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「宮沢賢治の宇宙」(28) 夜空を滑る流れ星は嫌いですか?

銀河のなかで一つの星がすべったとき

前回のnote「宮沢賢治の宇宙」(26)と(27)では、賢治の詩〔北いっぱいの星空に〕を引用した。

銀河のなかで一つの星がすべったとき
はてなくひろがると思われてゐた
そこらの星のけむりをとって
あとに残した黒い傷
その恐ろしい銀河の窓は
いったい空のどこだらう 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、校異篇、265頁、筑摩書房、1996年)

この文章の謎解きの方法として、「暗黒星雲」と「高速度星」に頼ってみた。ただ、これらの他にもいくつかアイデアはある。今回は最もストレートな解釈、「流れ星」を採用してみたい。

賢治は流れ星が嫌いなのか?

「星が滑る」これを天文学というよりは文学的な解釈になるかもしれないが、「流れ星」はイメージしやすい。賢治はどう思っていたのだろう? そこで『【新】校本 宮澤賢治全集』の別巻にある索引を使って「流れ星」(あるいは「流星」)を調べてみた。星好きの賢治のことだ。たくさん出てくるだろう・・・。

ところが、その考えは甘かった。たった一回しか使われていないのだ。文語詩「大菩薩峠の歌」の初期形に出てくるだけ!」これには唖然としてしまった。賢治は流れ星が嫌いなのか?

文語詩「大菩薩峠の歌」

文語詩「大菩薩峠の歌」の最終形をまず見ておこう。

廿日 〔〕 月
かざす刀は音無しの
黒業ひろごる雲のひま、
      その竜之介
風もなき
修羅のさかひを行き惑ひ
すゝきすがるゝいのじ原
      その雲のいろ
日は落ちて
鳥はねぐらにかへれども
ひとは帰らぬ修羅の旅、
      その竜之介、 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第七巻、本文篇、174頁、筑摩書房、1996年)

1行目の〔〕は一文字空きを意味している。この文語詩は歌曲としても残されている。そこでは、廿日 〔〕 月二十日月になっている(『【新】校本 宮澤賢治全集』第六巻、本文篇、374頁、筑摩書房、1996年)。

「流れ星」はこの詩の下書稿(二)に出てくる。

廿日月
かざす刀は音無しの
無明の虚空の流れ星
      その竜之介
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第七巻、校異篇、524頁、筑摩書房、1996年)

最初、この文語詩を読んだとき、賢治の他の文語詩とはかなり路線の違う作品であると感じた。そもそも、竜之介とは誰のことかわからない。また、時代劇がかった内容であることも不思議に思った。敢えて賢治らしさといえば、「修羅」という言葉が出てくることだろうか。それも、二回もだ。

どこかで聞いたことがあるような・・・

文語詩のタイトル「大菩薩峠の歌」。どこかで聞いたことがあるような気がした。それは大菩薩峠という言葉だ。もちろん、その峠を知っているわけではない。答えは、『【新】校本 宮澤賢治全集』第六巻、校異篇の注意書きに書いてあった。

中里介山(なかざと かいざん、1885-1944)の大作『大菩薩峠』とこの歌の関連については・・・を参照されたい。 (243頁)

そうか、『大菩薩峠』だったのだ。ただ、この小説は読んだことはない。1913年から1941年にかけて書かれた大作で、全41巻。読もうとしてすぐに読めるものではない。うろ覚えながら、タイトルだけは耳から入っていたようだ。

この小説の主人公は剣士で名前は机竜之介。賢治の文語詩に出てくる名前と合致する。

なぜ、賢治が「大菩薩峠の歌」を書いたかはわからないが、何らかの感銘を受けたのだろう。中里はこの小説を「大乗小説」と呼んでいたので、賢治の仏教観が調和したということか。しかし、「無明の虚空の流れ星」に対して天文学的なコメントはできそうにない。

