翻訳のしごとをすると決めるまで

わたしはもともと、医療系の仕事に就く前のかなり長い間、英語を使う事務系の仕事をしていました。ただし、その事務所は女性がわたし一人というとても小さな事務所で、営業職の男性たちは日中外出してしまうため、わたしは正社員のいわゆるOLさんでありながら、20~30代の初めの約10年間のほとんどの勤務時間を部屋に一人きりで、電話とFAXとメールだけで他の支店や取引先とやりとりをして過ごしていたのです。

このようなコミュニケーションの形では、業務上まったく問題は起きませんでした。また、たった一人で過ごすということを、特に孤独だとか寂しいという発想もありませんでした。しかし今振り返ると、10年間という長い期間継続することができたのは、自分一人で仕事を進めることができたからこそ、なのでした。

あるきっかけで、この後わたしは短期間での転職を繰り返すことになるのですが、誰かとペアを組んだり、複数名のチームで仕事をするというスタイルになると、確実に例外なく問題が起きました。その理由をわたしははっきりと説明することができないのですが、初めは優しかったチームの人たちがだんだん冷淡になり、むしろ団結してわたしを非難し、わたしが入社してから雰囲気が悪くなったと言い、最後には一番役職が高い人に怒鳴られる、それに耐え切れずわたしが自ら退社する、というパターンを繰り返しました。おそらく、言わなくてもわかるはずのことが、わたしにはわかっていなかったのだと思います。当時の職場の方々には、申し訳ないと思っています。

小規模の職場では、業務分担が明確に決まっていないことも多いです。

ペアを組んで二人で話し合って業務を進める場合は、相手と自分の上下関係、相手のキャリアの長さ、主張の強さなどを考慮して話し合い、仕事を手分けしなければなりません。たいてい、相手は自分の考えを明確に主張せず「そこは空気読んでよ」という文脈で話をしてきます。わたしはその意味がわからず、ずばっと直接的に質問してしまい怒りを買うか、もしくは、相手が主張しないために話が進まないことにわたしがイライラして、適切だと思う結論を述べて「じゃこうしましょう、問題ありますか?」と相手の希望に反した結論を出してしまい、相手の怒りを買う。もしくは、相手が主張しないまま表面上は笑顔でいるので、わたしが「この人は特に意見ないんだな」と思ってわたしなりの結論を出すと、相手が豹変してとつぜん「そうじゃなくて!」と怒り出す。結局、どっちにしても怒りを買う。

複数名のチームの場合は、事態はより複雑です。わたしは複数名でのコミュニケーションがほぼ理解できなかったのです。

自分と相手の二人の会話ではちゃんと相手の言っていることがわかるのです。それが例えば、途中から三人目がその会話に加わったとき、三人目と最初からいた二人目の会話のシーンだけ、急に音声がミュートされた画面の状態になります。一瞬、物理的に声のトーンを落としたのかな、とも思うのですが、どちらかがわたしのほうを向いて何かをしゃべるときは、だいたいですが、聞こえる(というか、わかる)のです。しかしそのときの話題はミュートしていたときの会話の続きになるため、わたしは内容についていけずちぐはぐな回答をしてしまい、結果二人に笑われてあきれられる、で会話は終わりとなる、というのがよくあるパターンです。

わたし以外の人たちの間の会話は、物理的には聞こえるはずなのですが、言葉として認識できない、と言ったらいいのか。雑音と紛れてしまうのです。

昼間一人だけの職場で長年過ごせたことは、正社員という安定した生活を長い間経験できたという良い面がある反面、この、複数の人との雑談的なコミュニケーションがほとんど理解できない、という自分の特性が、どれほど問題であるかを意識しないままに、年を重ねてしまうことになりました。自分はちょっと緊張しがちで性格が変わっているけど、やればできる、「ふつう」の人だと思っていたのです。

そしてこのため、この後の約10年、コミュニケーションが必須の職場に無謀にも自分から何回もとびこんでいき、そこで怒鳴られたり無視されたりして短期間で転職を繰り返す、よくあるパターンに陥るのです。最短では、11日目で逃げ出したこともあります。社会人として、本当にあってはならないことです。

