連載開始時点でどこまで練っておられたのだろうと、あらためて吉川英治氏の手腕に圧倒されたのでありました。

 氏の三十代前半で紡がれた『鳴門秘帖』は空前の大ヒットとなり、架空の物語でありながら、「登場人物の残した手紙がウチの蔵から出てきた」などと言い出す人が出る有り様だったとか。
 この後、『宮本武蔵』『太閤記』『三国志』などが誕生し、戦後、二年間の断筆を経て、氏の六十代を前に『新・平家物語』が描かれていきます。
 『新・平家物語』に比して本作は、たしかに作者の若々しい筆の走りを感じますが、それぞれに共通するのはやはり、貧者へのあたたかな眼差し。
 貧しくとも日々を精一杯生きる者たちへのやさしさが、角兵衛獅子の姉弟の描きかたにも滲んでいて、心を揺さぶるのでした。

 講談社の吉川英治歴史時代文庫は、りんどうの花と佐多芳郎氏の画が目印の、雅やかな装丁が好もしく。また文字も大きく、ルビが細やかに振られていますので、とても読みやすいシリーズです。
 これから吉川英治氏のお作品を読もうという方にはぜひともオススメしたい文庫でございます。

 吉川英治氏の小説、しみじみ好きだなぁと、『鳴門秘帖』三巻を読み終えてあらためて実感しております。

 一人でも多くの方が、この素晴らしい作家さまのお作品に触れてくださいますように。そう願わずにいられないのでした。

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 最後までお読みくださりありがとうございます<(_ _)>

 東京は曇りがちで肌寒い午後です。みなさまもあたたかくお過ごしくださいませね。

 今日も佳き日となりますように(´ー`)ノ

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