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「呪い」の言葉に効用はあるのか?②:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第2回/全4回)

「人を呪わば穴二つ」

Wer anderen eine Grube gräbt, fällt selbst hinein.(独)(他人の墓を掘る者は、自分がそこに落ちる。)筆者自身の「人を呪わば穴二つ」との出会いはこれ。大学時代のドイツ語の授業。訳語の方の「人を呪わば穴二つ」が記憶に残っている。直訳すると「他人に墓を掘った者が、自らそこに落ちた」。ネイティブの解説は言う。「他の人を落とすための墓を掘っていたら、自分が落ちてしまったということですが、一般的な意味は「相手に悪いことをしようとプランを立てると、それは失敗して自分に返ってきてしまう」ということです」[i]。それでは、日本語のことわざ「人を呪わば穴二つ」とは、何を意味するのか。

「人を害すると、密かにやったつもりであっても、同じ仕打ちにあうことを覚悟すべきであるという事。転じて、安易に他人を害しようとすることを戒める。」[ii]

「他者を陥れようとしたり、その人の身に不幸が訪れることを願ったりすれば自分にも同じ報いがあるという意味のことわざ」「穴二つとは墓穴が二つということ」[iii]

語源・由来については、「平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、人を呪殺しようとするとき、呪い返しに遭うことを覚悟し、墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来」[iv]するとされる。

日本に陰陽師と言われる人々が活躍し出したのが、7世紀の初めごろからであるとすると、イスラームの啓示が行われていた時期と重なる。このことわざ自体がいつごろから言われ出したのかは必ずしも明らかではないが、一方では、「タッバットヤダー」が神の言葉として下されたのに対し、一方では、「人を呪わば穴二つ」と、呪いに対して慎重な態度が見いだされる。

「復讐するは我にあり」

アラビア語の諺に、これに類するものがあるのかを探してみたが、簡単には出てこない。英語においても、同じ意味のことわざは見つかるものの、「墓」とは関係がない。このことわざの反対の意味を有している考え方に、「同害報復」「目には目を、歯には歯を」があるが、クルアーンでは、この二つの考え方は啓示として明確に示されている。「ガラスの家に住む者は、石を投げるような真似をしていけない」[v]ということわざにトーンダウンしてしまうのも仕方がないのかもしれない。やられたらやり返すの方がたしかに分かりやすいけれど、しかし、きっちりと同害をやり返すことというのは事実上不可能。どうしてもやりすぎややり残しが生じ、それがまた新たな呪いのきっかけになってしまう。それであるならば、いっそ、やられてもやり返さないという選択肢があってもよいし、法的な正義はともかくも、道義的にはそちらの方が望ましいのではないか。それが実践できるかどうかは別としても。。

「人を呪わば穴二つ」と「目には目を歯には歯を」を両立させうるのが、「復讐するは我にあり」という聖書の教えだ。新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる言葉。「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐は私のすることである。私自身が報復する」と書いてあるからである。」(協会訳)

呪いの言葉を発するかどうかはともかくも、復讐という行動、つまり墓穴を掘ることは行わず、それは神に任せる。アブー・ラハブとその妻が、ああした形で裁かれるのは、あくまでも「来世」の話である。懲罰は至高なる御方の最後の日の裁きに任せるということであれば、「呪いの言葉」と「その復讐」とは両立する。もちろん、イスラームにおいても、同害報復だけが行動の原理ではない。《善と悪とは同じではない。(人が悪をしかけても)一層善行で悪を追い払え。そうすれば、互いの間に敵意ある者でも、親しい友のようになる》(フッスィラ章34)とも教える。新約聖書も、先の部分に続けて、「むしろあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、渇くなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである。悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」(協会訳)となっている。

呪いに呪われる

しかしながら、呪いの言葉をかけること、つまり「タッバットヤダー…」に何の問題もないのであろうか。「人の呪わば穴二つ」の日本語の具体的な用例から考えてみたい。

です。お由は夜なかにそれを持ち出して、お袖の蚊帳の中に放そうとしたんですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、その蝮をとり出すときに誤って自分が咬まれてしまって……。どこを咬まれたのか知りませんが、忽ちに毒がまわって死んだという訳です。人を呪わば穴二つとか云うのは、まったくこの事でしょう。(岡本綺堂半七捕物帳 かむろ蛇』)」

