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侵襲  

手術に関する内容です。苦手な方はブラウザバックを!

腹腔鏡ふくくうきょうでいけると思いますが、癒着があったり、出血があったら開腹に切り替えますね」

1月31日の午後、夫とふたりで手術の説明を聞いた。
2月の終わりの、子宮と卵管の摘出手術にむけて。
説明の途中、研修医の先生が来た。
「ごめんなさい、ごめんなさいねー」
言いながら席を立つ主治医の先生。
急患の方が来たのだろうなと気配で分かる。

隣の診察室から主治医の声が聞こえてくる。

「がんばりましたね、もう大丈夫だよー」

この先生は患者への声かけがやさしい。
そして内診が上手い。痛くない。これ、すごく大きなポイント。

※腹腔鏡、開腹は手術の術式(方法)で、腹腔鏡の方が患者負担が少ないとされている。





私には、子宮筋腫子宮腺筋症せんきんしょうという疾患があった。(入院時での診断。手術で取ったものを病理診断に出しているので確定はこれから先)

これらが原因で起こる過多月経、そこからの重度貧血。
加齢や更年期だと思い込んでいた頭痛、動悸、息切れには病気が隠れていた。
そして昨年夏に、激しい動悸から救急車搬送という事態を引き起こした。

筋腫も腺筋症も、生理があるたびに悪くなっていく。
痛みがどんどん強くなっていき、出血量も増えていく。

半年前からスタートした産婦人科での治療は、ホルモン剤を飲み生理を止め、鉄剤を飲みながら貧血を治した。
ここまでは順調。 

生理が止まっているから、筋腫も腺筋症も暴れることなく、静かにしてくれていた。

生理さえなければ何も問題がない。

主治医に
「貧血のあの状態のまま、あと一回生理が来てたら死んじゃってたかもよ……ギリギリセーフだったよね」
と言われ、怖くなった。
(搬送時のヘモグロビンは6.1。酷い数値だが、身体の不調に慣れてしまい、状態の悪さに本人が気づけない。貧血はそこが怖い)

生理を止めるホルモン剤「レルミナ」は、最長で半年間しか飲めない。骨粗しょう症になるリスクがあるからだ。

飲み始めて4ヶ月が過ぎようという頃、さあこの先どうするかの選択を迫られた。

別のホルモン剤「ディナゲスト」で生理の威力を弱め(止まったり、止まらなかったりらしい)閉経まで逃げ込むか。

手術で、子宮を摘出してしまうか。

悩んだ。

友人の中には、手術を受けた人も、「ディナゲスト」を数年間服用しながら閉経を迎えた人もいた。
彼女らは自分で選択した答えやそれに至る道のりを、「こうして良かった。今とても楽よ」と話してくれた。 

noteも読んだ。
ネット検索もした。

夫の母には「取った方がいい」と言われ、夫には「取らない方がいいんじゃない?」と言われた。
母は、私が手術を受けることを怖がった。

決めるのは、自分。

4月、長男が高校生、次男が中学生になる。
その時、元気でいられたら……元気でいたい。
私も新しい生活をしたい。

生理の出血が尋常ではないことも、身体に起こる痛みにも辟易していた。
排卵期、PMS、生理期間。
月の半分くらい、どこかしらの痛さと共生する日々。
鎮痛剤を限界まで飲んで、痛みが弱まるまで休むしかなかった。

もういいんじゃない?
生理がないってこんなに身体が楽なんだ……
生理を止めている間に思ったことだ。
貧血にもならない。
身体が軽い。
息が切れない。
ホットフラッシュ(更年期症状のひとつ)はあれども、生理のある暮らしとは比べものにならない。


長男の高校受験が1月中に終わるであろうと分かり、手術を受けようと決めた。



侵襲しんしゅう


外的要因によって生体内の恒常性を乱す。
侵襲(しんしゅう、英語: invasion)とは、皮膚を破ったり、何らかの医療機器を体内に挿入したりすることを意味する医学用語であるが、何らかの害を及ぼす要因によって生体内の恒常性を乱す事象全般を指す用語としても使われる。

ウィキペディアより引用

「侵襲」という言葉を初めて聞いた。

私が受けた腹腔鏡手術は、低侵襲手術と言われている。
侵襲が低い、すなわち患者の身体への負担が少ない。

怖い言葉だなと思ってしまった。低が付いているにも関わらず。

私の場合、腹腔鏡の傷は計4箇所。
おへそを少し切開しカメラを入れる。
下腹部の位置に3箇所穴を開け、そこから鉗子や手術器具を入れる。

図を描いて説明してくれる先生。

手術で起こり得るアクシデントも丁寧に話してくれた。

医学の進歩は凄いなと思った。
こんな事、出来ちゃうんだ、である。
それを私が受けちゃうんだ、である。(語彙力のなさ!)

入院までの数週間は、精神的につらかった。

自分を含め、家族も感染症に罹るわけにはいかない。そうなったら全てキャンセル。
子ども達が薄着でくしゃみをするとピリピリ。

入院を知らせておいたほうがいい人たちに連絡をした。

驚かれた。当然であろう。
皆がやさしいメッセージをくれた。

がんばって
成功を祈っています
ぜったいに大丈夫
新しい自分になれる
無理しないで  

あたたかい言葉たちに励まされながらも、心が追い込まれた。
ありがとう。
私、大丈夫。
だからもう何も言わないで。
何もしないで。
そのまま、そこから見守っていて。
言葉も、文字も、もう誰も、これ以上私の中に入ってきてほしくない。

こちらから知らせておいておきながら、非常に自分勝手だ。
本当にごめんなさいと思った。
「ありがとう、がんばってくるね」と返しながら、人が自分に対して何かをしてくれることが、この時も術後すぐも、すごくつらかった。

