資本主義とトランス/アイデンティティ(3)パッシングエイブリズム

 こんばんは。夜のそらです。この記事は「資本主義とトランス/アイデンティティ」という記事の3本目です。本当は(1)と(2)で終わるはずだったのですが、続きを書かないといけないと思ったので、書きます。
 ちなみに(1)と(2)はこちらに置いておきます。お時間のある方は(1)からお読みください。

この記事ではエイブリズムと「パッシング」について、最終的には考えたいと思います。エイブリズム=Ablism=能力主義=健常者主義=障害者差別について。パッシング=特定の(望む)性別で通用すること≒埋没 について。ただ、いつにもましてメンタルが重たいなか書いているので、読むのが苦しくなったときは読むのをやめてください。わたしも、本当はこれについて考えるのをやめたいです。でも、やめられないから、書きます。
世界で一番尖ったペンでこの文章を書いて、書き終わったらそのまま自分の胸にそのペンを突き刺して死にたい。

1.心臓のこと

 覚えています。小学校1年生のとき。学校の健康診断の心電図検査でわたしは引っかかりました。170人近くいる1年生のうち、引っかかったのは、わたしと、もう一人の女の子だけでした。私たち2人は急いで保健の先生の車に乗せられて、循環器系のクリニックに連れて行かれました。結局、わたしの心臓には大きな異常はありませんでした。親が迎えに来てくれなかったので、学校の先生に頼んで学校まで送って帰ってもらったのを覚えています。真っ暗になった学校で降ろされて、何も分からないまま、家に帰りました。でも、わたしと一緒に心臓の病院に連れて行かれたもう一人の女の子は、次の日からしばらく学校に来なくなりました。その子は、重い心臓病であることがその日分かったのでした。
 何カ月も経ってからその子が学校に来たとき、その子は車いすのようなものに乗っていました。鼻にはチューブが挿入されていました。でも、その子はわたしたちと同じように、小学校に6年間通いました。保護者の方も病弱だったようで、市の補助金?で学校が雇用した支援員の方が常につきっきりでしたが、一緒に授業を受けて、部分参加でしたが、遠足にもよく一緒に行きました。
 その子とは、何回か同じクラスになりました。先生と、支援員の方と、そしてみんなでいつも考えました。どうしたら、一緒に授業を受けられるだろう。どうしたら、その子が病院とかで学校に遅刻してきても目立たずに教室に入れるだろう。どうしたら、エレベーターのない建物の2階の理科室に一緒に行けるだろう。どうしたら、その子が世話をすることになっている花壇の苗を枯らさずに育てられるだろう。どうしたら、どうしたら、どうしたら。どうしたら、その子と一緒に学校生活を送ることができるだろう。その子は、誰よりも明るく、いたずら好きで、冗談を言っては支援員の方を困らせていました。その子の周りには、いつも笑顔が広がっていました。
 ちなみに、わたしが心電図検査で引っかかったのは心臓の場所がふつうの人と少し違うからでした。いまだに心電図検査ではほぼ必ず引っかかりますが、わたしの心臓は基本的に正常に動いています。
 私たちと一緒に卒業したその子は、中学校に入ると、あまり学校に来れなくなりました。みんなの中の記憶が少しずつ薄れていったころ、その子は亡くなりました。私たちが15歳のときです。その知らせを聞いた時、思いました。どうして、あの子が死ぬんだろう。一緒に保健の先生の車に乗せられていたあの日。どうして、わたしの心臓じゃなかったんだろう。

2.できる

 大学に入ってから、持病で入院するまでのあいだ、居酒屋でバイトしていました。そこは高級ブティックの並ぶ通りに面した、少し高級な和風の居酒屋でしたが、時給が比較的高い代わりに、厳しい職場でした。最初はずっと皿洗いしかさせてもらえず、そこを抜け出してもひたすら野菜を切るだけ。でも、週4~5くらいで入って、大学を終えてから終電で帰宅するまで、ひたすら働き続ける中で、いつしかわたしはキッチンで「できる」側の人間になっていました。
 バイト先ではキャバクラに連れて行かれたり、「おっぱいパブ」に強引に誘われたり、一人称が「わたし」なのをからかわれたり、男らしくないからと冷やかされたと思えば、営業や飲み会のあとホテルに誘われたり、本当に嫌な思いもしました。そうして誘ってくる年上の女性のなかは、わたしをセックスに誘って、わたしが困った顔をすること自体を楽しんでいるように見える意地の悪い人も含まれていましたが、性的な存在として見られることがとても苦痛でした。

なぜだかよく分かりませんが、働いていたお店では特別な関係でもない職場のスタッフ同士がセックスするのは普通のことでした。別に、付き合ってない人とセックスるのがおかしいと言いたいわけでは全くありませんが、同じ職場のスタッフと性交渉をすることが一種のステータスや通貨、もしくは趣味の一部になっている状況は、本当に謎でした。これはAセクでなくても意味不明だと思う人が多いのではないかと思うのですが。

