言葉の断片を文章にしてみようと思いました。遺稿あるいは遺書。 美しいものが好きな、ただ…

言葉の断片を文章にしてみようと思いました。遺稿あるいは遺書。 美しいものが好きな、ただの死にたがりです。

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問わず語り

Twitterの断片を繋ぎ合わせたようなものを書きたいと思いました。 Twitterでは、愚痴とも嘆きともつかない日常の澱を晒しているのですが、想像以上にたくさんの方にフォローしていただき、驚いているというかありがたいというか。日々恐縮しております。 Twitterを始めたのはもう随分昔のことで、はじめは学校の友達と繋がって他愛もないことを呟いていたり、短歌を詠むアカウントを作ったりしたこともありました。私は飽き性なので、すぐに放置してしまい、海の藻屑のごとく行方知れずに

    • 世界はいつも待ちぼうけ。

      • 茶飲み友達

        結婚したいと思ったことはありません。もちろん子供が欲しいと思ったことも。だって子供の頃から死にたかったから。 でも思いのほかずるずると生きてしまって、自殺でもしなければさらに永らえてしまうことも感じていて、私は茶飲み友達を探していました。万が一老後なんてものを過ごすことになってしまったときに、一緒にお茶を飲んでお喋りする誰かを。 外側と本体がしっかりと分担されている私にとって、そういう人を見つけるのは簡単ではありません。外側とつながっている学生時代の友達や同僚には本体を見

        • X(Twitter)やめました

          またしばらく時間が空いてしまいました。 この1年と少しの間、いろいろなことが変わりました。 あまりにもたくさんのことがあったので、少しずつ書いていこうかと思います。 もともとここはTwitterで表現しきれないことを書こうとして始めたもので、でも気分のムラが多いせいか長続きせず、前回も今回も1年半近く空いているのですが、大本のTwitterの方は日々呟き続けていました。 呟く内容は大体が「死にたい」ということ。 あらゆる言葉で、比喩で、表現し尽くした気がします。途中から

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        問わず語り

          ほんの一年半

          書きたいことがなかったわけじゃないけれど、なんとなく気が向かずに、ふと気がつけば一年半が経っていました。 死にたがりのくせに、ほんの一年半。 去年は会社のごたごたに巻き込まれて、過労死ラインほどの残業を経験しました。でも特に死んでいません。人間は案外存外丈夫です。 悲しいかな。日常の疲れの方が勝って惰性を積み重ねてしまっています。目的のない苦労。 外側の言葉はほとんど虚言です。そのくせ存在感だけは増していき、社会で生きるのは当たり前みたいな作り笑いが張り付いています。

          ほんの一年半

          自分の中の闇

          自分の中の闇を誰かと共有したいか。ずっと昔からその答えが出ません。闇を持つ者同士なら、理解し合えることも多いでしょう。でも結局は傷の舐め合いのようで、根本的に何かが進展することはないように思います。ただそれはとても居心地の良い生温かい沼のようで、抜け出し難いのも事実です。 明るいところを歩んで来たような人は、屈託がなさすぎて、別の生き物のように感じます。憐憫の情などまっぴらなので、そういう人々の前では闇の欠片も見せません。 恋人ならそういうものを共有出来るのでしょうか。私

          自分の中の闇

          ものづくりの終焉

          ものづくり。そもそもこの世界(少なくとも先進国)ではありとあらゆるものが溢れていて、人々はその選択に辟易するのではないかと思うほどです。 一点ものの工芸品も、半分工場生産の工芸品も、純然たる工業製品も、もう何もかも飽和状態なのです。それでも新しい機能やデザインを付加価値として次々と新しいものを作り続けています。 ものを作る中の人も、半ばルーティーンのように、作りたいものがあるから作るわけではなくて、毎年この時期に新商品を発売したいからものを作れ、というスタンスで上から降り

          ものづくりの終焉

          母のこと

          幼稚園のころには、一人暮らしをすることが夢でした。監視や管理のない自由な時間が欲しかったから。 テレビは検閲性で、言葉遣いはおはようではなくおはようございますと言い直させられ、幼稚園や学校に行っている間に私の部屋中を漁り、見覚えのないものが見つかるととことん問い詰められる。夜中に叩き起こされて問い詰められたことも一度や二度ではありません。お小遣いで買うものも全て把握しなければ気が済まず、1円単位でお小遣い帳を管理されられていました。 テストで90点を取れば、間違えた10点

