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阪神淡路大震災から25年 ~阪神淡路大震災が生んだ「絆」「思いやり」が教えてくれること~

【表紙画像】神戸市提供

6434人が犠牲となった阪神大震災。今年で25年を迎えた。

僕は教師として、毎年1月17日を含む1週間をとても大切にしている。

毎日出す学級通信。この1週間は、阪神淡路大震災の新聞記事の特集を必ず紹介する。特に今年は被災者それぞれの25年間の物語が書かれている記事に注目した。なぜならそこには、被災者それぞれの、震災を通して「失ったもの」、そして、そこから生まれた「絆」や「思いやり」が存在するからだ。

子どもたちには、「個」に共感できる、「個」を支えられる人に成長してほしい…

教師としての強い想いの一つである。

日本の学校教育は、得てして「集団」に目を向けがちである。

「良い集団(クラス)(学校)を作ること」に奔走し、教師としてのエゴが先行してしまう。結果、集団に馴染むことを良しとし、いつの間にか「個」をつぶしてしまう。

「あのクラスは〇〇〇がダメだ」

「〇〇中学校は荒れている」

そういったクラス単位・学校単位の言葉が職員室では当たり前のように横行する。

教室では、

「このクラスは大きな声を出せるから」

「このクラスは運動できるから」

「このクラスは平均点高いし勉強できるから」

子どもたちに対して、平気でクラス単位での発言をする。

そうではない子どもたちもたくさんいるのに…

震災体験はそのことに対してはっきりと「それではダメだ」ということを、私たち教師に教えてくれる。

被災者それぞれにとっての震災がある。そこから25年。それぞれの人生があり、それぞれの被災経験をもとに、いろんな悩みを抱えている「個」に共感し、寄り添っていく姿がある。そして、そんな「個」と「個」が有機的なつながりを見せて、コミュニティーがどんどんと拡がっていく。

阪神淡路大震災後の25年にはこのような軌跡があり、そしてこれからもずっと続いていく。

これから起こるであろう未曾有の大地震に備えるための防災意識を高めるために、震災経験を伝えていくことはもちろん必要だ。

でも、僕にとっての阪神淡路大震災は、もっと根本的なものを教えてくれている気がする。

「その子(個)を見てあげて…、その子(個)に寄り添ってあげて…」

誰一人取り残すことのない公教育には、そんなクラス、学校、社会を成り立たせるための大きな力がある。

それを信じて、一人の教師としてがんばっていこう。

公教育の未来は、まだまだひろがっている。

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