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寡婦日記

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寡婦日記⑧

寡婦日記⑧

初日の出を見た。刻々と変わる空。一際輝く光。徐々に育つ太陽の兆し。富士山の頭もくっきり見えた。新年に相応しい清々しい空だった。

2023年を漢字一文字で表すならば「喪」という字が良いだろう。夫も、強いと思っていた自分も、先日祖母も喪った。

人に励まされるのは嫌いだった。励まされるのは弱い人間で、自分は励ます側の人間だと思っていた。誰かに心配されると「大丈夫だ」と言い、「元気だ」と笑い、涙が出そ

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寡婦日記⑦

寡婦日記⑦

研究科を終えた。毎日いろいろなことが起こる。大変な時こそ学びや気づきは大きい。そして大変な時はずっとは続かない。自然を見ていればわかる。必ず朝は来る。

料理教室に通った一年は嵐のようだった。夫を亡くした。死にたいと思うレベルの悲しみをはじめて味わった。夫婦で始めたお店を一人で営むことになった。いろいろなものが壊れた。破壊と再生の一年。いまだ再生の途中である。

「何もない人なんていない」。米澤先

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寡婦日記⑥

寡婦日記⑥

夫がいない世界を5ヶ月生きた。夫は生前、もしも自分が死ぬのだとしたら心残りは文さんだ、と言った。あとは家族、それ以外はどうでもいい、と言った。私もそうだ。夫が生きてさえいてくれれば後はどうでも良かった。どうでもいいことばかりが残った世界で、それでも5ヶ月生きてきた。

夫を失ったことに恨みも後悔もない。ただ、仕方がないと思う。そして時々、つまらないと思う。夫がいなくともみんながいる。それなりに楽し

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寡婦日記⑤

寡婦日記⑤

上級の受講中に夫を亡くした。皆勤だった料理教室を一ヶ月休んだ。葬儀や事務手続きが落ち着くまでの間、ずっと義母が一緒にいてくれた。

連絡やら申請やらで、私がスマホにかかりきりの最中、義母がご飯を三食作ってくれた。

悲しみに沈む義母に米澤先生の料理の本を手渡した。他にも図書館で料理の本を色々借りてきて、二人で読んだ。どんなに悲しくても料理の本は読めた。いたずらに心を乱さず、余計な感情を引き起こさず

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寡婦日記④

寡婦日記④

先日、納骨をした。法要の後お墓に向かい、お墓でもお経をあげた。義父と義弟が力を合わせて墓石を動かした。義祖父のものか義祖母のものか、石と石の隙間から分解されずに残った骨が見えた。骨の近くに紙のようなものが見えた。朽ち果てる前のその紙には文字が一つ書いてあった。

それは「文」という字だった。文字の大きさは3センチか4センチ四方くらいだろうか。朽ちて小さくなった紙に対してだいぶ大きく一文字だけ「文」

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寡婦日記③

寡婦日記③

「結婚指輪をしないのか」と友人に聞かれた。「きっと守ってくれるからつけたら良いのではないか」と。言われてみると葬儀につけて以来、指輪をすることはなかった。

思いつかなかったという方が正確かもしれない。いろいろな手続きで「世帯主」に丸をつけ「配偶者なし」に丸をつけ「同居する家族なし」の欄に丸をつけてきた。寡婦年金の受給資格もある。夫はいなくて自分は一人だと何度も思い知らされてきた。

そもそも我々

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寡婦日記②

寡婦日記②

久しぶりに音楽を聴いた。聴きたいと思って曲を選んで純粋に音を楽しんだのは何ヶ月ぶりだろう。グールドのゴルトベルグ変奏曲。夫が好きな曲だった。

音楽の力は強い。そのつもりがなくても記憶や感情が引き起こされる。夫と入院先で一緒に聴いた曲をその2週間後に一人で聴いた。苦しくて息が止まるかと思った。以来、基本的に無音で過ごしてきた。余珀のイベントで音楽が必要な場合はなるべく心に余計な波風を立てない曲を選

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寡婦日記①

寡婦日記①

「ダンナの骨壺」というエッセイを読んだ。著者は女優高峰秀子。黒田辰秋氏に骨入れを注文したそうだ。これを執筆した当時、高峰さんは54歳。その後ご主人より6年早く86歳で亡くなったのだから羨ましい。私は今「ダンナの骨壺」をどうするか悩んでいる。

火葬の日、夫の骨を少し分けてもらった。大事な息子を亡くしたのにもかかわらず、義父母は嫁の私を最優先して好きな骨を選ばせてくれた。迷わず喉仏を希望した。長くき

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