合わせ鏡の無間地獄 映画『キャンディマン』感想

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 鏡に向かい、「キャンディマン」と5回唱えると、怪人キャンディマンが現れる――

 本作は1992年に製作された、都市伝説モチーフの同名ホラー、スラッシャー(殺人鬼)映画の直接の続編である。
 1992年版の後に『キャンディマン2』『キャンディマン3』と作られたが、そちらは‟なかったこと”になっている模様。ホラー映画ではよくあることだ。

 新進気鋭の黒人画家アンソニー・マッコイは、新作のモチーフを得るために、かつて多くの黒人が居住していたカプリニ・グリーン公営住宅にまつわる都市伝説を追っていく。

 監督はニア・ダコスタ。脚本・製作には『ゲット・アウト』『アス』等で高い評価を受けるジョーダン・ピールが名を連ねる。

 予告

 私は1992年版『キャンディマン』に特別な思い入れがある。
 哀愁を含んだ悲劇的なストーリー、トレンチコートに鉤爪というキャンディマンのクールないでたちもさることながら、自分が都市伝説というものに強く惹かれると自覚した一作だからである。
 文明の光があまねく世界を照らしても、なおわだかまる不条理や闇。
 都市伝説は、人々が無意識に恐れる‟なにか”にかたちを与え、わずかなりとも克服しようとする一種の防衛本能の産物なのだろう。
 1992年版がなければ、拙作『僕の巫女ばーちゃん?』が描かれることもなかったはずだ。
 その正統続編ということで、期待値は否が応にも高まっていたわけだが、ジョーダン・ピールの名を見てテーマ的にも「なるほど」と思ったし、不安もほとんどなかった。
 実際出来上がってきた作品も、これまで黒人差別を中心テーマに据えたジョーダン・ピール印といって差し支えないものだった。
 本作は1992年版のおよそ30年後が舞台。前作を観ておくべきかというと、作中で顛末がかなり詳しく語られるので観なくても問題はない。
 ただ、前作主人公ヘレンの巻き込まれた事件からキャンディマンの存在が消され、あくまでヘレンの起こした連続殺傷事件として新たな都市伝説となっているという構造が秀逸なので、やはり観ておくのがベストだろう。

 本作の特徴としては、とにかく格好いい画作りが挙げられる。
 上層が霧に隠れた高層ビル群を逆さに映すOP映像。鮮烈な色使いも印象的で、惨劇が起こっても、怖いと感じる前に「かっこええ……」となってしまうスタイリッシュぶりである。
 そういえば『アス』でもインパクト抜群のポスターから、地下での戦闘シーンの痺れるような格好よさがあり、こんなところにもジョーダン・ピール印を感じる。
 キャンディマンは白人のリンチによって殺された黒人の霊という設定だが、黒人への差別が非合法となったいまも、同様の悲劇は繰り返されている。
 前述した、1992年版の出来事を新たな都市伝説として追いかけるという構造は、中盤の合わせ鏡のシーンや、終盤の「無限ループ」というフレーズに繋がる重要なテーマを表している。
 黒人差別撤廃を求めるBLM運動の理念には基本的に賛同するが、参加者には様々なレイヤーがあるため一言で良い悪いといえない難しさがある。
 理性ある話し合いが行われるためには、どこかで‟無条件に相手を信じる”という段階が必要だ。
 法の中立性・公平性があてにならないという指摘も本作では描かれており、混沌とした現状を浮かびあがらせている。
 しかし、絶望ばかりではない。
 本作には、主人公の友人(恋人の弟とその彼氏)である白人と黒人のゲイ・カップルが登場する。
 目立った活躍こそないが、こうした人物がさりげなく存在することは、一抹の光といえるだろう。

                             ★★★★☆


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