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恋とひめごとと、好奇心。


失恋をした。これで人生3回目だ。
よくLINEで会話をする、同じクラスのひと。


「まだよく君のことを知らないから、好きか嫌いかわからない。だから付き合えない」と彼からのメッセージには書かれていた。
この文面を見た時、自分との価値観の違いを感じた。

私は『知りたいから好きで、もっと深く知るために付き合いたい』と思っていたのだ───。


言うなれば好奇心ってやつだ。私は昔から、好奇心とともに生きている。読みたい本を読んで、描きたいものを描いて、学びたいことを学んで。そうやって生きている。

だから、知りたいひとのことを知るのも、私にとっては楽しいことである。この「楽しいこと」に名前をつけるなら、それが自分の心を時に潤したり狂わせたりするなら、「恋」と呼べるのではなかろうか。
そして、そのひとへの好奇心を1番容易に満たせるのは、交際なのだ。

私は「君のことをよく知らない」と言われたのが衝撃的だった。
4ヶ月間もLINEをする中で、お互いの価値観を十分に共有できたと思っていたし、程よく相手のことを知ることができたと思っていたからだ。

きっと彼にとっての「知る」は、「相手の好みや趣味、生活」のことだったりするのかな、と今では思う。
しかし、これらを知ってもらうには「自分語り」をする必要があるのではないだろうか。

私は「自分語り」が苦手だ。相手に聞かれてもいないのに、自分のプライベートを公開するのはなんだか気が引ける。
(言ってしまうと、人に公開できるほどの素晴らしいプライベートを持っていない。)

彼と話す時は、彼に聞かれたことに答える、もしくは自然な流れで情報を小出しにしていた。一応、自分のことを知ってもらう工夫はしていたつもりだったけれど……足りなかったらしい。

そして、自分のことを沢山知られるってなんだか抵抗感がある。あくまで個人的意見だが、秘密がある人間の方が心惹かれる存在だと思う。

フレンドリーだし沢山話すけど、家族関係とかどんな環境に生きているとか、核となる部分が見えそうで見えない。
そういうひとに、私はある種の興奮と好奇心を感じる。
(チラリズムってやつか?いや、違うだろう)

私もそんな人間でいたい。焦がれる存在に、私もなりたい───。

最近、太宰治の斜陽を読んだ。

「他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。」

太宰治 「斜陽」より

私は、主人公のこの言葉に強く惹かれた。
そう、そうなんだよ!人間らしくあるために、人間しかできないこと、したいじゃん!!

「付き合うために知る」彼と、「知るために付き合う」私。

告白を断られた後もLINEは続きつつある。誰かのために自分が変わらなくてはいけないって、とても苦しいことだ。それを乗り越えて愛を手に入れるか、自分が自分らしくいるか。

私は、歪な家庭で少し変わった形の愛情を与えられて育ってきた。きっと、ひとが与える愛情って、そのひとが与えられてきた愛情の真似事だ。

だから、彼のことを知るために、前者の選択をしてみようと思う。結局、私はどんな時も好奇心で生きているんだなぁ。
相手の影響で、自分の芯が変わってしまうことなんてないのかもしれない。


恋って、難しい。


初めましてのnote。なんだか、可愛らしいタイトルになってしまったぞ…!?
最後までご覧いただきありがとうございます。
コメントとか、もろもろお待ちしております。

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