見出し画像

仕事のこと

自分自身の生死を決めることに正誤も善悪もないと思っています。でも生きてしまうからには、この身体を養わなければなりません。私は早くから生きることに希望を持っていなかったので、生きるために仕事をするという選択肢はありませんでした。仕事が生きがいにはならないけれど、少なくとも何かしら自分を納得させられるものが必要で、それは私にとっては「完成があるかどうか」でした。

何かものを作って完成する瞬間の、作り手から切り離されて世界に存在するという感覚は愛おしいものがあります。毎回同じものはなくて、生み出されたもののひとつひとつがこの世の中の片隅に残っていく、そんな自己満足が大義になるのならどんなにいいだろうと思います。とは言ってもそんなたいそうなことをしているわけではなく、しがないプロダクトデザイナーをしています。

したいことを仕事にするより出来ることを仕事にする方がいい、という話をよく聞きますが、半分くらい当たっている気がします。私はその間くらいを仕事にしています。私は文章を書く方が好きだったけれど、書きたい文章ではお金を稼ぐことが出来なかったので、デザインをしているようなところがあります。美大というのは食っていけないと言われがちですが、あらゆるものにデザインというものが存在しているので、意外と仕事はあります。私はデザイン科ではありませんでしたが、世の中の人は美大出身というだけでとりあえずデザインが出来ると思うようです。

こんな死にたがりのわりには、周りの需要に適合させ続けた外側のおかげで、普通に仕事が出来ています。遅刻も欠勤も外側が許さないから、至って真面目に働いていて、何なら数人ですが部下もいます。記憶は完全に分断されているわけではないけれど、勝手に切り替わって外側が仕事をしています。便利と言えば便利ですが、毎日その落差を体感しなければならないのはあまり楽なことではありません。忙しくなると外側と本体とのギャップに疲れてより強く死にたくなるので、もっと忙しくなった方が白黒はっきりするかもしれません。

何のためにどんなことを仕事にしているか、運や巡りあわせによるところが大きいのではないかと思います。私は仕事が上手くいっていると言えば上手くいっていますが、天職というほどではなく、その時の外側を最適化出来ることがあれば別の仕事をすると思います。でも宝くじが当たれば仕事なんか辞めてしまって、寝たい時に寝て、起きたい時に起きるような気ままな生活がしたいです。そういう生活をしても尚死にたいと思うかどうかを確かめてみたい気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?