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社会運動、イマココ ①自民党の罪を数えましょう

♪自民党の罪を数えましょう
一つ一つを思い出せば
今すぐさよならしたかった
without you and we’ll be free

年がバレますが、ちょっとまたシリーズもの書きます。

結局、世の中変わらんやん!という人、いや、変わったよ!という人、いると思います。私から見たらどう見えるかを、何回かに分けて書きたいと思います。

私が社会運動に入ってきたのは、自民党改憲草案からです。ツッコミどころを挙げたらキリがありませんが、「前文全て削除」「個人の尊重否定」「国防軍の創設」「緊急事態条項」に、特に強い危機感を抱きました。

親が政党関係者だったわけでもないし、自分はただの市民で、ただ大人としての役割を果たしたかっただけでした。それなのに、政治の話をすることも、ニュースが解説なしで理解できることも、ネトウヨではないことも、珍しいと思われたようで、私がびっくりしました。

だけど、ためらっている時間はないと思いました。この改憲草案が日本を戦時中に戻してしまうことはすぐにわかったし、マスコミも気持ち悪い両論併記に毒されていたり、裏で記者と首相が会食していたりしたし、ネトウヨ幼稚園が首相の名前でつくられようとしていたし、どす黒い闇がすぐそこに迫っているのは明らかだったからです。

当時2016年。在日コリアンへのヘイトが問題になっていました。どこで習ったかよく覚えていないけれど、戦争は少数派への弾圧から始まった。戦争を止めるためにマイノリティを守ることが必要。あともう一点、民主主義は少数派意見が守られることで実現する。さしあたり、焦点をマイノリティに絞ることにしました。自分が病気を持っていることもあり、当事者性を押し出すことができると思いました。

私の主張に、民族的少数派の方も、性的マイノリティの方も、賛同してくれました。あるきっかけで女性差別を指摘したら、フェミニズムも広がりました。

2016年当時、危険だといわれていた共謀罪も、廃案にはできなくても運用はされないようにすることができました。それでも、国民への嫌がらせのように、矢継ぎ早に違憲立法が重ねられていきました。自分が参加するのが遅かったかなとも思いました。だけど前に進むしかありませんでした。

私の主張が通じることも、通じないこともありました。ちょっとした言葉に傷ついたりもしました。怪しい者ではないと言い続けながら、だんだん年の近い仲間が増えていきました。

(②に続く)

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