入社しては周囲の怒りを買い数ヶ月で逃げるように退職することを繰り返したわたしは、さすがにやはり自分はどこかおかしいのではないか、と自分を疑うようになりました。

そこでインターネットや書籍を手当たり次第読み、その頃、アスペルガーとか発達障害という疾患が注目されていることを知りました。しかしなんとなくですが、二人での会話は理解できることなどから、わたしは自分が完全なアスペルガーと、そうではない人の中間くらいにいるのではないかと感じていました。実際、のちにアスペルガーの傾向が強い発達障害という診断を医師から頂きました。

またわたしは、人の言葉を文字通り解釈し、冗談を本気にしがちです。

わたしが新社会人になったとき、全国の支店の新入社員が集められ、大きな合同研修がありました。そこで、人事課の講師から

「お客様から電話があったら、まず『いつもお世話になっております』というように」

という話がありました。質問ある人はいますか、というので、わたしは威勢よく手を挙げ回ってきたマイクで堂々と

「でもそのお客様が初めて電話をかけてきた人だった場合、いつもお世話になっています、というのは当てはまらないのでおかしいのでは?」

という趣旨の質問をしました。講堂にいた100名以上が一斉にどっと笑いました。わたしにはその意味が理解できず、ただただ、ぽかんとしていました。おそらく、空気が読めないどころか、ほんとうに変わった天然系の人と思われたでしょう。このような社員に責任のある仕事を任せる会社はありません。

しかし勉強の成績はよいので、わたしは「頭はいいんだけどね」という遠回しな最低評価をもらっていました。言われたことは忠実にやるけどそれ以外やろうとしない。突然の変更でパニックになる。ばかまじめ、頑固、柔軟性がない。そのあたりも、アスペルガー特性に合致します。

しかし一方、アスペルガーによくある、何かを収集するとか、暗記力がすごいという性質はまったくなく、むしろ暗記力は著しく弱い。人の顔や名前や肩書きなんかは覚えられません。いつ誰とどこへ旅行にいったか、友人の子供が何人で男の子か女の子か、さらには自分が何年頃どの職場にいたかを言えない。学生時代は毎日顔を合わせる、しかしわたしが顔を覚えていない先輩方数名から、わたしが「挨拶をしない」という理由で呼び出され、取り囲まれ責められました。顔を覚えていないので挨拶のしようがなかったのです。職場では、4名の湯のみが覚えられず「私達に興味がないのかね」と皆の前で怒鳴られました。部長が「どうしてきみは普通のことができないのか」とため息をつきました。

こうして、働くこと以前に「普通のこと」ができないという劣等感や、職場の人が何を考えているかわからない恐怖感や緊張感に疲れ、同僚、上司全員からわたしへの嫌悪感や敵意を感じる閉塞的で孤独な毎日に神経をすり減らしていた日々のなかで、

「これがアスペルガーってやつなのか」

という絶望が日に日にリアリティを増して行きました。

どうしよう。

このまま仕事ができない状態が続けば、年齢的に考えて、正社員として雇ってもらえる会社はもうなくなるだろう。また、もしそんな会社があっても、同じことを繰り返すことになるだけでは、先がない。生活できない。でも、わたしにできることって何もない。焦りました。転職を繰り返し、アルバイトで食いつなぐ期間もありました。手取り月収が12万となったときは、不安でたまらなくなり市民課に生活保護について相談に行きました。友人と交流するためのお金も、心の余裕ももはやなく、誰とも話さず、職場で怒鳴られてはわけも分からずひたすら謝り、「理由が自分でわかっていないのに謝ってるだけでしょ。だからまたやるんだよね」とさらに怒られ(でも理由について話すと、言い訳してると言ってさらに怒られる)、アパートに返って一人で泣く、その繰り返しでした。

まだ医療系の職場にいたそんな時期、インターネットの海外のアスペルガーのコミュニティの書き込みのなか、出会ったのがこの言葉です。

"Sell your work, not yourself."(あなた自身を売るのではなく、あなたの仕事を売りなさい。)

コロラド州立大学の動物学者、自閉症のための活動家で自身も自閉症をもつ Mary Temple Grandin 教授の言葉でした。夜中、一人でパソコンに向かっていたわたしの前に立ち込めていた暗黒の闇が晴れ、顔を上げると目の前にざっーと一本道が開けたような気がしました。

次回は、そして、わたしがどう行動したのか。について書こうと思います。