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進化か、退化か・・・。

諸説あるようだが、それらを平均すると、だいたい母親が24歳くらいに産んだ子どもは、心身ともに一番元気で健やかに育つそうだ。そう、誰もが違和感を覚えると思うが、今の社会では、24歳だと大学を出て新卒で入社してすぐぐらいなので、ほとんど現実的ではないだろう。

人間、に限らず生物は、たかだか50年や100年くらいで、劇的に進化したりはしない。社会が晩婚、高齢出産になっているからといって、人間そのものが、それに耐えられるように生物として進化したのでは決してない。

平均寿命が100歳になると言われているが、高齢出産で生まれた世代の人たちが、そこまで元気に生きられるか、正直、何年も前から私は信じていない。いつか、生物としての理を無視した社会性のツケが、やってくるのではないかと思っている。

「逃げるは恥だが役に立つ」で出てきたのだが、学生の時代に子どもを産んでしまえば、入社後の出産で仕事を辞めないといけないなどの問題や、学校での育児のフォロー制度など、社会的にもポジティブな状態にできるのではないかという話があって、もちろん、今の社会ではこれはとても現実的ではないのだが、とても面白い発想だと思った。

例えば、今の大学という価値観については、とても疑問で、私は4年に上がる時、就職活動が始まる時期に、大学は中退した。自分は大学へは進学するつもりは元々まったくなくて、親の世間体の為に、それに逆らえなくて大学へ行っていた、だから大学で何も学ぶものがなかったし、就職で大学名を背負うこと、何も誇るものがなかったから、辞めて、一個人として仕事を探したいという思いがとても強かった。

サッカーの中田英寿、野球の桑田真澄が、若い時にしかできないことを若い時にやって、引退してから、学びたいことを大学で学ぶ、という選択をしていたが、これが最も理想的であり、且つ、本来の正しい生き方なのではないかととても感じた。

実際、余程の能力がなければそんなことは実践できないのだが、何も学びたいことがない状態で、ただ、学位だけを無駄に取得して、会社で一から仕事を叩き込まれて、本当に学びたいことが出てきたときに、大学時代を後悔するというのが、とても馬鹿らしい社会だと思っている。

大学で学ぶことが無ければ就職してしまい、本当に学びたいことを見つけたら、大学へ行って学ぶ。高校卒業からの大学四年という選択は、金も、時間も、とても無駄にしている。

社会全体は進化したのかもしれないが、そういうことに疑問を持つことが出来ない人間が増えて、ただ、社会の流れにだけ乗っていればいいと思っている人間が増えて、それは人間としては退化したのだと思う。

「CountizePad」1000ダウンロード!
http://www.materialize.jp/art/android/9304/

そういえば、大学の合宿までにレポートが終わらなかったといって、合宿中にスマホでレポートを書いていた猛者がいたのを思い出しました。別にいいんですけど、めっちゃ入力めんどくさいですよね…私はPCじゃないとレポートを書けないので皆そうだと思っていたのですが、急上昇しているくらいだからスマホのメモ帳機能で課題をやる学生もいるのでしょうか?

以前、何かの調査結果で、学生のほとんどがPCを持っておらず、スマホのみでPC代わりにしていると読んだことがあったのだが、現役女子大生の周囲では、そうではないらしい。

Googleは、ユーザがどのアプリに「どれだけの時間」滞在したか、も勝手に集計していて、それを開発者は簡単に閲覧できるのだが、このメモ帳「CountizePad」は、一人平均、なんと「30分」の滞在時間となっている。

これはつまり、スマホでバリバリ文章を書いているということでしょう。

私も移動中にかなり書き溜めておく方だが、PCに比べて誤字脱字が多くて、途中で嫌になる。でも、確かに、一内容を書き終えるのに、おおよそ30分くらいは、メモ帳を起動しっぱなしかもしれない。いやいや、やっぱり、大幅な加筆と清書は、PCでするのだが。

そういえば、「自分史年表」も、Android版だけで、週末に、1000ダウンロードを超えた。高齢の方から、使ってみたいという声はいっぱいもらえるようになったのだが、「スマホで何万字も入力する自信がない」、「できるだろうか?」と言われていて、正直、まだ若者の自分でさえも、スマホだけで一気に何万文字も入力するのは、一仕事だと思った。

PCでキーボード入力するよりも、スマホの方が入力が得意という人は、珍しくないと思う。これは今の文明に適応した人間の進化だと思うのだが、その代わりに、私は、ペンで、全く字が書けなくなった。

学生の頃からPCを使っていて、ほとんど直筆ということがなかった。今も職業柄、ほぼ皆無だ。たまに、サインをするときに、全く漢字が頭に思い浮かばないし、平仮名、カタカナさえも、ペンを握りたての赤子のような字しか書けない。

ドラえもんの「ブリキのラビリンス」で、高度文明によって人間が車椅子になってしまっていたが、あの状態は、人間として、進化なのだろうか? 退化なのだろうか? 自分はもう、字を書けないので、直筆が必要な場合は、すべて、総務の人間に書いてもらっている・・・。

近々では「スピリット・サークル」がかなり自分の中でヒット作だったのだが、その未来の話で、人間は死なずに脳だけの状態になってずっと夢を見続ける、というのがある。

これは、トランプを支援していたピーター・ティールも同じものを目指していて、水上悟志はそのことを知っていたのかどうかは定かではないのだが、人間の行き着く最終的な進化は、体を持たない、完全に脳だけで生き続けて、夢の中のバーチャルワールドで生活すること、なのだろうか?

そうすると、今まさに、人の肉体で何もできなくなってきている状態は、進化の過程と喜んでいいのだろうか。

シンギュラリティは早ければ15年後、火星移住、脳だけのバーチャルワールド、たぶん、生きている内に実現されるのだと思う、少なくとも技術的には可能になるのだと思う。

どの状態が、どの状態で進化を止めるのが、もっとも人間として健全で、幸せな状態だろうか?

「スピリット・サークル」では、死ななくなった人間の末路が、語られていて、とても面白かった。おすすめです。

・・・「CountizePad」も「自分史年表」も、ダウンロードしてくださった皆様、本当にありがとうございます。要望をじゃんじゃん搭載中です。


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