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自分の夢まで、自己採点しないでください。

2009年の今ごろ、彼は青い顔でセンター試験を受けていた。

雪が降りしきった試験初日。リスニングテストが10問目を過ぎた直後、それまで英語が流れていたはずのイヤホンが突然何を言っているのかわからなくなった。頭が真っ白になり、以降の記憶はほとんど失くしている。

彼の通っていた高校が受験会場だったので、教師たちは「地の利を活かせ」とか言っていたが、人生最初の大一番に有利も不利もない。あるとしたら多分そいつはループ2週目の高校生だ。

二日目を終えると、手応えがなく落ち込みながら親友とラーメンを食べて帰路につき、つかの間の緊張から解き放たれて泥のように眠った。

翌日は朝から学校に行き、自己採点大会に臨んだ。自宅から持ってきた新聞の解答速報を見ながら、教師の合図でいっせいに各自が正誤を確認し始めるのだ。

今思えばひどい座組である。会心の点数を叩き出してはしゃぐ生徒もいれば、思ったような点数が取れずに泣き出す者もいた。「受験で人生が変わる」なんて言う人もいるけど、たしかにあの教室で笑ったやつと泣いたやつで、人生最初の「ふるい」にかけられた。

彼はというと、二次試験でどうにかなるというレベルではない、想定よりはるかに低い点数を叩き出してしまった。2年前から目指していた国立大の志望は、この瞬間に儚く散ったのだ。

昨夜の時点で多少覚悟はできていたので取り乱すことはなかった。しかし18歳の少年が最初に夢破れた瞬間、冷静でいられるわけがない。

オープンキャンパスで見た綺麗な校舎とか理想のキャンパスライフとか、つい昨日まで叶うんじゃないかと思い込んでいた青写真が、めらめらと焼けていく音がした。

目を熱くしながら新聞をたたもうとすると、わざわざ一面を使った文字だけの広告に、彼の視線が止まる。

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「予備校の河合塾が言うなよ!」と彼は思わず口にしたが、家路につく汽車のなかで言葉を咀嚼し、自分の部屋に入ると声をあげて泣いた。

プライドに学力が追いついていなかった彼だったが、人が変わったように過去問を解きはじめ、部屋に遅くまで明かりがついた。

田舎町からいくつもの大学に行き、妥協することなく試験に挑んでは、その度に挫折して帰ってきた。

しかし最後まで、彼の目は死ななかった。

雪が溶けきった3月下旬。

彼は自分の部屋でフリーダイヤルに電話をかけ、自動音声が「おめでとうございます。合格です」と読み上げるのを聞いた。

机の前には、穴が空くほど見つめた「あの日の新聞」が貼ってある。

「広告代理店」という会社が新聞に広告を載せる手筈を整え、「コピーライター」と呼ばれる人たちがその言葉を生み出すことなど、このときまだ何も知らない。

これは彼が広告の世界に飛び込む、4年前の話。

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