パッタ

「ばーらまっくぞー」

校庭のジャングルジムの上から背の高い男の子が叫んで、パッタをバラバラとばら撒いた。ジャングルジムの下では10数人の男の子たちがワラワラと集まって、落ちてくるパッタを声を上げて奪い合っている。その中に、1年生にみえるいかにも小さな女の子がいた。はじの方に飛んで行って誰も見向きもしない、弱々しいパッタを1枚、2枚と必死に拾い集めてはポケットにしまっている。

また別の男の子が、ばらまくぞの掛け声をかけてパッタを撒き出した。

ーーパッタとは、一般的にはメンコと呼ばれる玩具のことである。その地域の子供たちの間ではパッタ、もしくはバッタと呼ばれていた。アニメで人気のキャラクターの絵の書かれたボール紙のそれを地面におき、もう一枚をそばに叩きつけて、ひっくり返したら勝ち。勝てばひっくり返ったパッタを貰えることになる。二枚重ねてビニールテープで貼り付け固くしたり、逆にふにゃふにゃに柔らかくして返しにくくしたり、或いはサイズを大きくして重さで勝負したり、各々が工夫して、放課後のジャングルジムのそばでは毎日戦いが行われていた。しかし、日を追うごとにひっくり返したパッタがたくさん集まった強者たちは、価値のない弱いパッタをジャングルジムの上からばら撒くことを、また一つの楽しみとしていた。なかなかパッタを買ってもらえない子供、あるいは負けてばかりで手持ちの少なくなった子供たちは、掛け声がかかると喜びこぞってジムの下に群がった。


その群れの中に女の子がいることは珍しい。けれど誰も文句も言わなかった。小さな女の子は、それだけ見向きもされない小さなパッタを拾い集めて満足していた。ポケットがいっぱいになると、誰とも話さず走って帰っていったようだった。


女の子はアキという名前で、小学校のすぐ隣のアパートに住んでいた。庭で遊んでいても、ばらまくぞ、の声が校庭から聞こえてくると、兄が急いでジャングルジムへ走って行くのを知っていた。今日はその兄が、祖父に買ってもらったばかりの自転車で遊びに行ってしまったから、代わりに拾いに行ったのだった。

兄とは普段、喧嘩もしたけれど、こんなにたくさん拾って偉いと褒められたかったのだ。小学校に上がったばかりのアキにとって、3つ上の兄がやることすべてが面白そうで、しかし難しく、なかなか同じようにはできなかった。いつも兄にくっついて遊びに行きたいけれど、足手まといになるだけの彼女を兄は嫌がって、大抵は気がつくと兄の姿が見えなくなり、しょんぼり一人で帰ってくることになった。兄は友達が多く、家で集まってみんなでファミコンをすることも多かったけれど、いつもアキは部屋の隅へ追いやられて仲間に入れてもらえなかった。だから兄が遊びに行ったチャンスに手柄を立てて、お前もやるなぁと見直して欲しかったのだ。早く、これを渡したい。アキは、兄の帰りが待ち遠しかった。庭でひとり、砂山のトンネルを掘りながら、時間が経つのを待っていた。


しかし、夕方の鐘が鳴ると帰ってくるはずの兄が、その日は帰って来なかった。どんどん日が落ちて、橙の空が青くなっていく。パートから帰ってきているはずの母も、外が真っ暗になってもまだ、帰って来なかった。外が暗いのに誰も家にいないことが、これまで一度もなかったアキにとって、その状況は恐怖だった。テレビをつけることもなんだか怖く、ただ静かに座って耐えていた。

夏休みに見た、心霊特集のテレビ番組を思い出したのだ。押入れの襖がすっと開いて、髪の長い女の人がこちらを見ている、だとか、トンネルの向こう側の真っ暗なところから、聞こえてくる何者かの声が…、だとか、見なければいいのに、あの日震えながら兄と二人で最後まで見たのだった。

母は、アキが小学校へ上がってから、朝から晩までパートに出るようになった。最初は、学校から帰ってきても母に会えない寂しさが辛く、毎日パート先へ電話して、母を出してもらっていた。パート先のファミリーレストランの従業員は、半べそで電話をかけてくるアキにいつも優しく取り次いでくれたけれど、仕事中にかけてきてはダメよ、となんども母に叱られて、夏休みに入る前には我慢ができるようになったところだった。或いは、アキが寂しがるから一緒に遊んでやって、と、母が兄に頼んだのかもしれない。


帰ってこない。

このままひとりぼっちだったらどうしよう?

せっかくパッタ、取ってきたのに。


まだアキが小学校に上がる前、楽しみにしていた夏祭りの前日に、アキが熱を出したことがあった。一緒に花火大会に出かける予定だったのに行けなくなって、兄はおじいちゃんと二人で出かけていった。そして、お小遣いで、おもちゃの指輪を買ってきてくれたのだ。大きなピンクのダイヤの付いた、豪華な指輪だった。兄は、帰ってきてから花火のすごかったことを、上気した真っ赤なほおで話して、でもまた来年行けばいいよと笑った。素っ気なく格好をつけながら、ちゃんと「はい、お土産」と指輪をくれた優しさを、アキはちゃんと嬉しく受け止めていた。


それなのに、帰ってこない!

寂しさと悔しさと恐怖で、アキはいきなり今だ!と大声を上げて泣き出した。と、その時、家の前で母の自転車の止まるガッチャン、という音がして、母と兄が連れ立って帰ってきた。扉を開けたら大泣きに泣いているアキを見て、母がごめんね心配したよね、と困った笑顔でアキを抱き寄せた。兄が、申し訳なさそうに立っている。右腕を、白いハンカチのようなもので釣って、手の先まで包帯でぐるぐる巻きにされていた。「お兄ちゃんのね、自転車のチェーンが切れて転んでしまったのよ。一緒にいたお友達のお母様が、病院に連れて行ってくれたからよかったけれど、腕の骨が折れていたの。病院まで迎えに行ったから、遅くなってごめんね。怖かったよね。」

事情がわかったけれど、勢いよく泣き出した途端に扉が開いた驚きと、二人がちゃんと帰ってきてくれた安心感とで、なんとなく泣きやむタイミングを逃したアキは、しばらく母の腕に甘えていた。可哀想に、兄は腕を怪我したのだ。それを知らないで、帰ってきてくれないことに怒っていた自分がなんだか恥ずかしくなった。


アキのしゃっくりが落ち着いたとき、

「これ、どうしたの」

と兄が聞いた。

「こんなにたくさん、パッタ、どうしたの」

「あのね、今日、アキが、とってきたんだよ。お兄ちゃんの為に、とりに行ったんだよ」

すると兄は、恥ずかしそうに笑ったのだ。

「こんなにたくさん、よく取れたね」「この悟空のパッタは強いんだぞ」と。








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