学ぶ子、学ばない子。経験なくして学びなし。
現在では、初等教育機関に留まらず、幼稚園でも、また乳児、胎児にまで英語教育を行うような時代になっており、その効果の検証はなされないものが親の不安を煽り、結果金を出してしまうようなことがある。(私も興味本位で幼児用英語学習用のCDやDVDを購入してしまいました。)
「幼児教育」
「脳力開発」
こう呼ばれるものは個人的には疑わしい目で見てしまいます・・・。
と言いながら我が子のことになると「したほうがいいのかな」と思ってしまうのが、感情に流されてしまう親というものなのでしょうか・・・。
脳科学は私の分野ではないので置いておき、英語の話をします。
英語を学ぶことは、私の中ではハードのスペックを高めようと努力することと私は感じています。
一方で、それを扱うために必要な思考力、つまりソフト面のトレーニングが疎かになると将来役に立たないと思っています。
つまり、「何のために50万出してMacbook proのM1 MAX、10コアCPU、SSD4TBを買うの?」と聞かれて、「かっこいいから」とか「買うならいいものかな」としか答えられないと無駄だなと思ってしまう。
もちろん、スペックが高ければ、よし何かしようと思ったときにはさくさく動くし、アドバンテージにはなるけど、思わなければ12万の旧モデルのMacBook Airで十分コスパは良かったんじゃないかと思ってしまう。
差額の38万で他のことに使った方が良いのは明らかでしょう。
ソフト面って何か?
それは、モチベーションです。
勉強は強制的にされることなので、
学習において最も重要なことは『内発的動機』であること。
世代が近いなら理解してくださると思いますが、本は読まないのにドラクエの攻略本は熱心に読むのは、知りたい欲求が爆発してるからであり、誰に言われたわけでもなく自らの知的好奇心である。
もちろん、それとは逆にドラクエに一切の興味を持たない人や、まぁ試しにやるかとドラクエをしている人は攻略本は読まないだろうし、詰まったらやめるだろう。
なのに、勉強はやめさせてくれない。詰まったからやめようと思っても「やれ」と強制されては拷問。逃げようにも逃げられない。部屋で隠れて漫画を読み、親の足音が聞こえたら隠してやっているふりをするくらいしか抵抗できない。
一方で、「テストで100点取ったら1,000円。90点だったら500円あげる」と言われて取り組むのは、外発的動機付け。
この場合、目的は知の探求ではなく、金。
学習して知識を得られたことに快感はなく、金を貰えることに快感を覚える。
あれ、仕事もそう感じてはしんどいもの。
やりたい仕事ではなく、給料をもらわないと生きていけないし、養っていけない。
転職はリスクがあるし。
きつくても逃げられない。
仕事はきついものになる。
そう感じている大人もいるのかしら?
独り身なら、給料減ってもいいから転職する。
リスクはあっても身軽なら選択できる。
勉強嫌いの子どもができることは、、、つらいよな。
内発的動機付けのためには、たくさんのものに触れることと親との対話だと思っている。
旅をしたり旅行したり公園へ行ったり。
ふと「なぜ夏の思い出としてプールや花火ってまず思い浮かぶのだろうか」
「おばあちゃんの家で、あわびを七輪で焼いたのはおいしかったなぁ。ガスコンロじゃなくて七輪っておいしく感じるのは何でだろう」
「ディズニーランドへ行くとずっと笑って過ごせるのは何でだろう」
そんな疑問は、夏休みにプールへ行ったり、ディズニーランドへ行ったり、七輪で焼いて食べるという経験がないと思いつかないもの。
そこからぼやーっとなんでだろうと考えることで、わくわくする理由や食べ物と燻製の関係を考えるようになる。
要するに、経験がないと疑問は始まらない。
学校の教科教育では、学習を始める前に関心を高めていくことや学ぶ意味を一緒に考えていったり教えていくことでモチベーションが上がる。ここを疎かにし、やみくもに暗記教育へ持っていくのは教員や大人の怠慢でしかない。
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