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Web3が当たり前になるために超えるべき壁

ここ1年で更に良く見るようになった「Web3」「NFT」「DAO」「Play to Earn」「非中央集権」「ブロックチェーン」などのキーワード。
ここ10年のIT界隈を賑わせた「SNS」「IoT」などとは理解のハードルが高く感じる人も多い。大きな理由の一つとして、最終的に自分たちが目で見て触れるものではなく、仕組み・プロトコル・概念というレイヤーでのキーワードだからに感じる。その中でも大局観におけるトレンドであるWeb3は理解していきたい。

Web3とはなにか

中央集権的な管理体制から脱却したWeb

https://www.soumunomori.com/keiei-izumi/archives/12032

全く分からない人も多いだろうし、私自身は理解できるものの、それが意味するところを完全に腹落ちはできていない。

まずはよく言われている教科書的な整理から。
Web2.0と言われる「大手企業の手のひらで人々が活動している世界」から、「利用者1人1人で管理し、作り上げていく世界」を意味しているWeb3。
今まで我々に与えられたFacebook、Googleなどの日々使っているサービスの全ては1つの企業がルールを決め、個人情報を保有し、それを経済的に利用してきた。それに対するアンチテーゼがWeb3という理解だ。

今回はWeb3がいかに優れているかや、革新性を述べたいわけではなく、Web3に対してどちらかと言うとやや引いたスタンスである。

Web3という考え方自体は存在すると思うし、場合によっては今後の数十年の土台になる考え方なのかもしれないが、少なくとも当たり前になるには超えるべき壁が存在するのも確かだと思う。
まずは「Web3で人の何が変わるのかを導き出すことの出来るプレイヤーの出現」が最初に求められる。

SNSという概念が出てきた時、それは分かりやすく一般ユーザーの理解を得られる生活の変化があった。
Friendsterが出てきた時、Facebookが出てきた時、Twitterが出てきた時。
確かに多くの人は最初は「何がおもしろいんだ」と一蹴した人もいただろうが、プロダクトが提供されると人はたちまち魅力にとりつかれた。
同様のWeb3を象徴するプロダクトが存在することが求められる。
そしてそれが人々の生活に分かりやすく影響を及ぼす事ができたら今の熱狂も更に増すことと思う。

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