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名作を振り返る クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ(ネタバレあり)

 いい映画を見終わった後、なにか大切なものを失ってしまったかのような喪失感に襲われる時がある。映画のエンドロールが終わって現実世界に引き戻されても、その悲しみは尾を引く。

 映画クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズを見終えた私は非常に悲しかった。切なかった。映画クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズを見る前と見た後では私の中の景色の見え方が変わった。もう私は映画クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズを見る前の私には戻れない。私は見てしまったのだ。そして見終わった後の見てしまった感。それは私の中から何かをすっぽりと引き抜いてしまって、私はただ映画の余韻に浸るしかできなかった。

 この映画、映画の中に入るという映画なのだが、その舞台設定が西部劇というのがとてもいい。西部劇というのは人をワクワクさせる。世が世なら私は荒野のガンマンを志しただろう。いや、憧れはするけど実際はやらない。怖いし。死ぬし。
 それから馬に引き摺られる博士や謎の少女つばき、失われていく記憶。なんて素晴らしい世界観なのだろう。失われる記憶というのはなぜこうも人を惹き込ませるのだろうか。博士の愛した数式しかり時をかける少女しかり。ぼんやりと断片的に思い起こされる過去のエモーショナルな記憶を、人は本能的に求めているのだろうか。

 途中のしんのすけのナレーションのシーンがめちゃくちゃいい。ナレーションっていい。ナレーション最高。新海誠もなにがいいかといったらナレーションに尽きる。しんのすけというおちゃらけたキャラが真摯に切実に目の前の現実と向き合う。記憶が失われていくという不安を吐露する。ナレーション最高。

 ジャスティスを倒して映画を終わらせればいいということに気付き、物語は動き出す。機関車に乗って立入禁止区域を目指す。汽車での乱闘。カスカベボーイズの覚醒。しんのすけのガチ恋。怒涛の展開で駆け抜け、おわりの封印が解かれる。

 この映画、終わり方が実にあっさりしている。映画の世界から無事現実に戻れて、喜ぶ一同だったがつばきちゃんがいない。つばきちゃんが映画の中の人物だったと知り悲しみにくれるしんのすけだったが、シロが来た途端すぐに元気になって映画館を出る。他の一同もさっきまでの出来事がなかったかのようにしんのすけの後に続く。あんなにも長かった映画の中での出来事を、現実に帰るとみんなすぐに忘れていくようだ。最後ヒロシが映画館の中を振り返り、映画は終わる。切なさの残るラスト。運動会が終わった後の、誰もいないグラウンドを見ているような、そんな気持ちになる。

 エンディングのNO PLANがいい。内村プロデュース、面白い番組だったが、ちゃんと見たのは大人になってからだった。もしかして親が意図的に見せないようにしてた? 子供の頃、家族でテレビをザッピングしてたら、三村が「勃ったビーチク」みたいな回答をしていて、その時私は意味が分からなくて、は? と思って親の方を見たら、少しにやけているような、泣いているような、なんともいえない顔をしていたのを覚えている。

 映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ、素晴らしい映画だ。

 

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