それでも、自分が「できる」側の人間の仲間に入れたと思ったときからは、その店のキッチンはとても自尊心が満たされる場所でした。
 出勤したら、まずシフトを確認します。キッチンが7人。刺身を担当するのはベテランの社員さん。煮物と卵料理を担当するのは経験豊富なフリーターの先輩。焼き物のポジションは、堅実に仕事をこなす若い社員さん。この3人と、揚げ物を担当しているわたしが「仕事ができる」人。あとの3人は、社員さんにせよバイトにせよ「仕事ができない人」たち。そうやって「できる人」と「できない人」で区別して、オーダーが忙しくなったときに誰がどこのポジションをサポートするのか、イメージしていました。
 とにかく厳しい職場でした。地価も高いし、料理もお酒もそれなりの値段でした。キッチンの社員のなかには、きちんとした日本料理屋で働いていた人も何人も含まれていました。なにせ、プレミアムモルツを850円で提供していて、親指ほどの小さな器に入ったお通しで500円以上とっていて、わたしが適当に盛り付けたお茶漬けで1000円弱とっているのですから、どうかしています。
 「できない」スタッフは、すぐに辞めていきました。お店にはすさまじい能力主義(エイブリズム)の雰囲気が漂っていて、「できない」からと言って大目に見てもらえることはありませんでした。わけが分からないくらい板前に怒られたし、包丁を突き付けられながら盛り付けを指導されたこともあります。ホールにはとてつもなく「できる」女性社員が何人もいて、「できない」スタッフの分まで何人分も働いていました。月曜日だったり、大雨が降っていたりして営業がひまだったりすると、「できない」人から順番に退勤させられました。「できない」人が1人2人いなくても、「できる」人が何人かいれば営業は回せる。その事実をいつも突き付けられました。
 お店で働き続けるには、「できる」側の人間になるしかありませんでした。「できない」側の人間でいつづけることはできないのです。「できる」スタッフ同士は、へらへら冗談を言いながら働くことが許されていましたが、「できない」人は私語も厳禁でした。ただでさえ目の前の仕事に追われているのですから、口を動かしていたらその代わりに怒号が飛んできます。わたしも、初めはひたすら黙ってお皿を洗い続けて、黙って野菜を切り続けて、黙って魚を焼き続けて、黙って揚げ物を揚げ続けました。そうこうしているうちに、あるときから、何年もそこで働いている板前さんや、ボスみたいなフリーターさんが、仕事中話しかけてくれるようになりました。それは、ほんとうに嬉しかった。「できる」側の人間として認められたことが、嬉しくてうれしくて仕方ありませんでした。ピークの営業中、かつてのわたしのように自分のポジションのことで必死になっている「できない」スタッフの頭の上をゆうゆうと飛び越えるように、だし巻き卵を巻きながら「できる」人たちと会話をするのは、とてつもない優越感でした。
 高校時代はとにかく体調が悪く、それでも保険証のことがあり、実家では病院に行くことがほとんどできませんでした。どうしても駄目なときは全学自費で病院に行ったりもしましたが、よくあれだけの痛みに耐えながら生きていたと思います。小学校のころは見るからに状態の悪いわたしを見かねた先生が虐待の疑いを出したり、有無を言わせず病院に車で連れて行ったりしてくれましたが、高校生にもなると、さすがにそうもいきませんでした。当然、バイトなんてする体力的な余裕はなく、ひたすら地元を恨み、憎み、東京に出ることしか考えていませんでした。それに引き換え、実家を出て、一人暮らしをきちんとできている自分のことが、当時は嬉しくて仕方ありませんでした。大学の学費を払うことができる自分。仕事ができる自分。周囲に認められることのできる自分。自分の能力でお金をもらうことのできている自分が、嬉しくて仕方ありませんでした。実家を離れて、役所と交渉して保険証をつくって自由に病院に行くことができるようになり、体調をかなりのていどコントロールできるようになったわたしは、自分の能力(ability)を確かめるように、「できる」悦び(able-ism)を享受していました。

