生きている。

別に思うところがあった訳でも何でもないけれど。久々にに少しばかり文章を書きたい気分になった。

この記事は人生 Advent Calendar 2018の12日目の記事です。

自分がある一定の年齢になった時に--例えば分かりやすく二十歳になった時などに--幼い頃に想定していた自分のイメージと結構なズレを感じてがっかりする、なんていうことは凡そ大抵の人が通る道だと思う。私もそう感じたうちの一人だ。私は今二四歳だけれど、小学生や中学生の頃に私が思い描いていた二十代半ばの「大人」のイメージとは遠くかけ離れた自分が、ここにはいる。今の私は小学生の頃にぼんやりと思い描いていたイメージよりも、ずっとずっと幼くて、未熟だ。未だまだ若いと言われるかもしれないけれど、それでも二四年は生きてきたのだ。きっとこれから先も、自分が思い描いている「未来の自分」のイメージに追いつくなんてことなんてないのだろうということは、容易に想像がつく。

私はラーメンズという少し前に活動していたコントを得意とする二人組のお笑いコンビが好きだったのだが、彼らの『study』というコントの中にこんな台詞があった。

鉛筆も、ノートも、使い切ったことがないまま、大人になってしまいました。中学高校と、六年間も学んできた英語が、喋れません。読めるけど、書けない漢字が、たくさんあります。知ってるはずなのに、どっちが右で、どっちが左かを、時々考えてしまうことがあります。
(中略)
いつかは克服できるだろうと思っていることは、克服できないままに、私は消えてなくなっていくのだろうか……。

いつか、遠く未来の自分が克服してくれるだろうと思っていたことは、その大半が克服できないままに、その「遠く未来の自分」を追い越してしまうのだろう。そして、通り過ぎてしまってから「あれ、こんなはずじゃなかったんだけどな」と自分に落胆するのだ。

先日、久々に高校時代の友人に会った。詳しいことは分からないが、なんらかの事情で彼女は周りよりも少し遅れて大学へ進学したらしい。だから、まだ彼女は学生の身分で、来年から社会人となる予定だそうだ。どんな仕事をするのかとか、勤務地はどこになるのかとか、軽い世間話をしているなかで色々と話が脱線して、ふと大阪万博の話になった。
「大阪万博って二〇二五年だけれど、その時って私たちはもう三十歳やねんな」
と彼女が言った。別に小学生でも分かる様な簡単な計算なので、私も頭の中で計算をして「確かにそうだね」と言いながら、なんだか急に怖くなった。そう遠くない将来に開かれると思っていた大阪万博と、もっと遠い未来の事だと思っていた三十歳という年齢に、随分なギャップを感じたからだ。大阪に住んでいる人間として、当然万博の話は耳に入っていたし、開催年が二〇二五年なのも知っていたのだけれど、その時に自分が三十歳を超えているなんてことは、ちっとも考えていなかった。

高校生の頃、私は結構部活動に力を入れている学校に通っていた。そのせいで自由な時間が一般的なそれより少なかった事もあったからだろうか、早く三十歳くらいになって適当に働いて、自分で稼いだお金である程度自由に好きな事が出来るようになりたい、みたいなふわふわとした事をよく考えていた。いや、多分今も頭の何処かで三十歳になった自分はそんな感じで上手くやってるだろうと思っていたのだと思う。それは三十歳という年齢が、今の自分とは遠くて、関係のないものの様に思えていたからだろう。それが万博の話で、急に今の自分と地続きだったと言う当然の事実を突きつけられたのだ。「なんとなく上手くやっているだろう」と他人事のように考えていた未来に、いよいよ他人事ではいられないような年齢になってしまっていた。これは私には結構恐ろしい事だった。

しかし、恐かろうがなんだろうが、容赦なく人生は消費されていく。「遠く未来の自分」に刻一刻と近づいていく。だから、出来るだけがっかりしないで済むように、何かしらの策は講じたほうが良いように思う。亀の歩みだったとしても、思い描いていたものに完璧には届かなかったとしても、やっぱり理想を掲げることはある程度必要なことなのだ。鉛筆もノートも、使い切れなかったとしても、まずは使い始めなければならない。それが例え未来の自分を落胆させることになったとしても、だ。どんなゴールに向かっているゲームなのかは分からないけれど、それでも賽は振り続けないといけないし、私が「嫌だ」と駄々を捏ねても駒は容赦なくマスを進んでいく。

先日、私はとても小さな喫茶店の店主となった。店の名前は「深夜喫茶マンサルド」とした。読んで字の如く、深夜帯に営業をするバーのような喫茶店だ。店を開いた理由はいくつかあるが、そのうちのひとつに「社会の中での自分の立ち位置をある程度明確にする」というものがあった。ふわふわとしていて、なんと名乗ったら良いのかもよく分からない自分を「喫茶店」というパッケージで包むことで、社会の中で自分が今何処に立っているのかを自他共にある程度明確にしたかったのだ。会社のような組織の中で働くことは出来なかったけれど、それでも社会的な立ち位置がぼやけている状態で居続けることは、結構なストレスだった。鷲田清一さんの著書『ちぐはぐな身体』の中にも「自分の存在の確かさや意味は、自己と他者との関係性の中からしか見出す事が出来ない」といったような事が書いてあったので、きっとそういう事なのだろう。お店は思いつきで始めたことであったけれど、今のところ、色んな人達の助けを得て、なんとか順調に進んでいるように思う。ありがとうございます。

大阪万博開催の年に自分の店がどうなっているか、今の私には全く見当がつかない。変わらず今のまま続けているかもしれないし、なにか変化があるのかもしれない。それはお店だけではなく、私自身についてもだ。でも、なんとなく、そんなに大それたビッグイベントは起こらないんじゃないかと予想する。今までもそうしてきたように、基本的には小さな試行とささやかな改善を繰り返して、たまに立ち止まったり引き返したりしてしまいながら、粛々と人生を消費していくのだろうと思う。ここに書いておく事で、少しは未来のショックを和らげる事ができるかもしれないので書くが、きっと三十歳の誕生日を迎えても「あぁ、こんなもんか……」とガッカリするに違いない。今までもそうだったのだから。

別に何もしなくたって人生は勝手に消費されていく。何をしていても生活は続くし、我々は確実に死へと向かっていく。賽を振るのを拒否するのは死ぬことでしか叶わないのだ。どうせ放置していても一定のリズムで残り時間は削り取られていくのだから、どうせなら何かしらの策を講じることでタイムリミットまでを楽しく、豊かで幸せなものにしたいと願うのはそんなに不自然なことでもないだろう。幸せというのは定量的なものではないし、千差万別、人それぞれ様々な形をしているが、全員がそこを目指していることに変わりはないように思う。少なくとも私は自ら進んで不幸に邁進している人を見たことはないし、仮にそれを望んでいる人がいるのであれば、その人が「不幸」と呼んでいるものは、最早その人にとっての「幸せ」なのだろう。何の為に生きているのか、何の為に生まれたのか、なんて事は考えたって仕方がないし、そもそも初めから目的意識を持って生まれる人はいない。なんなら自分の意思で生まれた人すらいない。話はもっとシンプルで「最後に笑った奴の勝ち」というだけの事だ。

先述の通り、三十歳になった時に自分がどうなっているかなんて想像もつかない。でも、少しだけで良いから今よりも私の幸せに近づいている事を願う。

#随筆 #エッセイ #小説

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