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皆殺し戦争の起源

「聖絶」という「聖戦」


皆殺しの戦争は、旧約聖書の中でイスラエル12部族をカナーンの地に定住させたヨシュアの行った「聖絶」による「聖戦」にはっきりと見出すことができます(ヨシュア記6:21)。
エジプトを逃れてきた彼らは、パレスチナへの入植に際して、もともとそこに住んでいる人々に対して、全面的な皆殺しの戦争を行っているのです。戦争にかかわりのない女性や子供や老人はもちろん家畜や農作物なども殺裁の対象です。彼らの命を奪い、ヤハベに捧げ、彼らにヤハベを信仰させていくのです。かれらは、それを「聖絶」と呼んで肯定していたのです。それだけではありません。立木や建物なども含めて町は徹底的に破壊されます。そうして彼らは先住の人々を追い出してカナーンの地への移住を果たしていったのです。

無差別の皆殺し戦争

今日、「テロ=ジハード」 と考えている人々にとってのジハードとは、イスラームの聖戦なのではなく、ユダヤの聖戦なのです。ユダヤ型の皆殺しの戦争は、ヒロシマやナガサキへの原爆投下も含めて、現在なお多くの方がこのタイプの戦争の犠牲になっています。チョムスキーが名指しで「アメリカこそがテロ国家なのだ」と糾弾するのは、まさにアメリカの戦争がこのユダヤ型の皆殺し戦争を忠実に踏襲しているからと見ることもできるのです。ユダヤ的な考えが下敷きにある人々にとって、聖戦は、無差別の皆殺しが許される戦争なのです。

正戦論は人間の創作物

キリスト教からの影響にも触れておきましょう。皆さんご承知の通り、イエスという預言者は困難の状況にあってもなお与えることを教えました。「上着を取られたらズボンも与えてやれ」「右の頬を殴られたら左の頬も出してやれ」 など、その姿勢は、徹底的な愛と無抵抗に貫かれています。
こうした教えを信じる者たちが、いかにして戦争ができるのか。もしもこの教えに完全に従ったのであれば、戦争に及ぶことができるはずがありません。不可能です。
しかしながら、様々な状況から戦争に及ぶことはあるわけです。戦争という手段に全く訴えなければ、社会が存亡の危機のさらされてもやむを得ないのは、歴史の教えるところです。ヨーロッパ世界で、は、中世の後半、特にイベリヤ半島から「正しい戦争」 が、スアレスやピトリアといったカトリックの僧でもある学者たちから「正戦論」として理論構築されていきます。まさにラビ的法解釈よろしく、預言者が教えてくれないので、人間たちが戦争の正当性を論じ始めたわけです。

殺されるために生まれてきたのではない

十字軍もキリスト教徒にとって「聖戦」 と呼びうるものでしょうが、いわゆる宗教戦争の歴史も含めて、宗教的な大義名分があれば、殺裁に及んでもかまわないという考えが醸成されていったとみることもできましょう。
宗教的な目的は、しばしば全面的な殺裁を容認する。しかもそのことを神から離れて人聞が決めることができる。そうなると、ジハードが、イスラームのものであり、イスラームの目的を実現するものである以上、イスラーム教徒による戦争も、手段に関係なく、戦争それ自体が正当化されると考えられても不思議はないところでしょう。
ユダヤ教からの影響と、キリスト教からの影響が重なれば、たとえそれが全面的な殺裁による無差別で理不尽な戦争であっても、それを正しいと認める素地となり、そうした素地を持っていればこそ、イスラーム教徒のジハードもまた暴力的で戦闘的なジハードになりえます。
しかし、最善のジハードとは自分自身に対する奮闘努力の教えもあるように、この時代に即したジハードの在り方を探し求めたいところです。しかし現実には、暴力の応酬が止まりません。今般、戦争状態が宣言されることで、パレスチナ人に対する暴力が「正しい戦争」になってしまいました。「聖絶」の過去が、聖典がラビ的な解釈によってゆるぎない規範となって、現在の戦争にまで作用するなどという事態は悪夢であってほしいと願うばかりです。

参考文献

カレン・アームストロング『聖戦の歴史』塩尻和子・池田美佐子訳、柏書房、2001年。
奥田敦「「われわれ」 にとってのジハード」『沖縄法政研究』第11号、15・44頁、2008年。
奥田敦「イスラームにおける正しい戦争」『「正しい戦争」という思想』山内進編、勤草書房、2006年。

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