3.できない

 わたしが「できる」側の人間になってからしばらくして、あるフリーターの女性がキッチンに加わりました。その人は前の仕事を辞めたばかりで、週6日ほど出勤できる人材として期待されていましたが、びっくりするくらい「仕事のできない」人でした。その人のまな板はいつも色々なもので散らかっていて、洗った後のお皿を返却する場所はいつも間違えるし、料理の盛り付けはいつまでも覚えないし、添えなければならない岩塩は忘れるし、ホールの人がとってきたオーダーが書かれている伝票(チップ)もすぐに紛失するし、足りない食材を発注するのも忘れるし、もう、何もかも「できない」人でした。
 その人は、毎日まいにち社員から怒られ続けて、それでも、毎日まいにち出勤していました。正直言って、そのときのわたしはそのスタッフさんと出勤がかぶるのが嫌でした。ピーク時になると、その人がいるポジションはハリケーンが通った後のように散らかっていて、わたしがサポートするにも、まな板を洗ってから注文伝票を並べなおすところから始めないといけない状況でした。まな板の上に物を置いてはいけない。包丁の刃は絶対にまな板の奥に向けて置く。キッチンで一番最初にたたきこまれることも、その人はいつまでもできませんでした。
 それと、このことを書くのはとても憚られるのですが、そのスタッフさんは、相対的にとても身体の大きい人でした。乱暴な言い方をすると「太っていました」。居酒屋で働いたことのある方には分かると思いますが、キッチンはとても狭いです。人が2人すれ違うのが大変なくらい、ギリギリまで客席のスペースのために使われています。だから「太った」人というのは、その身体の特徴をすごくマイナスのものとして意識させられてしまいます。否応なく、そうなのです。当時「できる」側の人になって天狗になっていたわたしにとって、その「できない」スタッフさんの身体が相対的に大きいことは、そのスタッフさんの「できなさ(disability)」の一部にすら見えていました。口の悪い板前さんも、よくその方に対して「もう少し痩せられないの?」という(いま思えば信じられないような)ことを言っていました。
 いま思うと、ひどい職場だったと思います。でも、ずっとそこにいて、みんな感覚が麻痺して、どうかしていました。「できること(ability)」と「できないこと(disability)」が、そのまま人間そのものの価値のように扱われていて、「できる」人と「できない」人の線引きが、まるで肌の色が違うかのように、はっきりと職場全体で目に見えるもののように共有されていました。その線引きには、「太っている」と「太っていない」というのも、含まれていました。ホールにせよ、キッチンにせよ、「太っていること」は「できないこと(disability)」のシンボルのようでした。書いていて、指が冷たくなります。でも、その職場では、それが当たり前でした。職場全体に、「エイブリズム(ablism:できる至上主義)」が、深く、深く、浸透していました。全員の心が、みっちり奥まで蝕(むしば)まれていました。

4.真夜中の告白

 ほぼ週6で入っていたその女性は、結局2カ月ほどでお店を辞めることになりました。お店にいられなくなったからです。いつまでも「できない」人が沢山のシフトを食うのは人件費の無駄だ、ということも裏では言われていたようでした。ただ、ちょうど社員さんの異動と重なったタイミングでもあったので、一応その人のお別れ会も兼ねて、みんなで渋谷に飲みに行くことになりました。送迎会の幹事は仕事の「できる」わたしに任せられていたのですが、その日の飲み会は、人生で忘れられない日になりました。
 お店の営業後、深夜25時半スタートという異常な送迎会でしたが、一通りみんなが飲み食いしたころ、辞めることになったその女性スタッフが、わたしの横に座りました。正面には、いつもその女性を怒鳴り散らしていたベテランの社員さんがいました。その女性は、ぽつりぽつり話し始めました。

わたしは、本当に仕事ができません。自分でも分かっています。
このお店ではやっていけないことは、すぐに分かりました。
でも、こんなにできない私をいつまでも怒ってくれて、感謝しています。
わたしには障害があります。最近ADHDだと診断されました。
キッチンの仕事に向いていないのは分かっています。
それが障害のせいだということも自覚しています。
でも、障害を言い訳にしたくありませんでした。
できないのは自分悪いから、できるようになりたかったです。
でも、できませんでした。
夜のそらさんみたいに「できる」のは、若いのにすごいと思いました。
障害のことを隠していて、ごめんなさい。
わたしが仕事が「できない」のには、障害も関係していると思います。
でも、本当に「できる」人は障害を言い訳にしないと思うんです。
だから、わたしが「できない」のはわたしが悪いんです。
でも、障害のことを隠して働いていたので、それを謝らせてください。
ごめんなさい。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。

テープレコーダーで録音したように、覚えています。その女性の座っていた場所、声のトーン、話した内容、そのときの表情、机の上に置いてあった料理、正面の板前の社員さんの表情、すべてはっきりと覚えています。思い出すだけで、涙腺から胃袋に繋がっているピアノ線がキリキリと引っ張られるような気持ちになります。
 その女性の告白を聞いて、当時膨れに膨れ上がっていたわたしの自尊心は、氷点下の冷気にさらされたシャボン玉のように一瞬で凍り付いてしまいました。このひとが「仕事ができない」のは、このひとの能力が低いからではないの?そうではなくて、このひとに障害があるから、このひとは「できない」の?じゃあわたしが「できる」のは、わたしに能力があるからではなく、わたしに障害がないからなの?わたしには能力(ability)があって、このひとに能力(ability)がない―――のではなくて、わたしに障害(disability)がなくてこのひとに障害(disability)がある。ただそれだけの理由で、わたしが相対的に「仕事のできる」人のように見えていただけだったの?
 そもそも能力(ability)ってなんなの?もし、もっとキッチンの場所が広かったら。注文の伝票の文字が見えやすかったら。伝票を並べるスペースがきちんと用意されていて、紛失しにくいように工夫されていたら。伝票がなくなっても、後からキッチンからでも注文が確認できるようなシステムがあれば。仕事の順番を教える教え方が違っていたら。包丁の背に色を塗ったり、まな板にマーキングしたりして、刃の向きをいつも気を付けられるようにしていたら。お皿を返却するときに役に立つような完成写真が、棚の上に貼られていたら。まな板の横のスペースがもっと広くて、まな板が散らからないようにできていたら。台ふきを定期的に誰かが交換して、汚れた状態が続かないようにしていたら。その人の料理をキッチンのなかで運ぶ時だけでも、誰かが代わりに受け取って運ぶ同線にしていれば。不足する食材の発注に使えるような、もっと見やすいリストがあれば。もしかしたら、このスタッフさんはあんなに怒られないで済んだのではないか。こんなに「できない」人扱いされないで済んだのではないか。私たちと同じように「でき」たのかもしれないのではないか。
 向かいにいた板前さんは、ADHDという言葉がよく分からないようでしたが、「障害」という言葉には敏感に反応したようでした。板前さんは「障害者ならできなくても仕方ないよな」という感じのことを言っていましたが、上のような疑問をぐるぐる考えながら、凍り付いた自尊心が今にも粉々になりそうになっていたわたしは、その板前さんの反応に「何かが違う」という感想をもつことしかできませんでした。