天文少年は流れ星を見た

賢治が夜空をよく眺めるようになったのは、中学生の頃だ。賢治の弟、宮沢清六の『兄のトランク』を読むとわかる(ちくま文庫、筑摩書房、1991年、21-22頁)。

私と九歳も年の違っていた兄は、この頃家から十里も北の盛岡中学校の寄宿舎に入ったばかりで、時々の休みで家に帰って来ますと、私たちの遊びは全然別のものになったものでした。・・・
兄が星座に夢中になったのも其頃のことと思いますが、夕方から屋根に登ったきりでいつまで経っても下りて来ないようなことが多くなって来ました。丸いボール紙で作られた星座図を兄はこの頃見ていたものですが、それはまっ黒い天空にいっぱいの白い星座が印刷されていて、ぐるぐる廻せばその晩の星の位置がわかるようになっているものでした。

なんと、一晩中、屋根に登ったきりで夜空を眺めていたのだ。賢治は星座に詳しかった。星空を漫然と眺めるだけでなく、どこにどのような星座があるか、把握したかったのだろう。そのとき、役立つのが星座早見盤だ。賢治が使っていたのは三省堂が出した星座早見盤だ。盤を回して季節と時刻を合わせれば、そのとき見える夜空が楕円形の枠の中に出てくる。天文ファンの必携品だ。私もひとつ持っている。

図1 国立天文台水沢VLBI観測所の図書室にある星座早見。日本天文學會編で三省堂が発行したもの。第十六版。なお、初版は明治四十年。 (国立天文台ニュース 宮澤賢治生誕120周年『銀河鉄道の夜空へ』 渡部潤一、『銀河鉄道の夜空へ』製作委員会 壱 “Al Nokta cielo de la Galaksia Fervojo”2016年12月号、34頁)。

流れ星の起源

太陽系の中にはダスト(塵粒子)が漂っている。ダストの大きさはわずか数ミリ以下。典型的な質量は0.01グラムにも満たない。砂というよりは砂埃というほうがよい。

ダストが地球の大気にあるガスと衝突すると、ガスは衝撃を受けエネルギーをもらう。また、電離されたりすることもある。このようなガスが発光して、流れ星として見える。ダストが大気との摩擦熱で燃えて光るわけではない。

流れ星は1時間に1個ぐらいは流れる。流星群が出る時期なら、1時間に数十個の流れ星を見ることもできる。長い時間、夜空を眺めていた賢治はたくさんの流れ星を見たことだろう。それにもかかわらず、流れ星を作品に出さない。これは、やや異常だ。

流れ星をたくさん見たければ、流星群を狙え!

流れ星には二種類ある。ひとつは散在流星。もうひとつは流星群として流れる流星である。流れ星の元になるダストの主な起源は彗星が撒き散らしたダストである。彗星はある軌道を通って太陽の近くまでやってくる。そのとき、軌道に沿ってダストを撒き散らしていく。地球が公転運動にしたがって、そのエリアに突入すると、ダストがたくさんあるので、流れ星がたくさん発生する。それを流星群と呼ぶ(図2)。主な流星群については、表1にまとめた。

図2 流星群の起源。彗星が撒き散らしたダストの雲の中に太陽の周りを公転運動している地球が入っていく。そのとき、たくさんのダストが地球に落ちてきて、流星群として観測される。 https://www.nao.ac.jp/astro/basic/meteor-shower.html
(a ) 国立天文台 https://www.nao.ac.jp/astro/basic/major-meteor-shower.html (b) 1日から2日、前後することがある。(c) 年毎によっては期間もずれることがある。観測する場合は、その年の予報を確認するほうがよい。 (d) 1時間あたりに観測される個数。月明かりや街明かりが明るい場所では、個数は少なくなる。

流星群に属する流星には一つの特徴がある。流れ星が、ある方向から四方八方に広がって流れていくのだ。実際に、流星群の流れ星の様子を見てみよう(図3)。この写真は2001年11月19日、「しし座」流星群で見られた流れ星の様子である。真夜中、午前3時10分から10分露出で、3回撮影した写真を合成したものだ。なんと、わずか30分の間に、これだけの流れ星が見えたのだ。夏休みならペルセウス座流星群を見るのがいい。賢治も盛岡中学校の夏休み、自宅の屋根の上から見たと思いたい。

図3 2001年11月19日に観測された「しし座」流星群。流星群に属する流れ星はある方向から放射状に流れるように見える。この「ある方向」を放射点と呼ぶ。 (撮影:津村光則)

賢治は流れるものが嫌いだったのか?

