2月20日 内容ではなく見え方

情報端末の普及に伴って読解力が低下しているという話を巷で聞くことがある。

YouTubeのコメントの中で、話の要点を掴んでいない意見がグッドボタンで称賛されていたのを見てあー確かにと思ってしまった。

動画の出演者が別の出演者に怒っているシーンについてのコメントでの論議だ。

一見すると怒っている人とそれに冷静に反論している人という見え方になってはいる。しかし、何に怒っていて、それにどのように反論しているかという内容を聞くと、怒るに至った筋の方が正しく、反論はその筋からズレた詭弁のようにしか思えない。

それも難解なやり取りではなく普通に聞いていてそう思えるくらい明らかなのだ。

そもそも動画を見てコメントしている人は文章よりも動画を好んでいる人が多い、つまり表面的なイメージを優先して取り入れる人が多いだろうという偏りがあるにせよ、ここまで分かりやすい討論で内容ではなくスマートに返しているように見える方を支持するというのは怖いなと思った。

まあ、文字を活用する媒体であるXであっても内容を咀嚼して判断する人は多くないような気もする。

あくまで語気を荒げず、平静を装っていればある程度支持されてしまうのだ。

これは自分が何かのアウトプットをする際に上手く使えば有効な手段だ。
逆にどれだけ筋の通ったアウトプットでもスマートに表現しなければ拒絶されうるということでもある。

うーん、それにしても怖い。

ロジックではなく、見え方の方が正当性を高めるということ。

政治家がパフォーマンスばがりやってるわけがわかるし、それに乗せられちゃう人が多いのもわかる。

最終的に僕が言いたいのは本をたくさん読んで、たくさんアウトプットしようということである。
読書楽しいよ。

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