5.できる/できない

 そのスタッフさんが辞めてから、わたしは職場が今までとは全く違った風に見えてきました。すさまじい能力主義(エイブリズム)が浸透しているお店のなかで、「できる」人と「できない」人が分かれているという単純な発想は、もうわたしには維持できなくなっていました。
 誰しもが、はじめは「できない」人から始まります。そのうち、お店の既存のルールに慣れていくことができる人もいるけど、他の人と全く同じようには「できる」ようにならない人もいる。情報の処理の速度も、ひとりひとり違うし、やるべきことの順番を理解する仕方も、全員が同じなわけではない。ときにはハリケーンのように散らかしてしまうことがあるとしても、その散らかったポジションは、本人の人格の価値が劣っていることを意味してなんていない。キッチンのスタッフ全体が、そうなるまでその人を放置して、いつまでも自分たちのこれまでのやり方を変えないから、そうなっているだけだ。わたしは、お店に出勤するたびに、ちょっとずつ、ちょっとずつ、そういうことを考えるようになりました。
 「できない人」という人種がいるのではなく、今までのお店の「当たり前」のやり方の基準をひとつも動かさないまま、自分たちにとって都合のいい基準をそのままにして他の人を裁いて評価しているだけだ、ということも分かってきました。実際、そのスタッフさんがやめてから、在庫発注のための分かりやすいリストを作ることになりましたが、そのリストがあったおかげで、これまでのような発注漏れは減りました。当初、すべてのメニューの中身と季節ごとの食材のリストが全部頭に入っているキッチンの人たちは、不必要なリストを作ると仕事が増えるだけだと反対していたのですが、メニュー更新ごとに新人社員さんがリストを更新するという約束で、導入されました。もし、このリストが最初からあったら、あの女性の「できないこと」は一つ減っていたかもしれない、と思いました。
 できる、できない、というのは、人格の内側にあるものではなく、周りの人との関係とか、使える道具とか、目印ひとつ、紙のリストひとつで変わっていくような、そういうものなんだ、ということを知りました。そして何より、自分のもっている「能力」は、たまたま既存のシステムや価値観が自分にとって都合がよかっただけなんだ、ということをわたしは知りました。「できる/できない」で人間そのものを分割するのは、本当は間違っていて、色んな人たちに「できない(disable)」状態を押し付けながら、自分が「できる(able)」側の人間だ、自分には「能力(ability)」がある、と信じたかっただけなんだ、という風にも思いました。
 もちろん、障害学のような学問的な考え方からすると、こういう風に雑に考えるのは正しくないかもしれません。でも、少なくとも当時のわたしには、あの「できない」女性の告白を受けて、何も考えないことはできませんでした。板前さんは「障害者」と「そうでない人」がいる、という風にきっぱり理解できたようですし、もしかしたら、その女性自身の実感も、そういう区別があるという方がしっくりくるのかもしれません。でも、わたしにはそれはできませんでした。「夜のそらさんみたいに仕事ができてすごい」というその日の誉め言葉は、わたし自身に対する呪いのように、背中にのしかかり続けていました。それまで自分の能力(ability)が認められてあんなに嬉しかったのに、自分はただ障害者差別(ablism)に加担していたんだ、という風にしか思えなくなりました。
 そうやって考えを蓄えていくなかで、わたしのキッチンでの態度もちょっとずつ変わっていったはずですが、その期間は長くはありませんでした。大学3年になったころには、わたしの持病はそれまでとは全く違ったレベルに達してしまい、とうとうわたしは働けなくなったのでした。いや、正確には少し違います。ずっと、明らかに病気っぽくて見てられない休みなよと言われながら、それでも無理してシフトを入れていたのですが、とうとう料理長から「お前みたいな人間を働かせるわけにはいかない。どうみても普通じゃないから、病院に行きなさい」と言われて、ある日、出勤してすぐに退勤を命じられたのでした。その後、わたしは人生で最初の長い入院をしました。最後の最後まで、わたしは自分が働くことのできない身体であることを認めたくありませんでした。辞めたスタッフの告白をきっかけに、エイブリズムを反省し始めていたはずなのに、わたしは最後の最後まで、自分が「できない」人間であることを認められませんでした。