流れ星については、吉兆いずれの受け止め方がある。今まで夜空に輝いていた星が突然流れて消えた。それは人の死を連想させる。そもそも、人は「変わらないこと」を望む傾向がある。一方、流れ星を見たとき、消えないうちに願い事を3回唱えることができればその願いは叶うという話もある。この場合、流れ星は幸運を運んでくれる大切なものになる。どう思うかは人それぞれだ。

賢治は「流れ星(流星)」という言葉を忌み嫌うが如く、作品に使っていない。詩人や作家にとって、「流れ星(流星)」は作品に使いやすい言葉のように思う。少し古いところでは藤原てい(1918-2016)の『流れる星は生きている』がある。比較的最近では、直木賞作家の重松清の小説に『流星ワゴン』がある。天文好きの賢治なら、積極的に「流れ星(流星)」という言葉を使っても不思議ではない。

そこで、はたと気づいたことがある。
賢治は「流れること」、あるいは「流れるもの」が嫌いだった。
これは賢治の残した作品の中に感じるとることができる。

まず、文語詩未定稿の「流れたり」。この詩の出だしと最後の部分を見てみよう。

ながれたり
  夜はあやしく陥りて
  ゆらぎ出でしは一むらの
  陰極線の盲(しひ)あかり
  また螢光の青らむと
  かなしく白き偏光の類
・・・・・
あゝ流れたり流れたり
水いろなせる屍と
人とをのせて水いろの
水ははてなく流れたり 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第七巻、197-200頁、筑摩書房、1996年)

次は短歌。大正七年五月以降に詠まれた「青びとのながれ」と題された短歌10首も幻想世界の歌である。最初の二首だけ紹介しておこう。

あゝこはこれいづちの河のけしきぞや人と死びととむれながれたり
青じろき流れのなかを死人ながれ人々長きうでもて泳げり
 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第一巻、89頁、筑摩書房、1996年)

何かが流れていく。何かとは「人」だ。それを見ている人がいる。賢治だ。幻視だとは思う。しかし、それは私たちの考えだ。幻視であれ、賢治には見えているのだ。

なぜ、このような景色が賢治の頭に浮かんだのだろうか? 何か病的な要因があるのかもしれない。天才と狂気、あるいは精神病とは隣り合わせ。これは、よく言われることだ。賢治の作品を読むと、賢治は明らかに天才だと思う。その分、精神的には総じて不安定だった可能性はある。心理学者の福島章も賢治は何回かの躁うつ状態を繰り返していると指摘している(『不思議の国の宮沢賢治 天才の見た世界』福島章、日本教文社、1996年、24頁)。そういえば・・・、「心象スケッチは心理学的な実験」であると賢治は言っていた。賢治は自分のことを正しく理解していたのだろう。

賢治の好きな「移動」、嫌いな「流れる」

賢治の文学の特徴をよく捉えた言葉がある。それは、「移動する文学」だ(『サガレン』梯久美子、角川書店、2020年)。考えてみれば、『銀河鉄道の夜』も銀河鉄道で天の川を移動する物語だ。

メモ帳とペンを持ち、心象スケッチを紡いだ詩としては、『小岩井農場』と『東岩手火山』などが挙げられる。また、梯久美子が指摘したように、1923年夏のサガレン(サハリ、樺太)旅行で書き溜めた詩(挽歌三部作など)もそうだ(note「宮沢賢治の宇宙」(21)『銀河鉄道の夜』ジョバンニの切符を参照: https://note.com/astro_dialog/n/n77509249b9e3)。

自分自身が移動することは大好き。しかし、自分を静止させて、流れるものを見るのは苦手。これが正しければ、賢治は流れ星を嫌う。

『闇夜の国から』

井上陽水も『闇夜の国から』(1974年、ポリドールレコードから出した陽水5枚目のシングル)でこう歌っている。

流れ星 願い事 消えないうちに早く・・・
一人の国から今夜 闇夜の国から二人 二人で舟を出してゆく

賢治さん、一人でもいいじゃないか。
今宵、舟を出して、夜空に流れ星を見よう!


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