相手を殺そうと夜中に持ち込んだマムシに咬まれてしまって命を落としたお由を引いて「人を呪わば穴二つ」としている[vi]

また、「「呪い」はあなたの命を犠牲にして行われる手法」であるから、「呪いの成就=あなたの死」であり、それはたとえ、「呪いの代行業者に頼んでも、あなたの命は使われることに変わりはない」。また、「一度呪えば、あなたが死ぬまで囚われ続けることになってしまう」ともされる。結局、「人を呪うことはデメリットしかない」のであり、「相手を見返すのであれば、相手よりも遥かにあなたが成功してしまうのが一番」だという記述は、タロット占い師によるもの[vii]

ドイツ語のことわざもそうだったが、呪いの話は、こうしてどうしても現世の出来事の中におさめられてしまうのである。つまり、呪いを果たしてくれるのは、アッラーであり、最後の審判であるということが、十分に意識されないと、呪いのことがば自分に降りかかってしまう恐れが否定できないということなのである。

いつの話なのか?

この棕櫚章を「来世」の話として読み取れるのかどうか、改めて日本語訳のレベルで見てみよう。第1節は、呪いの言葉だ。日本語のレベルでは、それが最後の審判の日に向けられたものであることは定かではない。第2節は、財産や子孫を何の役にも立たないとする。これも最後の審判の際のことではあるのだが、そのことは明示されていない。第3節には、未来を示す接尾辞が動詞未完了形の前に添えられているため、アブー・ラハブが劫火に晒されるのが、今ではないことは分かるが、それでもそれが最後の日あるいは来世での出来事であることは分からない。第4節と5節は、時制的には、第3節につながるものと考えられるので、未来のことと考えられはするものの、彼の妻の運んだ焚き木は、この世で夫によるムハンマドに対する敵対行為の炎をあおるためのものであったという含意もあり、彼女の首の棕櫚の荒縄(現世では、豪華絢爛たる金銀宝石を下げていたということなのだが)も含め、もっぱら最後の審判の日であることは意識しにくい。

また、アラビア語の時制では、最後の審判の日とその日の懲罰などのように、必ず訪れる事柄については、完了形を使ってあらわすことがあり、過去の出来事というより、過去から将来まで変わらないような事柄が同じ完了形で表されるため、この部分については、明確な現世と来世の区分が意識、そしておそらくは無意識の部分も含めて成立していないと、すべては、この世で起こりうることになってしまう。

違和感の正体

このように、3つの邦訳においてはいずれも、アブー・ラハブの滅亡なり腐乱なりがいつなのかについては、どれ一つもそれが最後の審判の日であることは示していない。人間の脳は、主語や時間や否定は届かないという主張[viii]があるけれど、そのことを踏まえればなおさら、棕櫚章に描かれている、アブー・ラハブとその妻の破滅は、来世に神が行ってくれるから、今は放っておけというふうに読むことは難しい。
むしろ、日本語による理解や、来世のイメージが脆弱でしかも現世との間に明確な線が引けているとも思われない日本人の意識構造においては、アブー・ラハブへの呪いの言葉が、発話者自身に跳ね返ってきてしまうことを心配せざるを得ない。
朧気ではあるが、棕櫚章の礼拝での読み上げが聞こえてきたときの違和感の正体が見えてきたようだ。しかし、この違和感は同時に、自信の信仰心がさほど強くないことの証左にもなりうる。だからなおさら呪いの言葉の二つ目の穴を恐れる。堂々巡りは続く。(アッラーはすべてを御存知)

脚注

[i] http://ja.myecom.net/german/blog/2014/041576/

[ii] https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%91%AA%E3%82%8F%E3%81%B0%E7%A9%B4%E4%BA%8C%E3%81%A4

[iii] https://biz.trans-suite.jp/6271

[iv] https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%91%AA%E3%82%8F%E3%81%B0%E7%A9%B4%E4%BA%8C%E3%81%A4

[v] 『アルマウリド』1989年版の「人を呪わば穴二つ」に当たる英語のことわざのアラビヤ語訳として掲載されている。

[vi] https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%91%AA%E3%82%8F%E3%81%B0%E7%A9%B4%E4%BA%8C%E3%81%A4

[vii] 瀧上阿珠(たきがみ あじゅ)、鑑定歴14年目のタロット占い師。https://takigamiaju.com/2019/03/21/noroi/

[viii] たとえば、https://www.youtube.com/watch?v=ju9ij6CQ8NQ


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