6.トランジションとエイブリズム

 わたしは今、会社で働いています。週4日の出勤で、時短勤務ではありますが、本格的に復職しました。会社では、基本的にはほぼ完全に女性の側で認識される状態で働いています。最近さらに髪色を明るくしたので、より一層女性の側に埋もれるようになりました。どうやって自分で判断してるの、と思われると思いますが、トランジションを経験した人には何となく分かると思います。わたしについて言えば、女性ものの服を扱うお店で自然に接客されるというのが、分かりやすい例ですが、そういう分かりやすいものでなくても、コミュニケーションのなかで今自分がどっちの性別で話しかけられているのかは、分かるものです。たぶん皆さん無自覚にやっているのだと思いますが、社会では、男女でコミュニケーションの作法が違っています。
 もちろん、女性として見なされると、市役所の男性職員からタメ口をきかれたり、男性社員から雑な扱いを受けたりするので、不本意なことも増えました。一回だけ行った警察でも、子どもみたいな扱いを受けてびっくりしました。それでも、会社の知らない女性のスタッフさんから、男性に対するのとは違った、つまり同性に対するようなコミュニケーション作法を受けるのは、以前よりも本当に自分にとって嬉しいことでした。社会の中で男性として扱われるのは言いえないほど苦しく、人格全体をスルーされているような感覚でしたが、それがなくなっただけで、死にたい気持ちは減りました。
 ただし、これを書くのは苦しいのですが、もともと(一応は)男性として雇用され始めたわたしが、今のように非男性的な=女性的な装いで働くことが許されているのは、わたしが2つの意味で「できる」からです。
 1つ目は、わたしが「仕事ができる」からです。自分でこんなことを言うと、すごく嫌な人間に見えてきますが、体調さえ悪くなければ、わたしはとても「仕事ができ」ます。休職したり、時短勤務だったりでも許されているのは、わたしが今では専門職としてかなりの信頼を得ているからです。トランジションを機に退職→再就職する人も多いなか、上司の理解を得ることができたのも、相対的にわたしが「できる」からです。ぼろぼろ泣きながら部長にカミングアウトしたときも、あなたの性別が男性でないとしても、そんなことは関係ない、困ったことがあったら何でも言ってほしい、という風に言ってもらえましたが、そのとき部長ははっきりと「あなたみたいにできる人に辞めてほしくない」と言っていました。もし、わたしが今のようには会社の仕事をこなせなかったら、そういう「人材」だったら、きっとわたしはこんなに簡単に在職トランスできなかったと思います。わたしの状況を知っている女性のスタッフさんたちからは「人事課の人には知り合いが多いから、社員証の名前とか変更するときは言ってね」と言っていただけましたが、それもこれも、わたしが「仕事ができる」からだと思います。皆さんの好意を否定しているつもりはありません。本当に、もったいないほどの理解と配慮をいただいています。でも、わたしが今よりも「できない」人だったら、こんな風には簡単でなかっただろうと、思います。
 わたしのトランジションが簡単だったもう1つの理由は、わたしが「ふつうの女性のように見えること」ができているからです。簡単に言えば、目立たずにいることができるからです。どう見ても女性にしか見えない!とか、そういう意味ではなく、「なんだか様子がおかしい人がいる」という風に目立たないことができるからです。そういう風に、自然に「女性たち」のカテゴリーに収まるような見た目をしたり、身体の動かし方をしたり、話し方をしたりして、「女性たち」のなかに埋もれることができているということ、「埋没」できているということが、トランジションを明らかに容易にしているように思います。こういう言い方をした方が分かりやすいならば、パスすることができているからです。
 書いていて本当に嫌な気持ちになります。もし、わたしが今のようにはパッシングできなければ、周りの人は全く違ったものになったでしょう。前の会社を辞める前、世界の全てがごつごつでざらざらで、視線のフォークに突き刺されていたときの気持ちは、思い出したくもありません。もう諦めて、フルメイクをして、女性ものの流行りの服を着て、髪を巻いたりして、埋没を意図して心がけるようになって、本当に楽になりました。

7.パッシングという能力

 「パス」という言葉は、「パスしている」か「パスしていないか」という風には使われていません。それは「パスできている」か「パスできていないか」という風に使われます。それは、できるできないかの問題なのです。

(※注意※)今からとても酷いことを書いているように見える箇所がでてくるかもしれませんが、どうか記事全体を読んだうえで、わたしのスタンスを理解していただきたいと思います。

