アマの甘さ プロの厳しさ

アマの甘さ プロの厳しさ

 お若い頃の宮松宏至さんの枕頭の書、「魯迅選集全13巻」について質問をさせて頂き、コメントを頂いた。

宮松さんがある雑誌への連載記事を投稿するに際して、宮松さんが師事した記録文学作家上野英信氏から校正を受けていた。

ある時は、「これでよし」と言われるまで、20回以上も書き直したこと、書きながら、原稿用紙が涙で濡れることも、しばしばあった事が書かれてあった。それは徹夜作業で行われていた。

20回以上書き直した・・・これを読んで、師弟関係の厳しさ、プロの厳しさというものを思いました。

昨年の月刊ザ・リバティー1月号で、経済学者鈴木真実哉氏は、現代、SNSの発達により、プロもアマの境目がなくなり、全体がアマになったことを危機感をもって語られていました。

私のささやかな経験ですが、15分のラジオ番組に数年間レギュラーとして参加させて頂いたのですが、その時、ご一緒だったプロの放送作家に、アマチュアの甘さを痛感させられました。

15分番組作りのためには、プロであったなら、何時間もの時間をかけ、単行本にして5~6冊分の事前準備をする、それに比べ、私は在家の立場ということに甘え、準備不足の私を許していた自分がいました。甘えがありました。今から思えば、お恥ずかしい限りです。

私は、プロの厳しさを本当の意味で知りませんでした。

宮松さんが師事した上野英信氏の著作「追われゆく坑夫たち (岩波新書)」などは、初版が1960年ですが、アマゾンのブックレビューで調べたら、2009年時点で第23刷と、今に至るまで読み継がれていることが確認できました。その後も増刷りされている可能性もあり、60年という時を経て、読み継がれています。

 なるほど、宮松さんに20回以上の校正を指示れた上野氏の、一文一文に込めた魂が60年の歳月を経ても読み継がれている所以であるのだなと思いました。

現代のSNSの興隆により、プロもアマも関係なく、気軽に発信できる事は、良い点もあろうかと思いますが、まさか20回以上の校正を経て発信されているような記事、作品は皆無でありましょう。

時代のスピードの中で、プロ根性が、時代遅れになりつつあるとすれば、我々はその代償を必ず受けねばならないでしょう。

そういった点を知っておきたいと思いました。せめてその埋め合わせに「謙虚さ」を持っていたいと、自己反省もいたしました。

以下、宮松さんから頂いたコメントです。
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『私が「魯迅」の名前をはじめて知ったのは、高校の時でした。そのとき、国語の先生が魯迅のことを話す内容が、余りにもちんぷんかんぷんで、まったく頭には残っておりませんでした。

しかし、魯迅という名前だけは頭の隅に残っておりまして、その後上野英信師から魯迅を読みなさい、と言われ、‘仕方なく’岩波の全集を購入し読みはじめたのですが、読めば読むほど、私の低能な頭では、その内容が理解出来ず、それとなく読むふりをしていました。

上野師は私のその態度に気付いておりましたが、何も言わずにおりました。

しかし、私の頭の中には、一つの疑問が常に付きまとっておりました。それは、なぜ私に魯迅を読みなさいと上野師が言われたのか。その疑問に答えてくれたのが、南米への旅の時でした。

私は南米への旅に行く前に、上野師の知り合いの、ある月刊誌社から、毎月写真と原稿用紙十枚分の”作文“を依頼されました。写真はそのままフイルムを送り、原稿は送る前に、一度上野師に目を通していただくことになりました。徹夜しながら、書くのですが、一言「もう一度書き直しなさい」と言われ、どの箇所が悪のか、まったく指摘されず、ただ、「もう一度書き直しなさい」と言われるのです。

ある時は、「これでよし」と言われるまで、20回以上も書き直したことがありました。書きながら、原稿用紙が涙で濡れることも、しばしばありました。

その時ほど記録文学者の文章に対する「厳粛さ」を学ばせていただいたことはありませんでした。記録し伝えるということは、絶対に事実に反する、過ったことは書けません。ましてや小説のように、「創作」することもできません。しかも取材対象者から聞いた内容は、その方の言われたことを拡大し、反対に拡小することはご法度です。

ここで魯迅の話にもどりますが、なぜ上野師が、魯迅を私に読みなさいと言われたのか。それが分かったのが、南米から帰国して、上野師が「写真万葉録 筑豊」に取り掛かってしばらくしてからでした。

私はそのころ既に日本を離れ、カナダの先住民居留地、グラシー・ナロウズに、魯迅全集を唯一日本語の書籍として持って行ったのです。ある時、ふと思い出したように、何気なく代表作である“阿Q正伝”を手に取り、読み始めたのです。まず、第一章 序 に次のような一説が書かれていたのです。

第一章序
 「私が阿Qの正伝を書こうと思い立ってから、もう一年や二年ではない。しかし書きたい一面、尻込みもする。どうやら私など「言論で後世に不朽の名を残す」柄ではないらしい。というのは、昔から不朽の筆は不朽の人の伝記を書くもの、と相場が決まっている。こうして人は文によって伝わり、文は人に伝わるーとなると一体、誰が誰によって伝わるのか、だんだんわからなくなる。(中略)
さて、この不朽ならぬ速朽の文を書くと決めて、いざ筆をとると、たちまち難解にぶつかった。第一に、その文を何と呼ぶかだ。孔子は『名正しからざれば言順(したが)わず』と言ったが、まことに適切な教訓である。伝記といってもさまざまある。列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、少伝・・・」(中略)

その後本文では、七つの‘伝’について言及しているのですが、私はここまで読んだときに、上野師が私に何を使えたかったか、はっきりと読み取れたのです。

文章を書いて、人に伝えるのに、これまで深く考えぬいて書かなくてはならない。記録文学とは一文一文が勝負であるのだ。真剣勝負なのだ。そのことを無言で突っ返され、20数回以上の校正をさせていただいたことは、上野師の、正に与える愛のプレゼントだったのです。

上野師がこよなく尊崇した魯迅が、伝えることにこれだけの力を注いた作品は、正しく、阿Q「正伝」を「正法」に置き換えることができる秘宝ではなかったのではないでしょうか。』


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