          母のこと

          死ぬまでのこと、死ぬ瞬間のこと、死んでからのこと

          死ぬ前に連絡をしてほしいと言われている人がいます。物理的に離れているので止めに来られるわけではないけれど、他愛ないことから大事なことまでたくさん話した人なので、それなりのけじめということなのかもしれません。 でも最期の瞬間に連絡なんかしてしまったら決意が鈍りはしないかとも思うので、ひっそり旅立とうと思います。 致死率の高い方法がいいので、飛び降りか首吊りになると思います。一瞬で後戻りできなくなる飛び降りの方がいいのかなと最近はそちらに傾いています。 死ぬのなら夜中の2時くら

          死ぬまでのこと、死ぬ瞬間のこと、死んでからのこと

          仕事のこと

          自分自身の生死を決めることに正誤も善悪もないと思っています。でも生きてしまうからには、この身体を養わなければなりません。私は早くから生きることに希望を持っていなかったので、生きるために仕事をするという選択肢はありませんでした。仕事が生きがいにはならないけれど、少なくとも何かしら自分を納得させられるものが必要で、それは私にとっては「完成があるかどうか」でした。 何かものを作って完成する瞬間の、作り手から切り離されて世界に存在するという感覚は愛おしいものがあります。毎回同じもの

          仕事のこと

          鬱らしきもの

          私はうつ病ということになっています。診断書上では。本当のところがどうなのかはよく分かりません。別にもうこの状態を治したいとも思っていません。病院に行くのは外側が社会生活を保つために眠剤と安定剤が必要だから。 死にたくて憂鬱な気分は小学生のころからあったので、そのころに病院に行っていれば何か変わっていたのかもしれません。中学生の時、うつ病のチェックリストを見掛けて、結構当てはまっていると思いました。でもそれは本体の話で、外側はごく普通に生活していたので誰にも気に留められること

          鬱らしきもの

          死にたくてどうしようもない日

          そんな日がしばしばあります。緩く死にたい気持ちはずっと静かに心の底を流れているけれど、濁流になって溢れてくる時があります。明確な理由はあったりなかったり、法則はよくわかりません。 そういう時は大抵ベッドの上から動けなくなるので、自殺をするにも身動きが取れません。休みの日なら寝たきり。ODでシャットダウンすることも。気を紛らわす気力もありません。ただどうしようもなく苦しい時間の中で蹲っているだけ。 平日なら外側がうまく活動してくれるので、仕事に支障はありません。私の外側は別

          死にたくてどうしようもない日

          本体と外側

          子どもの頃から、ずっと死にたいと思って生きてきました。うまく世間に擬態しながら、ごく普通を装って。 私の中には本体と外側がいます。 本体は元々の私で、外側は社会で生活していくために必要なことを担う私です。実家にいた頃は親用の私もいましたが、家を出て数年経って、その存在の必要がなくなったので消えました。 本体と外側、そのどちらの記憶も基本的にお互い共有しています。でも役割ははっきりしていて、例えば本体は電話を掛けることが出来ないけれど、外側は平気。本体はごく親しい心を許した

          本体と外側

          雨の日に思うこと

          重い身体を無理矢理引き摺り起こしての支度。 雨の日は身体も気分も沈むことが多くて、電車の湿度と籠った空気がさらに気分を滅入らせます。 傘を差す時の、自分の周りに空間が出来ることだけが救いだと思います。 休みの日に部屋の中で聞く雨垂れの音は好きです。ドビュッシーの「雨の庭」もいい。 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる 正岡子規のこの歌は、時折ふっと浮かんでくるくらいに私の中に刻み込まれています。 観念的な雨は美しいのに、現実の雨はとても鬱陶しいです。

          雨の日に思うこと

          好きなもの嫌いなもの②

          好きなものと嫌いなもの。前回は好きなものについて書きました。今回は嫌いなものを書こうと思います。 生きること生きることが嫌いです。子どもの頃から早く寿命が来ればいいと思っていました。私はルーティーン、つまり完成がなくてただ何かを保つ類のことが苦手です。賽の河原の石積みをさせられている気分になります。あるいはシーシュポスの神話みたいな。 こんなキリのない時間を積み重ねて長生きしてしまうなんてぞっとします。ずっと死にたいと思っていますが、願っても祈ってもなかなか死は訪れてくれ

          好きなもの嫌いなもの②

          好きなもの嫌いなもの①

          好きなものと嫌いなものを3つずつ挙げるなら、好きなものは芸術と旅とお酒で、嫌いなものは生きることと虫と親なるものなのかなと思います。 今回は好きなものについて書いてみたいと思います。 芸術美術も音楽も文学も好きです。 美術は美大で美術史を勉強するくらい好きでした。描いたり作ったりも好きだったけれど、その深奥を知る方により関心がありました。この辺りは、いつか詳しく書きたいと思います。 それから美術館という空間も好きです。静かで涼しくて仄暗い空間。私は暑さにも音にも光にも弱いの

          好きなもの嫌いなもの①