「パスできる」ってどういうことでしょうか。それは、さっき書いたように、「男性」と「女性」での性別の見分けをすることが当たり前になってしまっている今の社会の中で、どちらかの集団に属しているものとして、とくに目立たずにいられること、視線が止まらないようにすること、よい意味で視線をスルーされるということだと思います。
 「パスができる」ために必要なことは、いろいろあると思います。そのなかには、顔や背丈のような、生まれ持った身体に関わるものがありますが、話し方や、身体の動かし方、服装など、あるていどコントロールできるものも、「パスできる」かどうかに大きくかかわっています。
 シスジェンダーの人たちは、生まれたときに割り当てられた性別を生きるなかで、自然に「女性らしい/男性らしい」言動を身に着けていきます。女性的な話し方、女性に一般的な身体の動かし方、女性たちが普通に選んでいる服装。そういうものを、例えばシスジェンダーの女性は自然に学び、習得していきます。そのための機会も、たくさん与えられます。もちろん、社会に課せられるジェンダー規範が不都合に感じられる方もいると思います。でも、たとえそうだとしても、社会の中で「女性(男性)としてパスする」ための技能を、シスジェンダーの人たちは長い時間をかけて自然に身に着けていきます。「え?あの人の服装なんかおかしくない?」とか、「え?この人って男性なんじゃないの?」とか、そういう風に目立たないでいること、つまり「パスできること」が、シスジェンダーの人たちは簡単にできます。
 わたしは、この「パスできること」は、シスジェンダーの人たちが独占している「能力(ability)」だと思っています。シスジェンダーの人たちだけが、その「能力」を身に着ける機会に圧倒的に恵まれているからです。
 よく、トランスし始めたころのトランスジェンダーが、ちょっと違和感のある服装や、ちょっと普通でないメイクをしていることがあります。わたしは、パスすることが無前提によいことだとは全く思っていませんが、パスを目指しつつ、それでも図らずも「目立つ」状態になるトランスがいるのは、「パスすること」の能力を身に着ける機会を奪われてきたからだとわたしは思っています。シスジェンダーの人たちには潤沢に与えられている、その時間と機会を、トランスたちは奪われ続けます。不本意な性別を生きることを強いられ、望む性別で生きることにともなう様々なものから厳しく遠ざけられることも多いです。男性がメイクをするなんて気持ち悪い、女性が髪を短くするなんておかしい、そうして、トランスたちは「パスすること」の能力を身に着ける機会をはく奪され続けます。シスジェンダーの人たちが、友人や家族から自然に学ぶことになる、メイクの方法とか、髪形を整える工夫とか、そういう知識やスキルを身に着ける機会が、トランスからは奪われがちです。
 わたしは最近、「パスできること」をシス・トランスに共通の能力(ability)として捉えてみることには意味があるのではないかと思うようになりました。シスジェンダーの人たちにとって、自分たちが「パスできていること」は、ほとんど意識されません。でも、それは事実として「能力」の1つであり、その能力は学習と訓練を通じて身についていったものです。パスできているか/できていないかという区別は、トランスジェンダーだけの問題だと考えられがちですが、それはシスジェンダーが持っている特権を不可視化させてしまう枠組みだと思います。違うと思います。シスジェンダーは、ほとんどすべての人が何も問題なく「パスできている」から、自分たちが持っている能力に気づいていないのです。自分たちが持っているその能力によってどれだけの利益を得ているのか、気づいていないのです。それは、社会の大多数の聴者(聞こえる人々)にとって、自分たちのもつ「聴力」という能力があまりに当たり前になってしまっていて、情報保障などの点で自分たちのその能力からどれだけの特権を自分たちが得ているのか、無自覚になってしまっているのと似ています。そして、その能力をもたない人々のことを無視することで、様々な不利益を与え続けているのと似ています。

