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妄想共

 僕は「共」に真理的なるものを感じ、妄想した。これは戯言であり厨二病的であるが、生成AIが発展する未来を考えた時、人類が新しい地平に辿り着くために持っていてもいい観念ではないか、と記してみた。


 ◇メタファーとしての「共」

 企業が社会の公器であるとされるなら、会社という法人格もまた、公の器、すなわち「公器」(こうき)としての役割を担っている。

この考えを個人にも当てはめてみれば、近い概念として「共」が浮かぶかもしれない。個人は決して閉ざされた存在ではなく、常に他者と共にある。この状態を私は「共器」(きょうき)と呼びたい。

 企業は社会の公器であると同時に、個人は宇宙の共器。

 人々が互いに感じ合うことを「共感」と呼び、共に何かを創り上げることを「共創」と呼ぶ。これらは21世紀を生きる我々にとって、非常に重要なキーワードである。

 「共」の漢字自体には、縦と横の線がそれぞれ二本ずつ含まれており、縦軸は時間、横軸は空間を表している。この二つの軸が交わる点に「自分」という存在がある。

 二本の線、即ち 二はかつて、真であった。
一を片方と呼び、二つではじめて体をなすと思われていた。


 ◇時間の共

 過去に生きた先人たちの視座をどう自分の中に取り入れるか、時代を超えた感性に思いを馳せることは、縦軸の時間としての時代の流れを感じることに他ならない。自分の祖先や、過去の人々の視点から物事を見る試みは、過去と現在を重ね合わせることだ。

 ホモサピエンスは約20万年といわれる。一世代25年として計算すると、僕らの祖先は8000。父と母で計算すると×2なので16000人の祖先があるわけだ。
 16000人の両親の遺伝子が刻まれて、令和の今日、僕らはここにいる。身体に受け継がれたDNAも先祖から紡いだ数々の習慣や思考や記憶までもなんらかの形で継承している。

 ◇空間の共

 一方で、横軸の空間は、現在、地球上で生きる約70億の人々が共有しているものだ。世界のあらゆる場所で、様々な環境で生きる人々がいる。彼らは、北朝鮮、ジャマイカ、オーストラリアといった地で、それぞれの生活を全うしている。彼ら全員が同じ時間を生き、同じ地球の空気を共に呼吸しているのだ。

 もし自分が習近平であったり、読売巨人軍の野球選手であったり、戦地のロシアにいたりしたら、世界はどのように見えるだろうか?他者の立場で物事を捉えてみることで、我々は自分たちとは異なる視座を持つことができる。

 ◇ひろがりの共


「共」という漢字は、下部に「八」という字を含んでおり、これは末広がり、すなわち無限の可能性を象徴している。この一字から、時空を超えた次の人類へ何を残していくのか、どのように広がっていくかをイメージ拡張をしてみたい。



 きょうをいきる。きょうにいきる。きょうといきる。

 僕らは妄想の動物だ。言葉を発見し言語を発達させた。言葉の意味の広がりは自分の思考のひろがりでもある。言葉は遊べる、言葉は飛べる、そして言葉には威力がある。

 これを読んで頂いた奇特なみなさん、「共」という字がとっても深く、素敵な字に思えたでしょう(笑)
 また、僕の文章表現能力がまだ、未熟なため、意味がイマイチだったかもしれません。

 でも、「共」に妄想の共感仲間ができたら嬉しいです。

読んでいただきありがとうございました。


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