普通にしていてくれることや、むしろ無関心なふりをしてくれること。
家族は家事を覚えようとしながらもかなり適当で、それに腹立ちながらも、安堵した。

波打つ気持ちにじっとしていた。
じっとしていればいい。不安や恐怖と一緒に。

ホルモン剤で強制的に活動を止められた、私の子宮みたいに。

友達から御守りが速達で送られてきたとき、叫び出したくもなり、もう一刻も早く入院したいと思ってしまった。




手術は9時から始まり、ロビーに待機していた夫が呼ばれたのは14時半だったと後日聞いた。

術後の、管や機器に繋がれた状態だった時間は、想像していたほどつらくなかった。
寝ていられたからだと思う。
寝ては起き、寝ては起きての繰り返し。

看護師さんから、発熱していることを知らされる。
だからこんなにガタガタと震え、寒いのだ。
布団を重ね掛けしてもらう。

腰が痛くて、ベッドの手すりにつかまり体勢を変えた。
管だらけでも少し動ける。

病室に薄明りがさして、夜が明けたのがわかった。 
術後一日目の朝。

本当に手術したのだろうか。
腹腔鏡で出来たのか、開腹になったのか。
痛みは全くない。
点滴から痛み止めを入れてくれているからだろう。


身体についていたものが一つずつ外されていく。スッキリ。

トイレまで歩いてみることに。

歩ける。が、猛烈に気持ち悪い。
昨日手術室でも、意識が戻ってまもなく気持ち悪くて嘔吐した。

病室に戻って来た時も気持ち悪さを訴え、点滴に吐き気止めを入れてもらった。

起き上がり、トイレまで行くことが出来て、尿管が外れた。

執刀医(主治医の上司)が病室に来て、手術は上手くいったと話してくれた。その間、ずっと吐き気を我慢。

その日の午前中は吐き気と嘔吐。
食欲もない。
全粥の朝ごはんは数口でギブアップ。

手術前に麻酔科医の先生と話していたが、おそらく全身麻酔の影響ではないかと思った。

執刀医、主治医の先生も看護師さんたちも、「気持ち悪さは必ず抜けるから」と励ましてくれた。
午後から徐々に吐き気が無くなった。

研修医の先生が「今不安なことはあるか?」と聞いてきてくれたので、私は腹腔鏡で出来たのですか?と聞いてみた。出来ましたよに、ホッとした。


術後一日目は、たくさん歩いた。
点滴の成分で一時間ごとに尿意があり、トイレと病室の往復。夜中1時過ぎまで。

「術後は癒着を防止するために歩いた方がいい」と体験談で読んでいたので、今身体に良いことをしている!と思いながら点滴スタンドと一緒に歩いた。

術後二日目にガスも出て排便もあり、「順調です」と言われた。
先生達、看護師さん達に喜ばれた。
ごはんも食べられるようになってきた。

ベッドの上でなるべく起きているようにした。
上半身だけを軽くストレッチ。
そしてなるべく歩く。
フロア遠くのトイレまで行く。
(この頃は点滴はなし。点滴ルートも取ってもらえた)

痰がからむ咳が出始めた。 

検温すると37℃。(私の平熱は36.8。これしきの変化なのに術後なのでドキリとする)

咳は全身麻酔の気管挿管のせいでしょう、熱は術後上下するもので37.5℃以下なら大丈夫ですと言われる。 

入院していてよかった。看護師さんに感謝だ。
すぐに不安を取り除いてくれる。

術後三日目、四日目と過ぎていくにつれ、身体も心も落ち着いてきた。

手術を心配してくれた方々への気持ちが、ゆっくりと「ありがとう」だけに変わっていく。幾重にも重なってあたたかく包み込んでくれた。


つらかった気持ちは嘘ではない。
そう思ってしまったことも悪くはない。
全部の感情を持ったままでいい、そう思っている。

気持ちの変化を noteに書いて、これを読んで傷つく方がいるかもしれない。けして傷つけたくて書いたのではない。

言葉をかけてくださった時、いちばんに出てきた感情は「ありがとう」でした。今もそうです。


入院から9日目。
退院の朝、夫からのメール。

「( 次男 )が39℃ある」

帰ってからすることを頭のなかで計画立てる。

今日の塾への欠席連絡。
検査可能なクリニックの診察時間。
うどんなら食べられるかな。

退院の荷物をまとめ終わり、身支度を整えた。

ゆっくり、ゆっくり。
アプローチは「低」とはいえ、身体には侵襲があったのだ。
主治医の先生の
「傷は小さいけど、内臓いじってるからね!臓器取ってるし!」
を常に思い出そう。


私はきっといろいろ焦って、戸惑って、失敗したりもするだろう。

その時は躊躇なく、また言葉をかけて欲しい。

入院中、やさしいメッセージや心を寄せてくださったこと、御礼申し上げます。
ありがとうございました。

※ヘッダーの写真は、病院のデイルーム(自販機があったり、面会や電話ができるスペース)から見た風景です。

…………………………………………

最後に、これから子宮全摘の手術を考えたり予定している方へ。
#でここにたどり着いたかもしれませんね、私がそうであったかのように。
読んでいただきありがとうございました。

術後11日目、退院4日目おだやかに過ごせています。
おなかが軽く引きつるような感じや奥の方がズキンとなる感じや、動き過ぎると微量の出血があるけど大丈夫。
出血があるとアワワワと焦り、なるべく横になっています。(安静にしていれば出血止まります。術後、大量の出血は病院へ!です)
身体が治ろうとしているのだと思っています。
次の外来は月末で、病院の看護師さんからは「何か不安があれば電話していいからね」と言われています。

あなたが良い方向に向かいますように。

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