8.パッシングエイブリズム

 こうして、「パッシング」を「能力」として考えてみることで、いくつかのことが見えてくると思います。1つには、さっき書いたように、その能力を身に着ける機会が社会の中で不公平に配分されている、という事実が見えてきます。シスジェンダーだけがその「パッシング能力」を蓄えることを許されていて、トランスジェンダーからはその「パッシング能力」を身に着ける機会がはく奪されています。移行初期のトランスたちが直面する能力不足(disability)は、その能力を身に着ける機会をシスジェンダーが独占し、トランスジェンダーから奪っているという、社会の不公正に由来するものであることが見えてきます。
 パッシングを「能力」として考えてみることの2つ目のメリットは、その「能力」がどのような基準で測られたものなのか、を問い直すことができるということです。わたしがバイト先で出会ったADHDの女性は、その当時のお店の基準では「仕事ができない」人でしたが、その「できなさ(disability)」には、そのお店の既存のシステムやルール、使える道具、物の配置などが明らかに関与していました。そして、そもそも誰が「できる」人かというのは、周囲の人のスキルや、求められる尺度によって簡単に変化するものです。わたしのいたお店には、日本料理の修業を積んだ人や、飲食の経験が長いベテランのフリーターさんが多くおり、「できる」の基準が非常に高く、また複雑な尺度で考えられていました。事実、やめていったその女性は、そのあと別の飲食チェーンで雇用され、非常にうまく仕事をこなして店長を務めるまでになったそうです。わたしがバイトを辞めてしばらくして、お店にそのことを嬉しそうに報告しに来てくれたそうで、「あの○○さんが!」という驚きと共に、かつての料理長からわたしもメールをもらいました。誰かが「できる」かどうかというのは、環境によって、評価基準によって、変わるものなのです。
 同じように、パッシングが「できる」とはどういうことか、という評価基準だって、変わったっていいはずですし、実際変わってきたはずです。「ちょっと変だな?」とか「男性が女装している?」といった風に視線を止めらるようなハードルが、今とは全然ちがうところにある世界は、簡単に想像できます。女性や男性であることの社会的意味とか、女性らしさ/男性らしさを形作るような習慣とかが変化していけば、「パッシング」できる/できないの基準は、それに伴って変わるに違いありません。能力(ability)は、その人個人に内在するものではないはずです。自分の能力(ability)があるだけなのか、それとも相手に障害(disability)があるだけなのか、どっちなんだろうと、かつてわたしは深夜の居酒屋で悩んでいましたが、そのどちらも間違っていると、今では思います。できる/できない(able/disable)は、個人に内在しているものではないのです。
 パッシングを「能力」として考えることの3つ目のメリットは、この問題をエイブリズム(能力主義=障害差別)の問題と接続できる、ということです。これまでわたしは、基本的に、「できる」ことはよいことだ、という前提に立って、このブログを書いてきました。その前提に立ったうえで、「できる」能力を身に着ける機会が奪われているトランスの状況とか、「できない」とされて不当な目に遭うことが減るような基準の変化とかについて、書いてきました。しかし、「男性/女性として自然にカテゴライズされる」という、社会の99%以上の人が当たり前にできていることを、こうやってことさらに能力」として考えてみると、私たちがすごく馬鹿馬鹿しいことをしているということが見えてきます。どうして、男性として自然にパスできないといけないのでしょうか。どうして、女性として自然にパスできないといけないのでしょうか。どうして、男女どちらかの性別に収まることができて当たり前だとされているのでしょうか。どうして、それができないというだけで、こんなにも嫌な目に遭わないといけないのでしょうか。
 私たちの社会では、その能力があるかないか、つまりパッシングできているか/できないないかというのが、極めて大きな意味を持っています。そんな意味の分からない能力(ability)の有無が、社会的な信頼とか、生活上の安全とかに、とてつもなく大きな影響を与えています。わたしは、これを1つのエイブリズムとして、つまり障害者差別(ablism)として考えてみたいと思うようになりました。それも、「できない」状況を社会によって作らされているという、disabled/disabling の発想ではなく、男女どちらかに自然にパスすることができるという、そんな馬鹿馬鹿しい能力をたまたま持ち合わせていなかったという「不能力(disability)」ひとつで、とてつもなく差別的な扱いを受けることになるという、そういう角度から、これを障害者差別(ablism)として位置づけてみたいのです。
 できるはずなのに、社会によってできないようにさせられている。それは確かに大事な視点です。でも、それだけでなく、できなくてもいいはずのことが「できない」というかどで、不当に差別を受けている、そういう視点を、わたしは「パッシングエイブリズム」として問題化してみたいです。できるようにさせろ、という訴えではなく、なぜできなければならないのか、という問いかけを、わたしはトランスジェンダーの1人として発してみたいのです。これが、パッシングを「能力」として考えてみるという、「パッシングエイブリズム」の視点から導き出される第3の結論です。

