フリージア

よそ見をしながら歩けるほどにこの道は毎日通る。ちょうど正午。僕はどこか外で昼ごはんを食べようと出かけていた。あいにくの雨だが、話が出来ることの喜びはそれを障害としなかった。目に映るのは、中古車屋、レンタカー屋、マンション・ビル。雨は景色をそれほど変えることなくただただ鬱陶しいだけだった。
「だからね、本当に腹が立つんだよ。そうやって下心で人口の少ない文化にすがる若者が。もっと純粋なきもちを持ってほしいね」
雨は道路に叩き落され、勢いを残したまま僕のズボンにシミを作る。相合傘をするほどこの傘は大きくないため、肩もびちょびちょだ。僕はどれだけ話す声が大きかろうが小さかろうが気にしない。ただ、最近寝付けない僕はいつもより小さめの声だったと思う。
「ところでさ、サブカルチャーってあるでしょ。君に聞きたいんだけどさ、カルチャーをろくに知らないのにより限定された範囲を扱うサブカルチャーから入るのはおかしい、ってのと、カルチャーを知るために自分の嗜好にあうサブカルチャーから入るべきっていう論理はどちらが正しいと思うかい」
僕は返事をまたずにそれこそこの雨のように言葉をぶつける。久々の会話に熱が入り、また心地良い単調な雨音は洗脳めいた力を発揮し口をよく滑らすのに役だっていた。道路を挟んだ反対側の道では女子高生が僕を指さして笑っている。
「まあ、どちらも納得のいくテーゼではある。だからこそ、中途半端な若者が多くなるとも言えるんだけどね。あ、それでさ」
もう数分歩けばいつもの喫茶店に着く。僕は決まって店の一番奥の、壁のぶつかる角に座るんだ。店長はわざわざガラガラなのに必要以上に歩かされることを嫌ってか渋い顔をするが、知ったことない。
「ほんとうに、むかつくね。アイデンティティだが、承認欲求だが知らないけどさ、そんな若者を目の前にしたらそいつの両親に説教してやりたくなるよ」
僕は大きく笑った。それに驚いた通行人が僕を見てギョッとしたがいつものことだからそれにも慣れた。
傘を折りたたんで肩を払う。喫茶店に着いた。雨は激しさを増し、車すらほとんど走っていない。僕は大きく息を吐いた。吐息は気温で白く凍りそのまま雨粒をすり抜けて空に消えていった。冬が来たのだ。とびらを開けるとカランコロンと店内に音が溶けて、ラジオの声が聞こえてくる。
「ほら、先に入って」とびらを開けたまま器用に傘を畳んで、少し遅れて僕も中に入った。
ウェイトレスが僕に気づくとヨロヨロとこちらに近づいて「お客様お一人ですね」と頭を下げた。僕は頷いて、いつものように奥の席へと歩くのだ。

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