信念を貫く。

あたしは集団で行動する事が苦手。
ADHDは関係あんまりないと思うけれど、私は感じる力みたいなのが主治医曰くとても強いらしい。会社で勤務するととてつもなく疲れる。アフターファイブに遊びに行かない??トカ(笑)正気?何言ってんのか分かんないってマジで思った(笑)
しかも休憩もあの空間の中で。誰かと。会話をしながら。トイレ位だよ、1人になれるの(笑)寝てる人とかもいたけど、私からしたらどんだけ鈍感なんだろう?って疑問しか過ぎらなかった。

鈍感になりたい。
知らなくてもいい事を感じたくない。耳がいい事が辛い、呼吸の乱れが聞こえて感情さえ見抜けてしまう。予感みたいなのも大概当たる。頭が五月蝿くて集中できない...結果的に適応障害になり、会社に行けなくなるほどの環境に最終的になってしまう、大体どこもそう。
「何回教えたの?」
「トイレ何回いった?」
「ミス何回目?」
「○さんが持ってきたお土産何個持ってった?」
「お金盗んだ?」
何でこの人はこんなに怒ってるんだろうとしか当時は思わなかったし、大体皆しかられる、誰もが通る道と思っていたが、適応障害になって異常な事に気づけた。
私は社会不適合者なのだと。否、会社不適切者だ。
組織に属して仕事をするのが向かない。どうしても自分より上がいると上手く動けない、底辺になってしまう。

今となってはそれが発達障害ということが分かったのでそういう生き方を選ばなければいい話しだけれども、
大半の人が選ばない生き方はその大半の人が敵となる。
「やめた方がいい」
「普通の会社に務めた方がいい」
周りは事情がわからない。なので必死に止めたがる。
けれどもコロナの時代がきて、「個の労働力」の将来性が飛躍的に上がった、実感できた。

「私の使命は私と同じ想いをした人を探す事」

発達障害は近年増えていて、コロナ時代と言われるような時代になり、副業が企業で認められるという今までにない流れ。多くの人が必要だと思っている。
然し、今まで当たり前だった事が当たり前じゃなくなる事、副業に対するイメージは決していいイメージではない事等課題が山ほどある。それを剥奪しなければならない。簡単な事では到底ない。
私の仕事は情報を1人でも多くの人に必ず正確に伝える事だ。
会社という空間で何の問題なく、仕事ができる人なら知らなくても、悩まなくてもいい事だと思うし、続けていくべきだと思うけれど。世の中にはその労働時間があるなら、何かをしないといけない人は五万といる。それは育児だったり、介護だったり、事情はそれぞれある。
けれども、その事情は。うちには関係ないって思う人が割と多い。病気でもないし、けが人もいない。
では、明日事故絶対しないのだろうか。
大怪我して障碍者になる可能性がゼロな人はいない。そうなると当然出社して働けない。
私は今年身内で色々な事があり、身体が健康で元気な事がとても幸運で恵まれている事をこの歳になってやっと実感した。まるで今まで実家暮らしで食事が待っていればでてくるもんだと思いきや、1人暮らしをはじめ、自炊をして、漸く実家暮らしは恵まれている事を知る。離れた環境で暮らさないと有り難さはわからないものだ。
「何かいい事ないかな」、実はもうすでに起こっているのだ。

「当事者にしかわからない感覚」

なら精神疾患になろう!といってなれる人はほぼいない。普通に会社で働けてしまうことは当事者側からすればとても幸運な事だ。
私は。できれば、得意なことをやって、苦手な事をフォローしてくれるような、持ちつ持たれずの関係はウィン・ウィンでいいと思う。けれども、仕事は実際多岐に渡り、なかなか苦手な事が入ってしまうと躓いてしまう、それが発達障害の苦悩なのである。1つ出来ないだけでプロ意識が欠けてると判断され、出社出来なくなるほどの虐めに遭ったりする。
私は資格はないに等しいし、地位や長い職歴、輝かしい事など1つもない。そして人脈もない。ただの主婦。所謂「ゆるキャリ」というやつで、ハンディがあっても人並みに生きていける事、協力し合ってウィン・ウィンの関係で仕事ができる事を伝えていけば、少しでも生きていく事に希望を感じられる人が増えると思う。
ただ、道は平坦ではない。どん底を知ってるからこそ語れる事はたくさんあるけれど、試行錯誤の毎日。それでも私は毎日が勉強だと思っているよ。
今年亡くなったおじいちゃまが毎日勉強と言っていた。様々な事を吸収する。意味がないなんて事ない。無駄なんて事ない。

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