9.エイブリズムと資本主義

 本当に、長い記事になってしまいました。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。記事の最後に、この「パッシングエイブリズム」の視点から見えてくるもう1つの問題を書いておきたいと思います。
 さっき書いたように、わたしが在職でトランスすることができたことには、わたしが仕事ができるということが大きくかかわっています。会社の中で、女性側に埋もれながら仕事に取り組んだりできていること、つまり女性として「パス」しつつ問題なく生きていけていることには、仕事そのものの「能力」がかかわっています。しかし、事態はもう少し複雑です。というのも、仕事そのものの「能力」のなかに、そもそも「自然にパスできていること」が含まれているように思うからです。つまり、わたしがとてもパスしない、違和感を与える状態で生活していたら、それは仕事を円滑に進めることそのものに影響を与えてしまう、ということです。さっき書いたように、パッシングの能力は社会的信用に(なぜか)直結してしまいます。そして、他者からの信用を得ることは、仕事を進める上では不可欠です。つまり、パッシングできていることは、「仕事ができる」という能力の一部なのです。
 ことはすごく複雑です。仕事の能力がないと、トランスしてパスすることは許されないけれど、パスしていないと仕事ができなくなってしまうのですから。パッシングの能力と仕事の能力は、2つの別々の能力なのではなく、互いにぐちゃぐちゃに絡まりあっています。そうしていろんなものがぐちゃぐちゃに絡まった、「きちんと社会人ができること」という漠然とした「能力(ability)」が、なんとなく世界を支配しているのです。
 バイト先のケースにも、同じようなことが言えると思います。仕事が「できない」ことによって辞めていった(辞めさせられた)女性は、社会の中でどちらかと言えば「太っている」ということで、狭いキッチンのなかで邪魔者あつかいされていました。書いていて苦しいですが、事実、そうでした。しかし、その女性が太っていたから(狭いキッチンで)仕事ができなかった、というのは、今思えば間違っていたと思います。当時のわたしたちは、その人が「できない」という漠然とした「不能力=障害(disability)」の、1つの目につきやすい特徴として、その人の体型を指差していただけだと思います。その人が「太っていること」のなかに、あたかもその人が人間として「できない」側の人であるということが凝縮されているかのように、私たちは体型に注目してしまっていたのだと思います。
 書いていて本当に苦しいです。しかし、事実そうだったと思います。そして、言い訳をしたいわけではないのですが、「太っていること」は、世の中でそのようなスティグマとして現に機能している面があると思います。あたかも、欲望をきちんと抑制できず、自分の身の回りのことをちゃんと合理的に切り盛りしてコントロールできないことの象徴として、つまり、ありとあらゆることに関わる漠然とした「できなさ(disability)」の目印として、「太っていること」は意味づけられているような現実があると思います。もちろん、それは全くいわれのない価値判断だと思います。本当に、ただの差別でしかないと思います。しかし、現にあると思います。痩せていることと太っていることは、本来はただの対義語のはずですが、太っていることの方にだけ、ネガティブな価値づけが含まれています。痩せている人と太っている人と、別にただ体型が違うだけですが、なんとなく痩せている人の方を信用したりする慣行が、あると思います。
 このように考えてみて、思うことがあります。もしかすると、世の中で考えられている色々な「能力=できること」は、実は、たった1つの漠然とした「できる」の一部なのではないか、ということです。仕事の能力とパッシングの能力は絡み合っていて、仕事の能力と体型も絡み合っていて、そのどちらにおいても、すごく漠然とした「できる人」という能力のイメージが機能しています。それは、やせていて、耳が聞こえて、目が見えて、階段を自分の足でのぼることができて、男女どちらかで自然にパスしていて、日本語を話していて、肌の色が”肌色”で、異性愛者で、、etc. といったような、そうした「できる身体」の持ち主です。そうした、究極の「できる=健常な身体(able body)」についてのただ1つのイメージが、社会を支配しているような気がしてきました。そして、パッシングの能力がないことによってトランスたちが不利益を受けるのも、そうしたたった1つの「できる身体」から外れていることによるものではないか、という気がしてきました。
 ちょっと何を言っているのか、皆さんには伝わっていないかもしれません。しかしこれは、確固とした確信としてあります。パスの能力や、仕事の能力、体重を「適正に」コントロールする能力。それらは、バラバラの能力ではないと思います。それらは、たった1つの極めて漠然とした「健常性=できる=能力」のなかに溶け込んでいて、絡まりあっています。そして、この漠然とした「健常性」は、まさしく資本主義によって要請され、想定されているものだということも、わたしは確信しています。全ての人が、自分の能力を労働に変換して、自分の「できる」を証明し続けることで生き延びていかなければならない資本主義社会においては、その社会を最も優位に勝ち抜くことのできる「できる」身体がイメージとして共有されているように思います。それは、現在の資本主義社会のなかで最も多くの利益を得ることを公認された身体です。ここには、たった1つの漠然とした「できる身体」のイメージがあります。資本主義が、それを生み出している大きな原因であるような気がしてならないのです。
 パッシングを能力として位置づけてみるという、この記事での「パッシングエイブリズム」の観点から考えてみたい最後の問題は、この漠然とした「ただ1つのできる身体」と資本主義の問題です。自分でもまだきちんと考えられていないし、もしかするとわたしは今、すごく粗雑で問題含みのことを言っているかもしれません。でも、書いておきたいと思います。世の中のエイブリズム(能力主義)は、決してバラバラには機能していないと思います。パスの能力、仕事の能力、階段を上がる能力、情報を首尾よく処理する能力、日本語を理解する能力、そういう色んな能力の有無によって、人間そのものの優劣が決まっているかのような、いまのエイブリズムの社会では、それらの能力差別(ablism)がいつも不可分に絡まりあっています。だから、パッシングエイブリズムは、他の様々なエイブリズムと絶対にどこかで関わりあっています。それを「インターセクショナリティ」の視点と呼ぶこともできると思いますが、今日はあえて、エイブリズムの問題として整理しておきたいと思います。そしてこれが、資本主義という巨大な敵が生み出した不正義・不公正・差別の問題だということも、ほとんど直観ですが、書いておきたいと思います。
 パッシングすることで生き延びているという、歯がゆい現実を生きながら、わたしはこの記事を書いています。でも、このパッシングエイブリズムの観点から、わたしは他の様々なエイブリズムのことを、自分に関係のあることとしてこれからも考えていきたいです。その決意表明をしたいです。
 そして、最後の最後に。皆さんがよく知っているように、日本では「性同一性障害(gender identity disorder)」という言葉が、法律のうえでも、メディアにおいても、また当事者のアイデンティティとしても、大きな役割を果たしてきました。この「障害」は、いったいどのような意味で「障害(disability)」として理解されているのか、わたしにはまだよく分かっていません。そして、それを「障害」として理解するということが、わたしの今日書いてきた「パッシングエイブリズム」とどのように交差しうるのかも、よく分かっていません。これについては、今後の宿題としたいと思います。
 長い記事をここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。